トリッキーな国字とアイデンティティクライシス
5月20日から選名を使い初めて、数日した時にある漢字を探すのに鑑定ハンドブックをパラパラめくっていました。するとある文字が目に飛び込んできてフリーズ。掲載されていないと思い込んでいた、苗字の1文字目(戸籍の漢字)がそこにあった。
『え??なんでこの字があるの???』
そう、この戸籍の漢字の画数で計算した総画になった時、今の私の人生に見えてくるものがある。。。はぁ。。。ここに答えというか、今までの世界があったのかとかなり動揺した。(今も動揺がないとは言えない。)
『これって、どう捉えたらいいんだろう?』
あぁ、だからあの時、どちらの画数で見ましたか?とある師からメッセージがあったんだ。困ったな、どうしよう。。こうなったら鑑定ハンドブックを発刊しているところへメッセージを送ってみるのが最善だよな。うん、ダメ元で聞いてみよう!
メッセージを送ると、すぐに丁寧なお返事が届いた。原則講座に参加いただき講師とともに解消していくスタンスである旨のご説明と近く開催される日程をいただいた。そして今日がその講座の日だった。本当、長い10日間強、布団で寝れる気持ちの余裕もなくこの日が来るのを待った。
その間、この2つの漢字について自分で調べられることは調べてみた。
調べれば調べるほど、わからない。。。
それとともに、持っている公的な文書のコピーや、小学校と中学校の文集(名前の一文字目の記載が違っていた。)他にもいくつか家族の中にある書類や記憶。
そもそもなんで、うちだけ先祖と一文字目の漢字が違うのか???
母親と会話をしたりしたけど分からず。。。
そんな今日は、会場に向かうのにかなりのドキドキだった。
扉が開いて出迎えて下さった先生の優しい声と笑顔にホッと安堵。
大きな会場でご挨拶されることはお見受けしてたけど、実際対面1対1でこんな風にお話しするのは初めてだった。そして、もう一人の先生は博士風な感じを受ける方だった。
そんなお二人の講義が始まり、冒頭で、「知る」と「わかる」についてのお話しや、吉方の捉え方、全体性と個々の要素のお話はとてもハートにふるふるリマインド。こういうのって、本当に貴重で豊な時だなぁ。感謝♡
講義は進み、今回、国字について題材に話そうとされていた文字の中に、(私の知りたい)二文字の漢字の成り立ちの違いを話そうという案があり、それを相談していた時に(私からの)問い合わせがあったのよ、と先生が仰った。
私は鳥肌が立って、何かここで働いている縁(シンクロニシティ)を感じた。
漢字の成り立ちから、国字というトリッキーなシステムでこの字が結構解釈が難しいことになっていることを改めて知った。あるポピュラーな苗字も国字で、こういうトリッキーなことが起きる例があるらしいし。面白いなと思うとともに、「先祖の漢字」に戸籍を戻すことがかなり多難な感じを受けることにはなってしまった。
(なんなら戸籍に先祖の漢字をカムバックするぞ!と意気込んでいたのだ。。。)
ある漢和辞典には、「先祖の漢字」は戦前にはなかったが、戦後にちょろっと ’「戸籍の漢字」と同じ’ と書かれていると説明を受けて、あぁ、これがきっと調べた中で出てきてた、私の中学校の文集がいきなり「戸籍の漢字」になっていた影響のことだと思った。小学校は「先祖の漢字」で掲載されているのだ。
これを外から見てみると、今の状態、我が家は先祖からのファミリーツリーからレールチェンジされているということなのだ。親戚とも先祖とも違う苗字一文字目。
実は、私はずーっと先祖の漢字を使って生きていて、戸籍の字に馴染みがうすい。
「先祖の漢字」’「戸籍の漢字」と同じ’ だから、どっちを使ってもOKと子どもの頃に言われていたので、最近まで不思議と思うことがなっかった。前職場も「先祖の漢字」で登録されていたし、それが1年半前に再就職した時に、「戸籍の漢字」でないとダメだと言われることが増えて困っていた矢先のこの出来事。(職場でのメール登録名は「先祖の漢字」で押し通したけど)
そんなこともあるからか、なんか話して泣けてきちゃったのだ。
(私の中で、ルーツということへのなんらかの使命感があるみたい。)
「ココロの問題になっているのね。」
先生が優しく受け止めてくれて、さら涙ポロポロ。
すると博士風の先生が、お父さんの苗字、おばあさんの名前で国字や、口頭による届けで戸籍の漢字や名前が変わった体験を持つ人を知っていらして、先生のおばあさんは小学校上がる前に戸籍を取りに行ったら違う名前が書かれていて、変えてもらえなかったと。。
「一種のアイデンティティクライシスだよね。」
ほんとそうだよね。私が苗字ですらそう思うのに、名前だものね。。。
妹は小学校6年の時に文集を書く時、先生に指摘を受けたと言っていて。
私は1年半前の再就職の時に、そこを自覚するという…。
今日のことが解決にはならなかったと思うけど、少しでもスッキリできたらいいんだけど、お父さんも先祖になるので、まずはそこからはじめないとね、とアドバイスをいただく。
そう、父が元気でいる今、私がきちんと確認して選択、行動していくことが必要なんだなぁ、家族のためにと思う。まずは、父と話そう。
長くなったけど、そんなことがあって選名に選んだ名前のことを思う。実は、この名前に最終決めたのは苗字がどちらの画数でも対応できるようにだった。
その時、「代」に対してのマッチング反応が若干ぼやけていたのだけど(火の質で入れたい文字だった)、今回のことで、この名前を一致団結して決めてくれた、私の中のプラネッツたちにありがとう!だ。
『ご先祖さまからいただいた佳きことを繋いでいく』
おっきなテーマだけど、がんばります!
名前は「生き方の中に導入する」ことで、その氣が立ち上がる。
自分が歩んで、生かされてくる。その意味合いのために努力をすること。
その体感があって始めて(冒頭で出た)「わかる」になるのでしょう。
(今日の講義での一番響いたお言葉)
桝本佳代子
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