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誰かの死を願う、そんな人生は嫌だと言った日

私は今、5人家族で、小さな小さな2ldkの賃貸に住んでいる。

リビングと、一部屋は5人みんなで寝る寝室で、もう一部屋は物置になっている。
長男は次小学四年生で、次男はいよいよ入学である。

そう、とにかく狭い。
夫婦ともに読書が趣味なので、物置にもリビングにも本棚を多数設置し、本はびっしり。長男の学習机はリビングの一角に。工作が大好きなので机の上には工作が山盛りになり、勉強どころではない。

第二次性徴期を迎えれば、1人部屋も必要になるだろう。
そう思い、何度も断捨離を行い、物置部屋を片付けたが、半年も経てばまた元通り状態である。

いよいよ広いお家に住みたい!

しかし、我が家には問題がある。

田舎の『同居問題』である。

ここは4年前に引っ越してきた、農家が多い田舎町。
別居している家は少なく、同居して、一緒に農作業を行い、家事育児もすべて嫁が行っている家族が大半な、田舎町。

私は、この町に住めば住むほど、同居が無理になっていく。

義父母は「いつか同居をしてくれる」と思っているかもしれない。いや、絶対に思っているだろう。

フェミニストな嫁と、昭和な考えの義父母。
いや、昭和どころではない。戻り戻って明治くらいの考えである。(この前なんて、男子厨房に入らず、なんて言ってたからね…)

私は絶対無理だと思っている。

夫は、私が折れたら同居しようくらいに思っているのではなかろうか。

しかしまぁ、田舎って、賃貸が全然ないんだよね。空き家ばっかりなのに、賃貸がないの。

いやでもさぁ!私の理想はさ、子どもたちが友達をいっぱい呼べるようなお家なわけ。
子どもにいつでも友達呼んでいいよ、いっぱい呼んでいいよ、って言いたい。

今は庭もない、リビングも狭い賃貸。
お友達を6人よんだ時には、6人+兄妹3人で本当にぎゅうぎゅうだった。

実は、家を建てるのは嫌だった。
だって、この場所に永遠に住む覚悟がつかなかった。

でも4年暮らしてみて、このこじんまりとした人間関係も結構気に入っている。
農作業の仕事も、もしかして天職なんじゃないか!ってくらい気に入っている。

でも、同居は無理だ。
夫が洗濯物を干している姿なんて見かけたら、義母は頭が沸騰するんじゃないだろうか。
逆に、私だって「末っ子孫ちゃんは、女の子なんだから、お手伝いいっぱいさせなきゃね!」なんて言われた日にゃ、頭が沸騰する。

「この土地に住む覚悟もできたし、理想的な賃貸はないし、そろそろ家を建てたいな」

と私は呟いた。

夫はびっくりしたような顔で私をみた。
そして言った。

「実家どうするの?仏壇もあるし、固定資産税も払わなきゃいけないし。俺だって建てるのが理想だけど、義父母は許さないと思う。もうあと20年経ったら、老人ホームに入るかもしれないし、そうしたら実家に住めばいいじゃん。それまでは、もう少し広い賃貸を探さなきゃいけないかもだけど…」

え?20年後??
20年後に、義父母が大事に住んできた家から、義父母が出ていくのを待つってこと?

それって、1番残酷な選択じゃないだろうか。
お金の問題以上に。

はっきりひどい言い方すれば、死ぬまで待って、あの家に住んだら?ってことでしょう?

じゃあ20年後、義父母が元気にあの家で暮らしてたら、後何年で実家が空くのか、そしてそれを願いながら生きていけってこと?

私は、死を願う、モンスターになっている。

空き家問題よりもひどい問題だ。

「ごめん、それは無理。誰かの死を願う、そんな人生は無理。私の倫理観的にも絶対無理。お金とかそういう問題じゃない。一緒には住めないとは思ってるけど、2人の幸せは願っているし、ずっと元気で長生きしてほしいと思ってる。ただ、2人を幸せにするのは私じゃないと思っているだけ」

夫は目を見開き、そして黙った。

まだ問題は解決していない。
これからも、長い話し合いが続くであろう。

今日も穏やかな一日となりますように。