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オサベさん、どうも!

日曜日の朝のルーティンといってもよいか、娘がプリキュアを見終えたあと、コーヒーを飲みながら昨夜に録画した明石家さんまさんの『お笑い向上委員会』を楽しむ。さんまさんの年齢を感じさせないエネルギッシュなパフォーマンスに爆笑させられながら我が身も覚醒し、明日への活力とするのだ。
思えばおよそ三十年以上前、自分の少年時代も、日曜日の朝はさんまさんの番組でスタートしていた。『テレビくん、どうも!』という番組。さんまさんがホストとなり、毎週ゲストを迎えテレビについてトークを繰り広げる内容の番組であった。レギュラーはさんまさんだけでなく、ゲージツ家のクマさんこと篠原勝之さんと作家の長部日出雄さんがいた。大変有難いことにYou Tubeにこの番組の動画を投稿してくださる方があり、懐かしく楽しませてもらったが、改めてみると、さんまさんは本名の杉本高文の名義で出ていたり、レギュラー陣の2人といい、今となってみるとなんとも不思議な番組だ。この頃小学生だった僕にはちょっと難しい内容で、ひょうきん族やいいとものように熱心にハマった番組ではなかったが、特別なんの用事もない日曜日の朝にはよく見ていた。
 篠原勝之さんはこの頃『笑っていいとも』木曜日のレギュラーだったので知っていたが、長部日出雄さんのことは正直まったく知らなかった。しかしその後、1960年代の大島渚や篠田正浩といった気鋭の監督たちの作品群を『松竹ヌーベルバーグ』と命名したのが長部日出雄さんであり、また、当時まだ二ツ目だった柳家小ゑんこと、後の立川談志の才能を見極めてマスコミに最初に紹介したのもこの長部日出雄さんであったことを知り、僕にとって非常に気になる人となった。そして少しずつだが長部さんの作品に触れ始めた。
 『醒めて見る夢』という作品がある。一言で括れば長部さんの自伝なのだが、そのタイトル通り、それが夢の中の出来事のように語られていく。いくつか痛く共感するものがあった。「二十代のある時期から深酒した翌朝は宿酔の苦しみのなかで、前夜の失態と暴言の苦く果てしない反芻に始まり、だんだん過去に遡って罪悪感をともなう所業の数数がつぶさに思い出されて自責の念にさいなまれ〜」「あるとき街の中心の通りを歩いていて自分は史上最悪の犯罪者であるという観念に捕らえられた(略)書店の医学書の拾い読みで、それが鬱状態を示す兆候でのひとつであるとは知っていたけれど、だからといってといって重苦しい罪悪感が消えるわけではなかった」
おなじような苦しみを自分も味わっていた。身近な人たちには話したところでまったく理解されないであろうこの苦しみ。僕は長部さんに精神的な面でも強く共感を覚えた。
僕の少年時代、映画館に連れて行ってもらうこともあまりなく、家では9時就寝という決まりで、ビデオデッキというものもなかったので映画に触れることがあまりなかった。80年代の名画など殆ど知らないままでいた。当時に書かれた作家のエッセイなど読み、映画についての記述からそのタイトルだけが記憶されている作品が挙げられていると、当時が懐かしく思い出される。もちろん挙げられた作品は未見のものが殆どである。大岡昇平さんの『成城だより』に「ネバーエンディングストーリー」を鑑賞したことが書かれており、戦後文学の大家である老作家が子供向けのファンタジー映画を楽しむ姿を想像するとなんとも微笑ましい気持ちになる。読後すぐに『ネバーエンディングストーリー』を借りに行った。また池波正太郎さんの『銀座日記』は映画、食事、買い物など余暇を楽しむ大人の上品な遊び方に魅せられてしまい、映画においては様々なジャンルに通じており、本書に挙げられた未見の映画をレンタル屋で探すことも、自分にとって新たな楽しみになった。長部日出雄さんも映画批評家としては超一流と言っていいほどの人だろう。長部さんの映画関連の本から未知の映画をご教授願いたいと思い、古書店で『紙ヒコーキ通信』を購入した。決して招待券を受け取らず、映画はすべて自費で鑑賞する。このあまりにも誠実で熱い映画愛。それにしても『紙ヒコーキ通信』を読むとその鑑賞した映画の数に脱帽する。本書で挙げられた自分にとって未知の映画を鑑賞する。まだまだ人生楽しめる。長部さん、どうも!
先日古本屋で長部さんの少年向けの作品『戦場で死んだ兄をたずねて』を見つけて購入した。フィリピンで戦死した兄の最期の地を訪ねるという内容である。この体験は『醒めて見る夢』でも書かれていた。まだ6歳のわが子には難しいが、読めるようになる日を待って成長の糧としてあげたい。

長部さん、どうも!
まだまだお世話になります。


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