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土手三番町の首懸の松 鴻の台の鐘懸の松

 千葉県市川市国府台の里見公園には、戦国時代の古戦場があります。国府台は、(こうのだい)と読みます。
 1538年に足利義明と里見氏の連合軍が北条氏と戦いました。この戦いで足利義明側は、国府台の川沿いの土手の松の木に戦鐘を吊るしました。その松の木は後世、鐘懸の松と呼ばれます。
 その松の木は、昭和初期に台風で折れて現在はなくなってしまいました。鐘をかけた松があった場所だけが、史跡として保存されています。

 その鐘懸の松が、夏目漱石の『吾輩は猫である』の1場面にでてました。主人公の猫くんの飼い主、苦沙弥先生宅にて彼の元学友の迷亭氏、苦沙弥先生の元教え子の水島寒月君が松の木について話しています。

 迷亭氏「━━ちょいと首を上げて土手の上を見ると、何時の間にか例の松の真下に来ているのさ」
「例の松た、何だい」と主人が断句を投げ入れる。
「首懸の松さ」と迷亭は襟を縮める。
「首懸の松は鴻の台でしょう」寒月が波紋をひろげる。
迷亭氏「鴻の台のは鐘懸の松で、土手三番町のは、首懸の松さ。━━」

 国府台が鴻の台になってますが、小説の注解によると市川市国府台の鐘懸の松を指しているそうです。
 
 それと、迷亭氏の「土手三番町の松」というのは、当時なぜか人がその松の木で首を吊ることで有名だったそうです。
 江戸城の旧外濠沿いの土手で、現在の市ヶ谷駅の近くにあったといいます。

 今現在は、市ヶ谷の土手と言うと桜の名所でキレイな遊歩道が整備されています。桜の木に混じって松の木もたくさん生えていました。迷亭氏がいうには、道路の方に枝が横に伸びている松の木があるそうなので、それらしい松の木を探してみました。

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