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やりたいの理由探しなんかいらない。

なんでこんなことしてるの?その先に何があるの?目的は?


あーーーーーーーーーーーーーーい!!!


やりたいからやってるんだよ〜〜〜〜〜〜!

はい。どーも、ゆーきです。

何かと理由が必要な世の中だなぁ。そう感じることがときどきある。理由がないと、メリットがないと、それは無意味なことだ。そんな世界が通り魔のようにふらっと現れてはスッと心に氷のような針を刺していく。

世界が豊かになっていくことは本当に素晴らしいことだと、そう思う。昔より何十年もの長い時間を人々は生きることができるようになり、行きたい場所にも簡単にいくことができる世界になった。しかし、発展していくにつれて、人々が効率を求めるにつれて、何か無意味にみえるけれど実は僕らを構成する上で大切なものを、ぽろりと落としてきてしまった。そんな気がしている。

「やりたいからやっている」「好きだからやっている」「知らないから知りたい」それだけで十分素敵な理由なんじゃないかな?

歩いて日本一周をしている現在、毎日のように「理由」を尋ねられる。最初の方は、本を作っているんです。この活動で日本中に元気を与えたいんです。日本の全てをこの足て見て回りたいんです。などなど、相手に伝えたら納得してもらえるような言葉を選んで探していた。もちろん全て真実であって、嘘ではない。ただ説明できなければやっちゃダメなのかな?

「なんでやろうと思ったんですか?」

「やりたかったからです」

そう伝えると納得してもらえない。というか微妙な顔をされる。いいじゃん。それが1番の理由なんだから。最近まで色々とわかりやすい理由を作って伝えていたけど、もうやめた。

もちろん、やりたいの解像度をあげて自分を見つけ出すことも大切だと思うけど、それが見つからないからってやっちゃいけないわけじゃないんだよ。

大体のことは後から理由がついてくる。あなたの「〜したい」「〜してみたい」そんな素直な想いに理由が付随する必要なんてない。

「やりたい」

それだけで十分立派で美しい理由だ。人生を賭ける価値だってある。もっと自分の心に素直に、やりたいに正直に生きていってもいいんじゃないかな。納得してもらうためだけのやりたいの理由探しなんていらない。無意味なことなんてこの世にないんだから。

そんなわけで僕が日本一周をしている理由は「やりたかったからです」


日本一周中に美味しいご飯を食べるお金に充てさせていただきます。