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療養日記 2022年12月12日 『Oからの手紙』

 昨日の反動あってか、また今日は元々から天気痛警報も出ていたこともあってほとんど座っていることもできずベッドで横になっていた。この痛いのって次の手術で根本的に解決されるのだろうか。だいぶ心配だ。

 そんなわけで今日は書くこともない。話は日曜日の早朝のこと。いつも面倒臭い薬、リベルサスを飲むために3時台に一度台所に行く。その時テーブルの上に二つのゆうパックが置いてあるのを見つけた。前日は妻の帰りが遅く帰ってくる前に寝てしまったこともあり、妻が帰って来た時に置いたものだと思われる。

 一つは処方箋薬局からのもので、在庫が切れて買えなかったリベルサスだった。もう一つの差出人を見ると大学時代の友人Oから。このOは今となると年賀状のやり取りくらいでしかつながりがなく、質問をすれば翌年に返事が帰ってくるなんて程度だった。大学時代はよく連んでいた仲間だ。あの時は色々と遊びにも出かけたし、いろんなことを教えてもらった。

 まず教えてもらった中でも大きなものは洋楽、洋楽の基礎知識などあまりなかった自分にとってはこのOは大きな存在で、クイーンからトム・ウェイツまでいろんなものを教えてくれた。彼との出会いがなければ洋楽への目覚めはそれ以降、自分が勤め始めた時の同僚がまたいろいろと教えてくれたのでそこまでの間の遅れがある。

 出身が岩手の陸前高田で何度か遊びに行ったこともある。そんな理由もあって陸前高田には多少詳しい。東日本大震災の時は本当に心配したが先ほども書いたように返事が帰って来たのが1年後だった。家は流されたが家族は全員無事だという返事だった。とは言っても慣れ親しんだ故郷が一瞬で流されてその後には見たこともない街が出来上がるのは観るに忍びなかっただろう。

 ゆうパックの中には手紙とCDが入っていた。手紙にはこの夏に出した暑中見舞いの返事が書かれていた。僕が病気に倒れて療養生活をしていることをこの暑中見舞いで初めて知ったのだった。今年の正月の年賀状は我が家は喪中だったこともあり近況を知らせる術がそれまでなかったのだ。

 CDは励ましてくれるためなのだろう、キム・ワイルドのウィンターソングだった。これまでのOの趣味からしてキム・ワイルドは意外といえば意外だったが、なるほどと考えれば腑にも落ちる。

 手紙の内容は僕が病気で療養中だということでゆっくり休んでくれ、励ましの言葉が見つからず申し訳ないようなことが書かれていた。しかしながらこんな手紙や音楽を送ってくれる友達がいるのだから僕は幸せ者だし、この療養生活中だって何度となく投げやりになり、自分を過度に蔑む生き方をしていた。そんな自分も投げやりなりにならなくてよかったと思う。

 東北出身のOはまさに東北の人らしく寡黙で口下手、筆不精なところもあるのだろうがこうして思い切って手紙をくれたのにはおそらくその間長い間考えたのだろうと思えるフシが感じられる。何十年も会っていない友達でもなんとなく想像がつく。

 今日は夕方になってようやく座って作業できるようになったのでもらったCDを聴いてみた。この時期らしい内容の歌が次から次へと現れる。ああ、クリスマスっていいものだなと改めて思うのだ。

 だいぶ前に海外のウェブラジオにはまっていた頃、この時期になるとクリスマス専門チャンネルがあるのでよく聴いていた。このチャンネルは夏でもクリスマスソングしか流さない徹底ぶりだったがかれこれ7〜8年前から聴けなくなってしまった。もしかしたらその後に復活もしたかもしれないが今はおそらく聴けないと思う。というのもそのラジオ局はウクライナにあった。今、ウクライナでそんなクリスマス専門チャンネルが放送できるような状態なのかどうか確かめる勇気もない。そんなクリスマス専門チャンネルを聞いて心落ち着かせていた頃の気持ちをキム・ワイルドを聴きながら取り戻していた。その感覚は病気になってから久しく忘れていた感覚でもあった■


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