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『ブッダのことば スッタニパータ』完結その⑥ 瞑想の実践

 長年『スッタニパータ』やスマナサーラ長老の本を読むうちに、原始仏教は瞑想を最重要としてることが、わかってきました。しかし、本格的に瞑想に取り組むこともないうちに歳月は過ぎて、自分はある年に大きな病にかかりました。
 そして、その大病の再再発が疑われて検査した頃、自分なりに真剣に瞑想を行いました。
 再再発かもしれないとなって、即検査をして病院からの帰り道、心の中は重く身体も重くて、30メートル先の駅そば屋も遠く感じました。そばを食べてもその味が美味しいことが、なんの意味もないことに思えました。あの感覚を絶望といえるかも知れません。
 家までどうにか帰ってきて、スマナサーラ長老の『現代人のための瞑想法』という薄めの本を読みました。読んでいるうちに心が冷静になってきて、書いてある瞑想法を実際に行うと。再再発のことは検査結果を待つしかないので、今心配しても意味がない。今の心まで落ち込むことはない、と気持ちを整えられました。
 瞑想をさらに続けていると、それまでの人生がずっと何かを恐れていて、その恐れる心を自ら誤魔化していたことが明らかになってきました。
 検査結果が出るまでの数日間、あまり恐れることなく過ごせましたが、今思えば、やはり誤魔化しが潜んでいたと思います。
 
 検査結果が出て再再発ではなかったとわかって、やっぱりそれは喜ばしいもので、同時に仏教の瞑想の境地はまだまだ自分には遠いいのだと思い知らされました。

 自分はこの経験から、瞑想を少しずつ生活に取り入れるようになりました。瞑想というとスビリチュアルとか神秘的なイメージがあると思いますが、そういうものではなく。原始仏教の瞑想は根性論や禁欲的なものでもありません。心を向上させる理論的な方法だと思います。

 とりあえず、6回にわたった『ブッダのことば スッタニパータ』を今回で一応終わりとします。お付き合いありがとうございました。

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