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ちょっとだけ前向きな言葉(157・158)

●己を飾り立てることにばかりエネルギーを費やすのは他に使うべきエネルギーが使えない結果を招く。

 人は時として外見や印象を向上させるため多くの時間と労力を費やすものだ。たとえば外見や服装に気を配ること、自己宣伝や社交活動に時間を割くことなど側から見たらどうでもいいようなことに必要以上に労力を費やすものだ。これらのことは、社会的な関係や自己評価を向上させる可能性はあるのかも知れないが、その一方で他の重要な領域にエネルギーを費やす機会を制限する可能性もある。

無駄に自分を飾り立てると後で見た時に恥ずかしい

 自己の外見や評価に執着しすぎると重要な領域への取り組みがおろそかになる恐れがあり、結果として、一時的な自己充足感や一時的な称賛に満足しながら、本質的には満たされない状況に陥るものである。

 自己の外見や印象を向上させることはある程度は必要かも知れないがそれにのみ過度なエネルギーを費やしすぎると他の重要な領域での成長や達成感を妨げる可能性は多々あると思う。エネルギーと時間を適切に配分し、自己満足感だけでなく、より意義深い目標や関係の追求にも努めるべきだろう。

 本当に大切なことは何、少なくとも自分を飾り立てることではない。それだけでもどこか頭の片隅に常に置いた上で立ち振る舞うことが大切だ。

●マウントを取りたがる気持ちの数だけ空虚な人に見られていることを忘れたくはない。

 「マウントを取りたがる気持ち」とは、他人に対して自分が優れていることや成功していることをアピールし、その優越感を得たいという欲求や気持ちを指す。このような気持ちは、自尊心や自己評価を高めるために他人と比較することから生じるものだが、それがあまりに過度に現れるということはもはや自分を見失っていることでもあるのかも知れない。

マウントを取りたがる人間は言動や仕草で見抜ける


 一方、「空虚な人」とは、他人から見た場合に内面的な満足感や充実感を欠いている人を指す。マウントを取りたがる気持ちが多い人は、実際には内面的な充実感や満足感を得られず、そのために他人に優越感をアピールすることに執着しているのである。

 自分が他人に優越感をアピールすることに執着する者は往々にして自分自身が内面的な充実感や満足感を得られていないものだ■


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