見出し画像

スキンシップの捉え方・自認の揺れ(メモ)

アロマ(っぽい)・アセク(っぽい)の自認になんとなくの揺れがある理由の一つは、恋愛的な雰囲気や恋愛的な雰囲気の中でのスキンシップが嫌なことについて、セクシュアル方面から捉えればいいのか、ロマンティック方面から捉えればいいのか、あるいは両方の要素が組み合わさっているのか分からないからだ、ということに気付いた。

まずは元恋人と付き合う中で嫌だったことを列挙してみたい。

エスカレーターで下って行く時、後ろに立っている恋人が両手を私の肩に乗せる/ベンチで隣に座っていて、恋人が私の肩を抱いて体をくっつける/室内などで、ちょっとしたことで恋人が私を引き止めたい時にハグする/恋人が私の二の腕を掴んで感触を楽しむ/恋人の気分が落ち込んでいる時に「癒される」と言って私の胸に顔をうずめたりハグしたりする/頭ポンポン/歩いている時に恋人が私の背中や肩に腕をまわす/いわゆる恋人っぽい意味のないゆるふわな会話や意味のない恋人からのちょっかい/恋人が直接的な言葉で私の存在や私の身体を求める発言をすること/いわゆる恋人っぽい「甘える」「甘えられる」「甘やかす」的ななやりとりを恋人がしたがること

こういうのが嫌なことから、当初私は自分がアロマンティックなのだと思った。だが、そういえばこれらはだいたい身体的接触を伴うものだなと気付いたところから、むしろアセクシュアルであること(※)に付随するのでは?という思いが出てきた。

(※性行為に関することから、自分がアセクシュアルなのだという自認は固まりつつある)

多分、スキンシップ自体いろいろな側面を持つ、というのも混乱する理由だったと思う。スキンシップはセックスに続く道筋の最初の段階にある性的な接触なのか、恋愛における性的な要素が含まれない/強くないタイプの愛情表現の一つなのか。いや、おそらく両方の要素を含むと捉えるのが穏当だろう。そんな、スキンシップそのものの性質の広さから、「スキンシップが嫌」がアセクシュアルの根拠にしかならないのかアロマンティックの根拠にもなるのか分からなくなってしまったのだった。

身体的接触が嫌だということは元恋人と付き合っている当初から常々感じてきたことで、「頭ポンポン」をされそうになると反射的によけてしまったりしていたので確かだと思っている。それでも、最初に列挙したような状況の中で感じていた居心地の悪さは身体的接触が嫌だということだけでは説明できないような気がして(実際体を触られていないものもある)、でもどう説明できるのか分からない、という状態が続いていた。が、複数のツイートや記事などを見て謎を解くきっかけをもらった感じがするので書いてみる。

嫌さの理由は、(1)身体的接触に対する抵抗感や嫌悪感に加えて、(2)列挙したような状況の中で①相手が行動や言葉を通じて私に対しての好意をあらわにしている、②相手の表情から相手がその状況によって充足感を感じていることが読み取れる、という2点に対する嫌悪感や違和感と、さらに(3)正解の対応はなんとなく分かっているが嫌悪感や違和感から正解の対応ができないためにどう反応すればいいのか分からなくなってしまうというストレス、ということだと分かった。

強い好意をあらわにされるのが苦手だ(上記(2)の①)。まず、怖いと思ってしまう。特に恋愛や性愛の文脈が明確な場合、「私を求めるこの人はなんなんだ」と、気味悪くさえ思ってしまう。

さらに、強い好意をあらわにされると、「私も同じだけの熱量を返さなければ!きっとそれが求められている!」と思ってしまう(上記(3))。でも、私はそもそもの好意の振れ幅がそこまで大きくないし、自分が好意をあらわにされるのが苦手なので自分から他人に対して好意をあらわにすることにも慣れていないし、そうすることに大きな抵抗感を感じる。そのためすぐに反応できず、相手は不満そうな顔をする。私はもちろん正解を知っているのだけど(例:「私も大好き」「私も寂しい」「私も会いたい」など)、どうしてもできない。やっぱり相手は不満そうな、あるいは不安そうな顔をする。私はどんどん焦って居心地が悪くなる。焦った挙句ようやく相手を安心させられるようなことを言えるが、どうにか場を収められたとしても「これは私の本心ではない」という違和感が残る。ついでに、こんな感じで返答に少しでも迷いを見せてしまうと、大抵の場合その場は収まっても関係にしこりが残るので、あとあと面倒にもなる。

また、相手が恋愛的に充足しているような顔を向けてくるのを見るのも苦手だ(上記(2)の②)。これもまた、怖い。自分には理解できない相手の心の動きが怖い。「この人は何をしているんだろう」と思ってしまう。

そしてまたこちらも、「自分も相手と同じように充足感を感じなければ!この状況における正解はそうすることだ!」と思ってしまう(上記(3))。でもやはり感じられないものは感じられないので、むしろ嫌悪感が強まっていく。相手が充足していればしているほど冷静になってしまう。没入してしまえば何も考えずに充足感を得ることができるのかもしれないのだけど、没入できない。その状況はとてつもなく居心地が悪い。(※)

こういう、恋愛ぽい雰囲気に没入できない感じとか、自分を求められることを喜べない感じとか、やはりアロマンティック的なんだろうなと思う。

書いていると(2)の嫌悪感や違和感よりも、(3)のストレスの方が詳細に書けてしまう。が、アロマ/アセクであることを感じる最初はやはり(2)の嫌悪感や違和感だ。本当は(2)で示した心理をもっと的確に言語化したいし、その方が説得力も増すのだろうが、ただ「そう感じる」としか書くことができないのがもどかしくもある。ただやはり、「説明できないのだけど(2)のようにどうしても感じてしまう」という事実が全てだと思う、ということを強調しておきたい。

(※以下恨み節です。こういうのが続くと、それっぽい雰囲気を察知するやいなや回避したくてしたくてたまらなくなっていく。はっきり拒絶すれば泣き叫びながらすがりついてくるし(比喩ですがそういうタイプの人だった。まあ恋愛において多くの人はそうなのか…?私が逆の立場だったら多少自分が悲しくはなっても、他者にとって嫌なことを無理強いできるほど自分あるいは関係性というものが強い力を持つと思えないので、相手に我慢させるくらいなら離れてお互い健康に生きていこうね、という選択肢を取るタイプなんだけどな…。彼はそういうタイプじゃなかったし恋愛関係は絶大な力を持つと思っていたし恋愛規範が大好きな人だったみたいだね…(恨み))、だからといってはっきり拒絶しなければ適度に回避し適度に我慢し続けねばならず、どう転んでもストレスがかかる。地獄!!!)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?