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19th hole(ナインティーンス・ホール)  《ゴルフ・ミステリー》《フー・ダニット&ダイイング・メッセージの謎解き探偵小説》 【全三部構成】【第一回/前編・問題編】                        歳池若夫・作

 業界人仲良しゴルフコンペのプレイ中に発生したアイアンによる殴打殺人未遂事件。
 被害者が現場に残した一本の「サンドウェッジ」は、犯人を示すダイイング・メッセージなのか!?          

     1

 男は、カートの後ろのゴルフバッグから愛用のドライバーを引き抜いた。
――畜生っ。あのアマ、もう許せねぇ!
 ティ・グラウンドに上がるのではなかった。ボールを打ちに行くのでもない。グリップを野球のバットのようにゲンコで握り締める。
――ドタマブチ割ってやる。へらず口が二度ときけねぇようにしてやるっ!
 声に出さず、威勢のいい啖呵を舌でこねくり回す。もともと生まれが東京の葛飾で、別れた元の妻も川向うの千葉の人間だった。親子喧嘩や夫婦喧嘩はいつも関東の強い言葉でやり合った。頭に血が昇ると、こっちに来てからの普段の喋り方ではなく、ついついお里がバレる言い回しが出てしまう。
 ぶんと、ひと振り素振りしたところで、少し冷静になった。頭が回るようになった。
――待てよ。いくらなんでも、自分のクラブ使つこたらあかんか。他人のガメて使うにしても、指紋付いたらマズいやろ。指紋つけんようするには、両方の手に手袋嵌めなあかんわな。でも、今日は、余分なの一枚も持ち合わせとらんし……
 いつもの関西風言葉遣いに戻った男は、ちょうど昼時で無人になった別のカートに近寄り、運転席のカーゴにかけて干してあった黒いゴルフグローブに手を掛けた。
 ――よし、こいつを失敬しとこ。これ使つこて、後は午後のホールのどこかでヒットチャンスを待つだけや。

 そのワンチャンスは、午後のインコースに入って暫くして、13番ショートホールの所でやって来た。
 前の組が何組も詰まっていて、売店休憩所横に無人のカートが数珠繋ぎで停まっている。出番を待つ連中は、休憩所でビールを飲んだり、ティ・グラウンド横で素振りなどしているようだ。
――しめた。うまい按配に、誰もおらんわ。
 男は、両方の手にしっかりグローブを嵌めて、慎重に周囲を見回した。停まっている無人カートのバッグのひとつに手を突っ込み、適当にゴルフクラブを一本抜き出した。
 黒い7番アイアンだった。グリップもシャフトもクラブヘッドもフェイスもすべて艶消しの黒一色。特注のクラブなんだろう。モノトーンにこだわるこのクラブは、確か、粋人とも奇人変人とも言われる「あの人」の物だったはず…… 
 構う事はない。人を殴る凶器にまっ黒い棒はお誂え向きだ。持ち主の「あの人」には申し訳ないが、頂戴してしまおう。
 男は艶消しブラックアイアンを握り締め、誰にも見られないようにして売店休憩所の後ろに向かった。建物裏側にある屋外用簡易トイレ前の垣根の陰に忍び寄る。
 身を屈め息を殺し、「やつ」が出て来るのを待つ。赤い人型マークを掲げた女性用の小扉の中に「奴」が入って行くのは、先ほどこの目で確認済みだ。
 トイレットペーパーのロールがからから鳴った。水を流す音が聞こえた。
 男は立ち上がり、黒い7番アイアンを振りかぶった。昔、高校の時に剣道部だった。上段メン打ちはゴルフより得意だ。
 開いたドアの向こうに相手の脳天が見えた。長い黒髪を後ろで束ねている。ガラス越しに草色の服が見える。「奴」のその萌えるキャディ制服姿に目が奪われて夢中になって、さんざ貢がされて、あっさり捨てられたこの俺がアホだったという訳だ。
――しかも、追い打ちで、子供堕ろしたから慰謝料よこせと強請ゆすって来やがって。ふざけやがって。もう、生かしちゃおけねぇ。
 全身の血が沸騰し、大上段から気合いのメンを打ち下した。
――くたばれ。アバズレがぁぁ!
 クラブヘッドが黒髪を切り裂く瞬間、顔を上げた相手の視線をまともに受け留めた。
――あっ。こ、これは……? まずい! ヤバいっっ!

【主な登場人物】 
烏谷由伸からすや よしのぶ(カラス先輩・師匠)……大阪難波にある書店『烏谷書房』店主。HCハンディ・キャップ19。
男川正朗おがわ まさろう(マーロウ)……自虐癖のある貧乏エロ漫画家。HCは判定不能。
信貴之端しぎのはた利治(幹事長)……関西書店商業組合の重鎮。HC18。
・砂山祐一郎(先生)……税理士。HC7。
羽犬塚はいぬづか哲夫(ワンテツ)……大阪の書店店長。HC24。
・羽鳥雅樹(マスター)……大津市内でコーヒーショップを経営。HC10。
・高橋亘(バンカーマン)……大手都市銀行支店長。HC10。
・斎藤智弘(トモくん)……元『烏谷書房』店員。現在フリーター。HC28。
餘部あまるべさん……音羽山国際カントリークラブのキャディ。 

      2

 府県境の長いトンネルを抜けると、湖国うみぐにだった。
 大海原のごときあおき水面に朝のひかりが煌めき、白い波頭を四方に散らした。
 ……そんな拙い文学的表現を思い浮かべて少しは心を落ち着かせようとするものの、今自分が置かれた状況は、毎度毎度の原稿締切り前の修羅場によく似た崖っぷち綱渡りであった。
 男川正朗おがわまさろうは、いつも絞られてる担当編集者の顔以上に恐ろしい魔人の顔をルームミラーの端に見ていた。
 魔人は、カラスみたいな尖った眼をこちらに向け、くちばしの先から毒気を吐いている。
「ほんにいい天気やのぅ。まさに絶好のゴルフ日和や。これはヘタ打って120くらい叩いても、お天道様や風神様や芝生の神様のせいにでけへんで。まあ、それもこれも、今からゴルフ場に無事に到着でけたらの話やけどな」
「も、も、申し訳ありません。はい、今朝寝坊してしまった僕のせいです。夕べは、つい心斎橋のビジネスホテルの部屋で一人で前夜祭して飲み過ぎちゃいまして。二日酔で起きられなくなって……そんで先輩を迎えに行くのが遅れちゃって。すべて僕が悪いんです。許してください。ごめんなさい」
 脂汗まみれの手でステアリングを握り締め、男川はフロントガラスに向かって頭を下げ続ける。
「やかましい。謝るならこっち向いて頭下げんかいッッ! ちゅうても、よそ見運転されたら困るがな。前向いてもっとアクセル強く踏まんかい。このままやとスタート時間に遅刻するやろが。遅刻の罰金は2分につき金一千円徴収や。ワシら、ケツの毛まで抜かれてまうどッ」
「ひいい。こちとら貧乏なカタギの自由業なんで、どうかご勘弁くださいましぃ~」
 米国車ブランドエンブレムを誇らしげに掲げた年代物の小型クーペ、実態は広島産シャシーの上に山口県産ボディを載せてるだけという羊頭狗肉右ハンドル車は、渋滞で数珠繋ぎになった名神高速の本線車道を横目に、路側帯エリアを時速130キロ超の猛スピードで爆走している。
「せ、先輩。カラス大師匠。もうすぐです。もうすぐ。もう大丈夫。ゴルフ場はすぐそこですから」
 当年とって三十三歳の自称「エッチな大人の絵本」作家は、助手席にふんぞり返る前職某漫画プロダクション時代からの腐れ縁先輩――今は大阪難波で小さな書店『烏谷からすや書房』店主をやってる烏谷由伸氏――通称カラスのおっちゃんに愛想笑いを投げた。 
 視線を戻した先に、大津インターチェンジ出口車線が見えた。「ほぅら、高速降りればゴルフ場はもう目と鼻の先です。音速のスピードで着いちゃいますよ」
 アクセルを緩めて左ウィンカーを出した。緩いカーブの先に、くるくる回る赤色燈が見えた……
 
 琵琶湖南岸小高い丘陵に拡がる音羽山国際CCカントリークラブのエントランスにオンボロ小型クーペが到着したのは、20分後の9時半を回った頃だった。
 ロッカールームで秒速で着替えを済ませた二人は、シューズの紐もうまく結べないまま、キャディマスター室前まで全力疾走する。
 二台の電動カートを囲んで、六人の男たちが烏谷と男川の二人を待っていた。
「えろぅ、すんまへんすんまへん。いやはや、今までパトカーと追いかけっこしてもうて。まあ、最後はウチらが勝ちましたけんどな。がははのは」
 カラス氏は、普段ならばトレードマークであるブラックファッションで決めているのだが、本日は黒星を避けたいというゲン担ぎで、鮮やかなライトグリーン地に自店の看板ロゴマークを掲げた特製シャツをお召しである。心臓の真上では、本を抱えた気取り屋カラスがワンポイントでウィンクをしている。
 さらに、C調とハッタリ溢れるネイティヴ関西オヤジ顔に目をやれば、永く自慢してた嫌らしいカルロス髭はすっぱり落とし、時にアフロになったりドレッズになったり忙しかった長い髪は後ろでひとつに束ね、古武士風の総髪にして渋く決めている。
「ほんじゃ、これで全員揃たみたいどすな。皆さん、おはようさんどす」
 お地蔵さんそっくりの慈悲深い丸顔をした小柄の老紳士が進み出た。
 京都市内で書店をやりながら関西の書店商業組合の幹部を務めているという信貴之端利治氏だ。温厚で世話好き、万人が認める人格者だそうで、この気の合う仕事仲間遊び仲間の定例懇親ゴルフコンペも、常任幹事長として仕切っているらしい。
「はいな。本日は、ご覧のように絶好のゴルフ日和どす。こりゃ、たとえスコアが悪かろうても、勝負に負けはっても、横風や砂地や池の水や芝目のせいにはでけまへんで。ほっほっほ」
 お地蔵さんは破顔一笑し、コンペメンバー表を取り出して指をべろりと舐めた。
「えー、今日のコンペには、初参加の方がお二人来られたはります。常連メンバーの砂山税理士先生にご紹介いただいた地元大津市の高橋亘さん。それと、難波の烏谷書房の烏谷社長はんご紹介でお越しの、オ、オトコガワさん?」
「男川です。オガワマサロウと申します。皆さん、初めまして」
 まだ息が荒いまま、直立不動で前に出る、東京からやって来た新参者。
「あいや。失敬。男川正朗はんは、烏谷はんの東京遊学時代のご友人ちゅう事でしたな。ちゅう事は、男川はん、遠いお江戸の地から、わざわざこっちまで来られはったんでっしゃろか?」
「はい。実は私は、大恩ある大阪の烏谷由伸先輩から、最初はギャラのいい送迎運転手としてバイトを頼まれたのですが、東名と名神をすっ飛ばしてこちらへやって来た後で先輩から聞かされたのは、送迎だけでなく、このゴルフの会に一緒に参加せよとのご下命でありました。私は、ゴルフは超ヘタクソなので固辞したんですけど、烏谷先輩師匠に強引に言いくるめられてしまいまして。そんな訳で、甚だ僭越で恐縮ではありますが、不肖後輩であるこの男川正朗、今回のコンペメンバーの末席に置かせていただく次第となりました。皆様にはご迷惑をいっぱいおかけすると思いますが、本日は何卒よろしくお願いします」
 馬鹿丁寧で長くくどい挨拶をし、上半身を45度の角度に折り曲げる。
 コンペ幹事長氏はうんうん頷いてから、
「ははん。そうどすか。そりゃまた、カラス先輩大師匠はんもずいぶん罪作りなお人どすなぁ。どうせ、そのギャラゆうのも、最後はツーペーにする腹づもりやろに。……ま、それはさて置き、皆の衆、この初参加の高橋亘はんと男川正朗はんのお二人の今日のハンデキャップは、どないしまひょ?」
 問いかけに、一座の中から背の高い男性が進み出る。
「あの、よろしいでしょうか。私は、先ほどご紹介いただきました初参加の大津の高橋亘と申します。本日はよろしくお願いします。で、さっそくなのですが、私はハンデ14をいただきたいですな。この一年間の私の平均スコアが86なものですから」
 きちっと髪を七三に分け、銀色フレームの眼鏡をかけた、いかにもお堅い金融関係者といったキャラの人。地味な色柄だが高級ブランドのゴルフウェアで上下を固めている。
 彼は律儀に、日誌みたいな手帳を差し出した。そこには細かな数字で、これまでのゴルフの戦績が記されているらしい。
「ほほう。高橋亘はんは、我が書店組合の滋賀支部がいつもお世話になってはる銀行はんでしたわな。本日はようこそおいでやす。そんでまた、ぜひお手柔らかに。でも、本の商いでも何でも、初物はつものは、まずは七掛けいいますよってな。それになろうて、私の権限で、今回初参加の高橋はんのハンデは、14の七掛けで10ゆう事にさせていただきまっさかい。そんで、堪忍したって。……で、男川はんの方はと」
「ああ、こいつは判定不能やで。この前ワシと一緒に回った時、マーロウ、ジブンいくつ叩いたっけか?」
 意地の悪いカラスが余計なイケズを挟んだ。
 男川は俯いて答えた。「……144です」 塩を掛けられたナメクジみたいに縮んでしまった。
「そや。スーパーダブルパーやで。そら、こいつにハンデ72なんぞあげるわけにはいかんがな」
「あらまっ。そんなお方連れて来はったんでっか。男川正朗はんはゴルフ習いたてのビギナーはんなんやろか」
「いえ。もう10年近くゴルフやってます」
 万年ブービーメーカー男はますます小さくなる。「だからヘタクソだって言ったのに……」泣きべそをかき始めた。
「ま、まあ。ええどすがな。ええ歳した大人がゴルフごときでめそめそ涙こぼさんでも。ほんじゃまぁ、男川正朗はんは、間を取ってハンデ36ゆう事にしまひょ。よろしおすな。皆の衆」
 誰からも異議は出ない。
「ほな、決定。そいじゃ、ハンデ36のゴルファーはんと一緒やと皆さんあれこれ不安になるやろから、男川はんが入らはる組には、特別サービスでキャディをつけてあげまひょ」
 優しいお地蔵さんは、おほんと咳払いした。
「そんでと。えー、毎度ながら確認させてもらいまっけど、ルールは、いつもと同じノータッチでグリーン上OK無し、ゆう事でよろしおすな。罰金も、OB池ポチャ3パットにバンカー複数打ち誤打球にロストボール、これらがすべて一個につき千円徴収と。それと、空振りに1ホールがダブルスコアになった場合も同様」
 聞いてる男川は頭がくらくらして来た。そんな超シビアでタクティクスな鉄火場ゴルフだなんて、事前に知らされてまへんがな……
「そんで、どうすんね、アレは?」
 カラス社長が甲高い声でいた。
「アレ? アレってアレの事やろか。そら、勿論どすがな」
「うひひ。やるんやな。アレ」
「勿論でっしゃろ。あんさん、ここの場所をどこ思たはるんどす」 お地蔵様の柔和な顔が下世話な助平爺いの顔に替わった。
「ひひッ。よし、頑張ろっと。ワシ」
「カ、カラス先輩、何ですか。そのアレって?」
「うん。これな。ええで。最高のプライベートルールや。名付けて、『ナインティーンス・ホール』いうんやがな」
「それって、どんな……」
 真っ青な顔になるお江戸からやって来たドンケツ・ゴルファー。
「まあまあ、始まってからのお楽しみやがな」
 昔の大学漫研時代も卒業後の勤め人時代も暗黒キャラクターで通して来たカラス氏は、より一層ブラックな顔になってカカカカカッと笑った。

 アウトコース1番ホール。雲一つない青空の下――
 ティーグラウンド前に、二台の電動カートの一団が到着した。
 男川正朗はカラス氏と一緒の先行第一組めに入れられた。同組の他二名は、先ほど銀行勤めと紹介されたお堅い雰囲気の高橋亘氏。そして、今回の参加者の中で一番歳が若いらしいイケメン風の斎藤智弘氏。
 コンペ幹事長の信貴之端利治氏は後発の第二組めだった。そちらの面子は、恰幅のいい税理士の砂山祐一郎氏と、地元大津市内でコーヒーショップを経営しているという茶髪で若作りの羽鳥雅樹氏。そして、カラス社長と仲のいい同業者だという大阪から来た芸人みたいにやたら喧しい羽犬塚哲夫氏を入れて計四名。
 先行第一組のエチケットリーダーを任された書店社長のオヤジに、コンペ初参加者である銀行員が改めてご挨拶に来た。
「どうも。高橋亘です。新参者ですが何卒よろしくお願いいたします」
 名刺を差し出した。スコアカードに何枚も挟んで持って来たようだ。
「こ、これはご丁寧に」
 受け取ったカラス社長はぎょっとした。名刺の字面に、大手都市銀行の滋賀県大津支店長の肩書きがあったのだ。
 弱小書店経営者はほんのしばし考え、それからカートの自分のゴルフバックのサイドポケットをごそごそやりだした。
「あったあった。ワシの名刺。この前のコンペの時に、クラブハウスのフロントのお姐ちゃんたちに営業で配ったんが残ってて良かった」
 行儀よく自分の名刺に両手を添えて返礼する。
「どうもです。私は大阪ミナミの方で小っちゃな漫画専門の本屋をやってる零細事業主の者です。どうぞお手やわらかに」
「ほう。書店のオーナー社長さんですか。お店の名は、トリタニ……」
「ちゃいます。それは、関西ならば誰もがご存知、あの阪神タイガースにいた往年の名スラッガーの名前ですがな。うっとこはカラスヤ書房ですぅ。私はそこの代表者で、仲間内では、カラスのおっちゃんだの、カアカアうるさい真っ黒けオヤジだのと呼ばれてますねん。ご存知の通り、本屋業界は今は大不景気で、文字通り“クロウ”してまんのや」
「そ、そうですか。烏谷社長さん。本日は、どうぞよろしくお願いいたします。ええっと、お隣にいらっしゃる方は……」
 銀行支店長は男川の方を向いて、
「ご一緒の組で回っていただけるオトコガワさん……じゃなくて、オガワさんでしたね」
「はい、男川正朗と申します。ここにいらっしゃるブラック親爺――烏谷由伸社長さんの大学の不肖の後輩でして、卒業後も同じ会社で一緒に働く事になってしまい、さらにお互いが会社を辞めてフリーになった後も、今に至るまで永く個人的ご指導ご鞭撻をいただいているという半人前の男です」
 タフで生きなければならない個人事業主のはずなのに、ゴルフバッグのポケットに仕事用名刺を入れて持って来るほど男川は有能社会人ではなかった。職業を聞かれたので、フリーの文筆業だと答えておいた。
「ほほう、小説家の方ですか。すごいですね」
「いえ。活字の方はとんと不得手でして。私は、所謂『大人の絵本』というものを描いております。絵本といっても、子供に読ませたら手が後ろに回ってしまうものですが」
 適当に答えた。金融関係者や借金取りを相手にするのは苦手だったのだ。
 残るもう一人の先行組メンバー斎藤智弘は、カラス氏の店の元従業員との事だった。退職した現在は失業の身であるという。おっちゃん社長は彼をトモ君と親しげに呼んでいるが、当の斎藤青年の方は言葉の端々にどことなく棘があって、元の雇い主に対して、もやもやした変な感情を持っているように見えた。
 
「それではぁ、みなさーん、本日はよろしくお願いしまっすぅ。わたしはぁ、皆さんと今日まる一日ご一緒させていただきますアマルベと申しまっすぅ」
 草色の制服に豊満な胸を包んだ女性キャディが、これまた大きな尻をぷいと後ろに突き出して腰を折った。歳は三十代後半であろうか、長い黒髪を女子高生みたいに後ろで束ね、鼻にかかったハスキーボイス。笑顔と語尾がオチャメで可愛い関西のオバハン、じゃなくてオネーチャンだ。
餘部あまるべはんか。あんた、もしかして日本海のカニの美味い所の生まれかいな」
「はあ、そうですぅ。兵庫の但馬の海沿い出身ですぅ。よぉく解りましたねぇ」
「有名な山陰本線の鉄橋があった場所と同じ名前やがな。ワシ、鉄道大好きのテッちゃんやさけ、あてずっぽうや。ほんじゃ、はい、これはささやかやけど我々からの心付けや」
 カラスのロゴマークを胸に掲げたエチケットリーダーが差し出す白い包み紙。
「あら、あーらららン。すんませんねぇ。お客さーん。気ぃ使うていただいてぇ。じゃ、遠慮なくいただきますぅ。うふふふン」
 キャディ女史は艶然とシナを作って受け取った。だが、男川は知っていた。先程カラスの書店店主が、現金ではなく自店の余り物の五百円の図書カードをこっそり紙に包んでいた事を。
「じゃあ、艶っぽいキャディさん、あんじょう頼むで。今日はガチンコのセメントマッチや。一人だけドヘタッピーおるけど、めげずに面倒見てやって。あ、それと、今日は例のアレ、『ナインティーンス・ホール』やるで」
「ええーっ、やだぁ、お客さんたちったらぁ、エッチぃ!」
 キャディ姐さんが黄色い声出してクネクネ身悶えする。
「ええがな。ワシらの一番の楽しみや。なもんで、グリーンの上では特に気を使うてや。あ、それと、今回はパットの距離を計れるメジャーなぞ持ってくれはったら実にありがたいんやけどな」

 そんなこんなで、さあ、プレイ・スタート。
 くじ引き一番のトップバッターは斎藤であった。
 左利きの彼は、両足を開いてハの字に構える我流っぽいスイングでドライバーを振り抜いた。
――スパコォー、ンンンン――
 ボールはフェアウェイど真ん中を突き進んで行く。
「ナイスショットぉぉ! やるなあ、トモ君。えらい上達してるやないかい。まるで、ゴルフ漫画に出て来るプロを目指す熱血練習生みたいやで」
「ありがとうございます、カラス大社長閣下。僕はどうせ毎日ヒマでのんびりしてますんで、近くの練習場行って、適わぬ夢を目指して打ちまくってるんですわ」
 カラス氏のお世辞というより嫌味に近い言葉を軽くいなす斎藤青年は、二十五歳の当世風イケメン君。まだ若いのに、そのスタンス通りに、変に斜に構えた所作が見え隠れする。
 打順二番手は、大手都市銀行支店長。
 ゆっくりとティグラウンドに登壇し、慎重にティを差し、フェアウェイの行く手をじっくり見やって、素振りを二回三回、四回……。
「あかん。ワシならもうホールアウトしとるわ」
 イラチのカラスはカアカアうるさい。
――バシィッ、シュウウゥゥ――
 支店長の放った打球は真っ直ぐ低い弾道で中空を飛び、飛距離は伸びないものの、フェアウェイ中央で大きく跳ねてそのままとんとんとんとんと前に転がって行った。
「手堅いのう。銀行ゴルフや。きっと融資の審査の方もあんなんやろな。ほれ、マーロウ、次はジブンの番やで」
 男川は全身を悲壮感の鎧で固めて、死刑台に見えるティグラウンドへの階段を登った。震える手で地面にティを差し、ボールを置く。
 深呼吸をして、一回素振りをしてみる。足がもつれてしまい、よろよろとたたらを踏んでしまった。
 遠慮ない嘲笑を背中に受け、鎧は鉛のように重くなった。へっぴり腰を後ろに突き出し、両腕を中途半端に上に掲げ、ドライバーを振り下ろした。
――カスッ、チョロ――
「あ、あれ!?」
 ボールは……ボールはどこへ? 
 呆然と立ち尽くす男川の背中をドンとどつく手があった。
「はいはい、どいたどいた。ジブンの球は、すぐそこやっちゅうに」
 三角に尖ったカラスの目が指し示す場所、地面に刺したティのすぐ横に白球が転がっていた。
 結局、男川は第2打をシャンクし、右手の藪に打ち込んだ。次に打った球は左手の林の彼方に消えて行き、打ち直しの球をミドルバンカーに落とし、砂埃にまみれてザクッザクッとやったあと、グリーンの近くまで辿り着いたら、今度は寄せをしくじって大ホームラン……

 ヘトヘトになって、ようやくピンから5メートルの所にボールを載せた時には、これまでの打数は指で勘定できないほどになっていた。
「ようよう、お疲れさん。あーああ、ワシらもう待ちくたびれもうたで」
 上から目線の意地悪カラスが生あくびしながら宣う。
 男川はぜいぜいと息をきらしながら言い返した。
「そんな、待っててくれなくったっていいのに。どうせ僕はジグザグ走行の壊れた耕運機ゴルファーなんだから」
「そうはイカの金太郎。こっからがこのゴルフのハイライトや。我らが特別ルール『ナインティーンス・ホール』はな。グリーンに着いてから本格的に始まるんや。マーロウ、ジブンにもちゃんと公平にチャンスが与えられとるんやで」
 烏谷由伸師匠はパターを両手で持って、車のハンドルを回す真似をした。
「さあ、四人がグリーンに載せた所で、いよいよレースのスタートや。行くで。一番遠い所にいるのは誰や。おう、トモ君やな。さあ、勝負勝負」

 斎藤の球はグリーンエッジの少し内側に入った所で止まっていた。
 カップまで約8メートル。彼は慎重にパターヘッドを寝かせ、コツンと打った。
――スゥゥ、ス、ス、スゥ――
 ボールが芝の上を真っ直ぐ進む。距離感はぴったり。しかし、残念。カップの手前10センチの所でくいっと左に逸れた。
「おおう、もうちょっとやったの。性悪女みたいな芝に、尻蹴られたの」
 カラスのおっちゃんは、ラインをしっかり読ませてもらったとほくそ笑み、白球を芝の上に置いた。
「パットは気合いやで。気合いで球を走らせ、気合いでねじ込むんや」
 うんうん頷くと、真っ黒い特注パターを大きくテイクバックさせ、ガツンと打った。
――ドルル、パラリラ、パラリラ――
 ボールはフルスピードでグリーンのハイウェイを爆走して行く。
「あ、あかん。気合いの入り過ぎや。やってもうた」
 白球はカップ横2センチの所を通り過ぎ、3メートルもオーバーしてやっと停まった。
「あかん。ワシとした事が。ああ、くそッ」
 次は男川の番だった。
 パターを持つ手から感覚が遠のいて行く。震える手でちょこんと打った球はよたよた進み、カップの手前2メートルの所で失速した。
――ヘナヘナナ、ンァ――
「なんやなんや、意気地がないの。もっと気合い入れて力いっぱい打たんかい。ジブン、それでも日本男子かいな」
 最後に残った高橋支店長がカップまで4メートルの距離を慎重に読み切る。
 コンという心地よい音。ボールはちょいスラで芝の上を滑って行った。やがて、
――スッ、ン、カッコーン――
 気持ちいい音が。
「やられたわ。ナイスイン……ふん」
 悔しさを露骨に声と顔に出しながら、ナニワの本屋の経営者は賛辞を述べた。
「はいな。本日の『社長賞』第一号や。おめでとさん、これを持っておくんなはれ」
 旗ピンを高橋に渡す。銀行支店長はあまりうれしくもない顔でそれを受け取った。
 
 そうして、第1ホール(パー4)は終わった。結果は、
・高橋 パー。『社長賞』。  
・烏谷 ボギー。
・斎藤 ダボ。
・男川 14打。

 カートに戻る途中、男川はスコアカードに自分の成績を書き込み、深いタメ息をついた。
「あーああ。なんでこんなヘタクソなんだろう。毎度の事だけど、悲しいよな」
 本気で逃げ帰りたい気持ちだった。彼はゴルフを始めて10年弱、ベストスコアは138という目も当てられない超ヘボゴルファーであった。
 そんな彼に、若い斎藤智弘が声を掛ける。
「でも、パットはいい感覚やないですか。ラインにもちゃんと乗ってるし。あれなら大丈夫。もっと強く打てば入りますよ」
「そう。どうもありがとう。でもなあ、パットがたとえ良くても、グリーンに到達するまでがなあ」
「いや、でも、このゴルフはマジでパターの鉄火場勝負やからね。スコアが悪くても、場合によっては『社長賞』取れるし」
「ちょっと質問なんだけど、その『社長賞』ってのは何です?」
「あれぇ、カラスの師匠はんは教えてくれへんかったですか? 前もって男川さんに。なんやなんや、ひどいな、あのおっちゃん……いや、これね、我々定例仲良しゴルフコンペの常連メンバーがやってる特別プライベートルールなんですよ。つまり、18ホール全体を通したグリーン・パット勝負で、毎ホールのファイナル、グリーン上で1打以内で最初にカップ穴にボールをねじ込んだ人に、『社長賞』として旗竿ピンを立てる権利が与えられるんです。もちろんグリーン外からチップインで入れてもオッケーです。ピンはパター勝負する前にカップ穴から抜いておくんですね。そんで、18ホール全部回った後に、一番多くピンを立てて一番多く社長賞を獲得した人に、さらに最高位の『会長賞』が授与されるというわけです」
「何? その『会長賞』って?」
「とても素敵な『賞品』です。男なら誰だって喜ぶもの。ただし、それを貰えるのは一人だけ。ピン立て社長賞獲得数が同数の場合は、18ホールのグロススコア順。グロスも同数の場合はネットスコア順。それも同数の場合は生年月日で年長の人優先。ちなみに、最高位である『会長賞』に使う経費は、それをとれなかった他のメンバー全員が割りカンで支払わされます」
「ふーん。何も聞かされてなかったな。それで、さっきはパット一回で一発で決めた高橋支店長さんが旗竿ピンを渡されたわけだね。でも、もしも四人全員が1打以内でパットやチップインを決められなかったらどうするの」
「ああ、そん時はそのホールは社長賞は無しです。ピンはキャディが立てます」
 斎藤青年は、男川に対しては、斜に構えず誠実な受け答えをしてくれた。
「ふんふん。なるほどね。『社長賞』に『会長賞』か。カップにピンを立てるのが社長賞。つまり穴に棒を入れるってわけだ。……で、社長賞回数が一番多い人に与えられる最高賞が会長賞。その賞品を競うプライベート・ルールの名が『ナインティーンス・ホール』。それは女性のキャディさんがクネクネ身悶えして恥ずかしがるもので、男ならば誰でもガハハ笑いで喜ぶ事……なるほどね、だいたい判って来たぞ」
 男川は、眼下に見え隠れする琵琶湖の碧い湖面を見てひとり頷いた。
 キャリア九年のエロ漫画家には簡単な宿題だったなと思った。いずれにせよこんなヘタクソゴルファーの自分には縁の無い賞だろうと、首を強く振った。
 
 アウトコース2番ホール。パー4。
「さぁさあ、このホールは右のドッグレッグですぅ。右にある崖の斜面の向こうには広いグリーンがありますぅ。男が勝負するならここよンン」
 餘部さんのハスキーボイスが悪女の囁きに聞こえる。
 ホールオナーの高橋支店長がロングアイアンを握り、正面向いて打つ。
――ビシッ。ギュ、ィイイーン――
 ナイスショット。球は緩く右に弧を描いてグリーン方向のベターポジションに向かった。これはハンデ14なんていう最初の申告はフカシもいい所だ。だから銀行員は信用できないと男川は毒づく。
 二番手、ブラック大師匠がシャフトもヘッドも真っ黒い艶消しの特注ドライバーを手にして斜めを向き、男の勝負に出る。
――ンムッ、バチ、コーンン――
 勢いよくティグラウンドから発射された球は、でも、運悪く立ち木のてっぺんを擦ったため失速。崖の彼方のOBゾーンへ。
 次、斎藤青年のショット。
――シュパ、ンン、ポテ、トトト――
 アイアンでボテボテながら真っ直ぐ前への安全策。着地点からグリーンまでは、直角に向き直って150ヤード。
 そして、しんがりの男川。
 3番のスプーンを取り、深呼吸して大きく振りかぶる。
「ぶぶっ」
 変な音がした。誰かの尻の穴から出た空気の音!?
 男川はバランスを崩して右足の膝を折った。変則アッパースイングになってしまい、クラブヘッドが地面を打ち球を擦った。
――フグム、ガ、グッ――
「ファー! 12番の方にファー、ファーー!」
 餘部女史が絶叫する。
 シャンクした球は隣のコースめがけて一直線に飛んで行った。
「ちょっとちょっとぉ。先輩、やめて下さいよ。いくら何でも、それはないですよ。ひどいですよ」
 男川は地球を叩いて痺れた右手をさすりながら抗議した。
 当のいたずらカラスは、知らんぷりしてアサッテの方を向いている。
「……風や。単なる自然界の空気の流れの音に過ぎぬ」
 シラッと言い放つ。ひゅーひゅーと口笛を吹いていた。
 男川は唇を噛み、シャフトが折れ曲がったスプーンをバッグに戻し、代わりのドライバーを引き抜いた。
 どうせビリッケツの身だ。何度でも打ち直してやる。やけのやんぱちでドライバーを思い切り高く振りかぶり、口の中で「こん・ちく・しょう」と節を付けて振り下ろした。
――バッキャン、ドビューン――
「ファー、ファーー!」
 絶叫がフェアウェイを囲む丘陵にこだました。
「……と思ったら、ナイスショットやわ! これぇ!」
 キャディ女史が素っ頓狂な声を出した。
 右方向に飛んで行った男川の球はトリッキーに空中でフックして、崖の上を越えて行く。
「おうおう、まぐれ当たりや。一度くらい夢を見させたるわ。地球叩きの名人君」
 カラス大魔王がペンペンと尻を叩きながら憎まれ口を叩いた。だが、その後、彼は自分のやった行為を反省しなければならない。
 グリーンまで来てみると、なんと、男川の球がグリーン上のピンすぐ横に載っているのがわかったのである。
「うそぉぉお。すごーぃ。一発ナイスオンやわッ。超絶ミラクルショットですぅ」
 餘部さんが目を丸くした。打った当の本人も驚いたが、もっと驚いたのは大魔王氏だった。
「アンビリバボーや。こんなんありかい。ワシの屁のメタンガス・パワーで、ここまで見事に球を運べるもんかいな」

 結局、そのホールはカラスのオヤジも高橋支店長も斎藤青年も一発でパットを決められなかった。残るは、カップまで約20センチを残す男川正朗のウルトラ・パー・チャンス。
 男川はパターを取り、リラックス姿勢でボールと対峙した。
 ゆっくりテイクバックする。
「カア……」
 突然カラスのき声がした。
 パターヘッドが芝面を擦る。球がグリーン上でシャンクして斜めに転がった。
――コロォ、コロ――
「くううぅう」
 蹲って嗚咽する男川の背後で、人語をしゃべるカラスが宣う。
「鳥よ。獣よ。まさにここは魑魅魍魎の巣窟やな」

 その後のホールも魑魅魍魎たちの戦いであった。
 4番ホールの145ヤードのショートを名人高橋がベタピンに落とせば、グリーンを外した魔術師烏谷がアンビリバボーなチップインバーディーを奪った。
 8番のロングでは、第3打をバンカーに落とした寝業師銀行支店長がカラス大魔王の妨害工作もものかわ、見事なリカバリーショットでピンそば15センチに付け、そのまま逃げ切り。
 9番ホールでは、サウスポー斎藤が15メートルのラインを読んで超絶大逆転。
 
 前半のプレイを終え、クラブハウスに戻った四人は、二階のレストランへと向かう。
 どっかと椅子に腰をおろしたカラス氏は、さっそくビールの大ジョッキを四つ所望した。
「いいや、私は結構です。私は昼間から酒は飲みません」
 大手都市銀行支店長が手を横に振る。
「まあまあ、そんな堅い事言わんと。な、ちょっと体に潤滑油を注入するだけや。体をほぐすだけやないかい」
「いいえ、結構です。私は食事だけにします」高橋は頑として拒否した。
 カラス親爺が男川の脇腹をつつく。
「えらいコチコチ頭やな。面白ないな」
「先輩こそ、あの人を飲ませて酔わして、午後のスコアを崩させようとしてるんでしょ。見え見えですよ」
「アホやの。勝負はフェアウェイやグリーン上だけのもんやないで。飯を食ってる時も着がえてる時も風呂に入ってる時もトイレに入ってる時も、ゴルフっちゅうのは常に鉄火場勝負やで。まさに魑魅魍魎の世界や」
「カラス大魔王には閻魔大王だって敵いませんよ。あ、後ろの2組めの人たちも帰って来ましたよ」
 レストランに後発の四人が入って来た。コンペ幹事長の信貴之端ご老公の他に、恰幅のいい、いかにもセンセイの呼称が似合うダンディな砂山税理士。大阪の書店店長で、絵に描いたようなコテコテ関西人の羽犬塚哲夫。地元の喫茶店経営者で、笑顔が爽やかな若作り男の羽鳥雅樹である。
 彼らを合わせて計八人の男たちは、テーブルを寄せて、まずは生ビールで乾杯という事になった。銀行支店長だけはウーロン茶の入ったグラスである。
「では、昼食後の後半戦も皆さん頑張りまひょ。栄光の『ナインティーンス・ホール・会長賞』を目指して」

 午前中、フロントナインの成績を総括すると、以下の通りだった。
・烏谷由伸(HC19)……スコア50。社長賞2。
・男川正朗(HC36)……スコア81。社長賞0。
・信貴之端利治(HC18)……スコア51。社長賞1。
・砂山祐一郎(HC7)……スコア38。社長賞2。
・羽犬塚哲夫(HC24)……スコア53。社長賞0。
・羽鳥雅樹(HC10)……スコア47。社長賞1。
・高橋亘(HC10)……スコア40。社長賞2。
・斎藤智弘(HC28)……スコア57。社長賞1。

「ほほう。これで見ると、ネットスコアではハンデシングルの砂山先生と新人の高橋支店長がいい勝負やな。それにワシが続いて、ワンテツの奴が健闘してはるわ。社長賞はワシと砂山先生と支店長閣下の三人が仲良く並んどる」
 顔をほんのり赤く染めて、カラス師匠がのたまう午前の部の講評。
 ワンテツと呼ばれた大阪梅田にある書店店長の羽犬塚が、カラス氏に近寄って来た。
「カラスのあんさん。相変わらずテンション高うてご清祥で何よりでんな。それより、景気はどう? 本売れてまっか?」
「ぼちぼちでんな。と言いたいところやが、あかんわ。ウチの店はもうギブアップ寸前や。まあ、そうなったらそうなったで、ワシ、書店業の足を洗うて、若い時から夢に描いとった漫画家を目指そう思うてる」
「あー、兄さんは元々はクリエイター志望でしたわな。学生時代は漫画研究会のキャプテンやったけね」
「そや。運命のいたずらでこうして亡父の後を継いで書店のオヤジになってしもたけど、元々は売る方より、読むのと描く方が好きやったんや。ワシ、書店やる前までは、有名な劇画漫画原作者の大先生が社長の会社で書生っぽやってたんやで。今でも、ここにいる全然売れてないヘタレなエロ漫画家なんかより、ずっとおもろい漫画描ける自信あるわ」
「そうでっか。カラスの兄さんがめでたく漫画家さんになって本を出さはったら、ウチの店で、ぜひサイン会をお願いししまっせ」
「ああ。そん時はまかしとき。でも、そん前に、銀行と出版取次会社に借金返さなあかんな」
「現実はキビシー。おちおち夢見ておられまへんなぁ」
「せやな。でも、やめや、そない話。これから午後のプレイに影響するで」
「そやね。今は楽しゅうやろ。楽しゅう……」
 書店店長の羽犬塚哲夫は首を振り振り自席に戻って行った。
 男川は、そっと難波の漫画専門書店店主に聞いてみた。
「今のも戦いなんですか?」
 カラスの目が三角に吊り上がった。
「あほう。今のはシリアスやッ。駆け引きまったく無しの商人あきんど同士の愚痴話やがな」
 
 午後のバックナインがスタート。インコース、10番ホール。パー4。
 烏谷、男川、高橋、斎藤の先発四人組がティ・グラウンドに上がる前に、ちょっとした騒動が持ち上がった。
 烏谷由伸の愛用のゴルフグローブが盗難に遭ったのだ。彼は、カート運転席のカーゴにそれをぶら下げて干しておいたらしい。
「くそ、どこのどいつやねん。やらしい泥棒め。人の使いかけのグローブ盗むなんて、セコいやっちゃ」
 結局、キャディの餘部さんがカラスのおっちゃんをまあまあと宥めすかし、彼女が予備で持っていたグローブを一つ進呈する事で話は落ち着いた。
「すんませぇん。お客さん、これぇ、キャディ備品の安物なんやけどぉ、一応新品なんで使うてつかーさい。これで何とか機嫌直してぇ」
「あんん……まぁ、ええわ。おお、ちょうどワシの左手にジャストフィットやの。おおきに。いただくで。ほんじゃ、行こか、皆の衆。勝負再開やッ」  
 気合いみなぎるカラス・リーダーは、バッグから愛用の真っ黒いドライバーを引き抜いた。
 その10番ホール、パーセーブで社長賞を制したのは、新品グローブの効果なのか、当の烏谷であった。
「るんるんるんと。この新しいグローブはラッキーアイテムやな。次はバーディーか、いや、いっちょ、もひとつ上のアルバトロスでもねろたろかい」
 続いての11番ロング。
 ブラックドライバーの強気ゴルファーはいきなりティーショットを林に打ち込んだ。崖の上からのリカバリーに失敗し、キンコンカンと木琴を奏でた。やっと出した第4打をダフってしまい、金切声を上げた。
「くそー、やっぱりグローブや。グローブが合わんのやッ!」

 13番ホールはショート。130ヤード。パー3。.
 ティ・グラウンド裏に売店の休憩所があった。スタート待ちしてるカートが何台も並んでいて、四人はしばし足止めを食う事になった。
 そのうち、後発組の信貴之端ご老公一行も追いつき、休憩所の周りにはコンペグループ八人の顔が勢揃いした。
「またも全員集合どすな。じゃ、ちょいと一息入れまひょか。烏谷はん、ああた、そんな本物のカラスみたいにカアカアうるさく啼いとらんで、冷えた生ビールで喉でも冷やしはったらいかがどす?」 
 さらに何分か待ったが、前の別のコンペグループがモタモタしていてなかなか進まない。
「今日はええ天気なもんで、えらい混みようどす。まあ仕方あらしまへん。ほんじゃ、その辺で私は素振りでもして来まっさ」
「今さらだけど、ビリッケツの僕は、アイアンの振り方を練習して来よう」
「私も」
「じゃ、僕はトイレに行っとこ」
「ワシもウンコしとうなったわッ」
「俺は、売店で生ビールもう一杯いただくで」
「同じく私も。午後は、トリプル連続で叩いてスコアがメチャクチャなってもうた。呑まにゃ、やってられんわい」
「私はアルコールは入れません。私はペットボトルのお茶を買います」
 一同は三々五々ばらけた。

 そして、大事件は起こったのだった。
「ぐわわあぁぁッッ!」
 烏谷由伸の叫び声が上がった。いつもと違う変な声だった。
 続いて、慌しい足音が。
 遠くの方でドボンという水音。池に何か物が投げ込まれたらしい。
「どないしはったん? 烏谷はん?」
 信貴之端老人の声が聞こえた。
「うわわっ。烏谷はん! こ、こりゃ、えらいこっちゃ! 皆な来ておくれやす。た、大変大変。烏谷はんが一大事やっっ!!」
 一同が馳せ参じると、カラス氏の体が電動カートの後ろのゴルフバッグにもたれているのが見えた。上半身が血で真っ赤に染まっている。
「烏谷はん、しっかりしておくんなはれ! 烏谷はん。き、救急車や、救急車を呼びよし。早よ、早よっ!」 
 カラスのおっちゃんの目は裏返しになり、黒目が飛んでいた。意識も吹き飛んでいて、呼吸もしてないように見えた。
 不思議な事に、彼は、口にゴルフクラブを一本しっかり咥えていた。ぴかぴかメタルシャフトのそのアイアンは、「サンドウェッジ」だった……

――次回公開(中編・迷走編)に続く。
(次回は、約2週間後にnoteにアップする予定です)

 (この作品はフィクションです。登場する人物やゴルフ場やグループ団体や、作中で描かれた事件やプライベートルールなどは、すべて架空のものです)
Ⓒ Toshiike Wakao 2019


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