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《カー・ファンタジー小説》 ビーエムに乗って、ヤリに行く…… 尖がり大好き男のペンシル紀行     掌編小説シリーズ・4    歳池若夫・著

 

 金曜日の午後、デスクでルンルン仕事に励んでいると、部下の女子社員がお茶を淹れて持って来てくれた。
「あらぁ、局次長。なんかウキウキ楽しそうですけどぉ。明日からの三連休、どこかに行かれるんですかぁ?」
 まん丸のふくよかな笑顔。ぱっちりした瞳。可愛いタラコ唇。穢れを知らないようなストレートの黒髪。はち切れんばかりの健康的な鳩胸……このコは本当にいい娘だ。
 私は、躊躇いもなく答えてあげた。
「うん。オレねー、今夜さー、クルマに乗ってファイト一発! ヤリに行くんだよぉぉーん」    
 女子社員嬢の頬が大きく膨らんだ。
 丸顔が四角になって固まった。タラコが尖って口が六角形に開いた。三角になった眼から強烈な憤怒光線が飛んで来た。
「やだもぉー、サイテー。このバカ親爺。セクハラ上司ッ!」
 湯呑をどすんとデスクに置き、フンと鼻を鳴らす。黒髪を夜叉のように振り乱して走って逃げて行った。
「え? なんで?」
 訳がわからずポカンと口を開け、デスクの上にこぼれたお茶をティッシュで拭き拭きする私は、やはり日頃の言動に気配りが足りない、また肝心の説明が欠けてばかりの昭和ドッチラケ世代オヤジなのか……

 その夜、我が愛車のBMWは、中央フリーウェイのまるで滑走路みたいな道を西へ西へ爆走するのである。
 センターコンソールに鎮座する大型ナビには、目標地点として、長野県西北部にある有名な山岳名をインプットしておいた。
「ふふんーだッ。てやんでぇ、べらぼうめぃ。オイラ、ホントに、『ヤリ』に行くんだもんにー」
 そう、私は、見栄張って買った中古の外車クーペを夜通しひとりで運転し、これから、北アルプスの「槍」に向かうのである……
 そういう事だ。そうなのだ。それでいいのだ。何か文句あっか!

槍ヶ岳3

 とはいえ、ガチガチの登山に行くのではない。
 正直言うと、槍ヶ岳には一度も登った事がない。常々、日本百名山の名峰の頂に一度は立ってみたいと思いつつ、私は、不摂生極まる自分の太鼓腹を見ながら溜息ついている。
 この齢で独り身を続ける身軽さ。……いや、情けなさ哀しさなのかもしれんが、荷物置き場と化した助手席には、愛用のリュックとスケッチブックが置いてある。リュックには簡単なトレッキング用具と小じゃれたベレー帽、そして24色揃いの水彩ペンシルケースが収めてある。
 そういった格好だけはいっちょ前の日曜画家もどき中年男は、いつだって信州の安曇野や美ヶ原高原や上高地河童橋や奥飛騨の新穂高温泉といった地に身を置いて、天空に描かれた見事な稜線を陶然と眺めている。
 思うに、山というものは、麓辺りの少し離れた場所から眺めている方がいい。槍ヶ岳にしても富士山にしても、世界最高峰エベレスト・チョモランマにしても、頂点に行く事適わずして、遥か下界で憧れと畏敬の念をもって仰ぎ見ているからこそ、荘厳で美しい景観をGET出来るのではあるまいか。
 
 そんな私が名峰槍ヶ岳のお姿を初めて拝観したのは、遥か遠い昔、22歳の学生の頃。
 ロクに勉強せずバイトやって無理して買った中古のセリカLB・2000GTに乗って中央道を夜通し爆走し、信州松本から安房峠平湯温泉を一気に駆け抜け、現在は一般車が立ち入れなくなってしまった乗鞍スカイラインの夜間通行禁止のゲートを跳ね上げて、漆黒の闇の九十九折の道を駆け上って終点畳平近く桔梗ヶ原辺りまで来た時だった。
 暁光の空のキャンパスに描かれた標高3000m超の山々の稜線。その中で唯一頭を鋭く三角に尖らせてふんぞり返る槍ヶ岳の姿が真っ先に私の目に飛び込んで来た。
 息をのむ光景に、当時女に振られたショックでノンストップ状態だった未熟な若者は、再びブレーキを踏む冷静さを取り戻す事が出来た。

槍ヶ岳

 その後、大学を卒業して社会人になってからも、キャラの濃い三角錐の山容を見たくて、私はよくクルマを関東から信州へ走らせた。 
 でも、容姿端麗にして性悪女みたいな槍ヶ岳の穂先はガードが固く、他の北アルプスの峰々や雲の陰に隠れてなかなか御姿を見せてくれない。
 かの二等辺三角形の鋭い頂を再度私が自分の網膜に投写したのは、三十路になっても相変わらず独身貴族のまま、岐阜県の奥飛騨温泉郷の新平湯温泉や栃尾温泉のさらに奥に、当時乗っていた四駆車ハイラックス・サーフで探査に出た時だ。
 県道の隘路が行く先、穂高の高峰たちと並ぶようにして、尖った頂が天空を突き刺している。時刻は夕刻、西日を受けて、三角の穂先が黄金色に染まっている。まさに、言葉が出ないほどの絶景であった。

ヤリに行く2


 その夜は、宿を取らず、県道と平行して流れる蒲田川の河原に愛車のオンボロトラックワゴンを乗り入れて車中泊した。
 夜明けに朝陽を浴びて光り輝くであろう「天を衝く刃」を見たいと思い、時計のアラームをセットする。なかなか寝付けないので、後部シートをフラットに倒してズボンとパンツを下ろした。恥ずかしながら我が逸物を我が掌で愛でて、脳内に睡眠導入剤を注入した。
 しかも、その時、私が頭の中でオカズにさせていただいたのは、AV女優のあられもない姿態ではなく、十数年来愛し続けてやまない槍ヶ岳の均整のとれた三角の美顔だった―――

 翌朝5時、アラーム音に起こされる事無く私は自ら目を覚まし、車のウインドウを開け、愛する「ヤリ子姐さん」の方角に顔を向けた。
 空は一面乳白色の雲に覆われている。それでも一瞬だけ、一角にうっすら鋭い三角形の枠線が浮かび出た気がした。
 美峰槍ヶ岳は、百戦錬磨のやり手の銀座のクラブのママのごとく、うふふと妖しい一瞥を私に寄越し、出世したら外車でも買ってまたいらっしゃいねと言い捨てて、店のドアを閉めて奥に引っ込んでしまった。

                              ――了

槍ヶ岳2

(この小説はフィクションです。登場する人物や言動等は架空のものです。水彩色鉛筆スケッチ画は、尖がり大好き男が描いたものです)

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