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ちょっとだけ前向きな言葉(127・128)

●目線の高い者は堕ちた時に大きな痛手を受け死ぬこともある。目線は低くて構わないと思いたい。


 「目線の高い者」と呼ばれる人々は、高い地位や名声を持っているか、そもそもの意識が高い人のことだが両者では若干の違いもある。高い地位や名声を持つもの全てが目線の高いものとは言い難い。それなりの地位にいながらも思いやりがあり慈悲深い人はいくらでもいるだろう。

 ここでは地位や名声、または富とは関係なく意識ばかりが高い者を特にターゲットに述べたい。意識が高いことは理想も高く、それに敵わぬ者は自分にとっては関わる価値もないと誤解をして疑わない。しかしながら理想が高くても自らがそこに上り詰める能力を持ち合わせてはいないので堕落しやすい。そして堕落した際には大きな痛手を受け、場合によっては命を落とす可能性がある。それは理想と現実の乖離を知り自分にそれを埋めるだけの能力がないことにそこで初めて気がつくからだ。

 一方、「目線が低い者」とは、あまり目立たず地味な存在であるため、先に述べた例とは正反対に失敗や落ち込みがあってもそれほど大きな影響を受けない。

 高い目標を持つことや、目立つことにはリスクが伴い、それに耐える強さが必要である。しかし往々にして強さを持たずに理想ばかりが一人歩きをするケースが多い。それは己を振り返る事が少ないのが一番の原因だと思う。

 地味な存在であることにも意義がある。自分自身の置かれている状況を客観的に見つめ、適切な視点を持つことが大切ではないだろうか。

●人を小馬鹿にしても何の得にもならない。後で必ず小馬鹿にされる。

 人を見下したりバカにしたりすることなど何の利益にもならない。そのような行為は、後で自分自身がバカにされるだろうし、それが因果応報と言うものだ。そもそもが人を小馬鹿にする人はそれを見ている人からは疎まれ、それが常態化されればさらに多くの人に疎まれる結果になる。

 人を侮辱したり見下したりすることは、このように自分自身にとってもマイナスの影響をもたらす。相手をバカにすることで自分自身が優位になるわけではない、自分が勝手にそう思っているだけのことだ。むしろ相手との信頼関係を損ねたり、周囲から嫌われたりするのは必至。人を尊重し、適切なコミュニケーションをとることが大切だ■


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