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お遍路ウォーキング日記(180:六十一番香園寺へ)

【2024年7月3日(水曜日) Day 178】

 この「お遍路ウォーキング日記」も180回目、半年休むことなく続けられた。実際に巡礼をすると歩きでも1ヶ月半くらいで結願ができるのでどれだけこの巡礼日記がスローペースでその分多くの沿道の紹介ができているかがわかる。

 今日で漸く札所六十番横峰寺を打った。横峰寺境内の写真はGoogle Mapsでも見られるがここまでの間の平野林道は画像データのない暗黒地帯だ。なので今日は本当ならまた黒い写真の場所にいるのだがそれではつまらないので横峰寺境内の写真をアップさせておく。

 山門をくぐって真っ直ぐ進んだところ左手に寺の方丈があり、その向かいに手水場がある。左手には石段が見えるが本堂と大師堂はこの上。納経所は方丈の中だ。

 平野林道終点駐車場から山を下って横峰寺に入ると山門とは反対の場所から入山することとなる。その際は一番最初に大師堂の横を通り、大師堂と向かい合わせになっている本堂の横にある石段を降りて一度境内を端から端まで突っ切るようにしてから手水場で清める必要がある。そこまで降りたら山門の目の前なので一度傍から外に出て山門をくぐって中に入りたくなるだろう。

 本堂、大師堂のお詣りを終えるとまた石段を下って納経所へと向かうこととなるが、これか文章を読むと面倒くさそうに見えて全くそれを感じさせない。そのくらい団体お遍路様でもいない限りは山中の静かなお寺である。そして毎度とても去り難い気分にもなる。

 今日打った横峰寺について簡単に書こうと思う。横峰寺の山号は石鈇いしづち山で、字こそ違うが石鎚山との縁が強そうだと感じる。

 この寺の創建は役小角えんのおづの、現在の奥の院、星の森のある場所で石鎚山に向かいながら修業をしていたところ、山頂に蔵王権現を体得してその像を彫り堂を建てて安置したところから始まる。その後すぐ行基菩薩も入山。その後上仙菩薩がこの地で祈祷をし桓武天皇の病を平癒させたことから菩薩の号を賜った。

 弘法もこの星が森で蔵王権現を体得し大日如来像を刻み堂宇を建立させた。

 この寺と同じ寺号を持つのが札所六十四番の前神寺で、神仏混淆の時代にはこの横峰寺と石鈇蔵王権現の別当職を争うようになった。

 かつての前神寺は石鎚山の頂上にあり、やがて現在の位置に降りてきた。元の場所は奥前神寺と呼ばれ今は前神寺の奥の院となっている。

 前神寺も役小角により建立された経緯があり、どちらも石鎚山と蔵王権現参拝のための役割を担ってきた。かつて石鎚山の山頂にあった(石槌蔵王権現の場所)元々の前神寺が里に降りたところから山頂からの位置関係が逆転して横峰寺が別当職についていた時代があった。

 双方とも明治の神仏分離により廃寺という憂き目に遭うが、檀家によって大峰寺という名前で復興をする。これは横峰寺という字を「おうほうじ」と読めるという理由でこの名前が付いたという。寺が復興してから元の寺号に戻った。

 昭和の終わりくらいまでは四国札所の中でも最も打つのが困難な寺だったが、平野林道の開通で凡そ1.5㎞程の登山道を歩けば行けるようになる。その後平野林道は延伸して現在の場所まで行けるようになり、500mほどの道を下るだけで行けるようにまでなった。

 ただし平野林道は冬季に入ると路面凍結のために1〜2月は通行止めとなる。そして再開はその年によって毎年異なるらしい。

 歩き遍路の人は小松からそのまま南に向かい湯波ゆうなみ登山口から2㎞強の登山道を上ると仁王門の前に到達できる。前半の沢伝いの道は途切れることがあったり、後半の上りがきつい道だと言う話は聞き及んでいるが自分は歩いたことはない。

 ここを打って麓の小松まで降りるとあとは小松の集落にある札所六十一番から六十三番までの三ヶ寺を打って先に書いた六十四番の前神寺に向かう。

 アプリのお遍路ウォーキングでは帰りも平野林道を通るルートが選択されているのでまたしばらくの間は暗黒地帯(Google Mapsではサポートされていない一帯)を数日かけて通ることとなる■


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