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第4章 「罪のライセンス」 | スタンフォードの自分を変える教室 (毎週日曜日更新)

モラル・ライセンシング」という概念があるそうで、これは「人はなにか良い行いをすると、今度は自分の好きなように行動してもいいだろうと思ってしまう」という法則らしい。

いい行動を起こすと、いい気分になる。
そのせいで、自分の衝動を信じがちになり、悪いことをしたって構わないと思ってしまう。

また、それだけではなく、良いことをすることを求められたときに責任逃れをしてしまうこともあるそう。

意志力との戦いは、善と悪との戦いに他ならない。
自分がモラル化するものはなんであれ、モラル・ライセシング効果の格好の餌食になる。
例えば運動した自分を「よし」と褒め、サボってしまったときを「だめ」とけなしていると、今日はしっかり運動をしても明日はサボってしまう可能性が高くなってしまう。
午前中にやりたいことを終わらせることができたから、午後は少しだらけてしまったり。うん、思い当たることがたくさんある。

気晴らしを行うことを自分自身の良い行動に対する最高の見返りだと思うようになってしまうと、自分にとって最も大切な目標を忘れ、誘惑に負けてしまう。


人は正しいことは「したくない」と感じる

ある行為を道徳的に正しいこととして位置付けると、私たちはどういうわけか相反する感情を抱くようになる。
例えば、意志力のチャレンジを「良い人間になるためにすべきこと」と位置付けると、「なにもそんなことをする必要はないのでは」という反発心がわいてくる。いくら自分のためになることでも、それが他人から押し付けられたものだと抵抗感を覚えるのだ。

自分の目標達成に役立つから、ではなく社会的に正しいことだからと捉えたとき、恐らくその決心は続かない。
暴飲暴食をするのも、クレジットカードを使いすぎるのも、道徳的に悪いことでもなんでもない。自分が道徳的に、善悪の基準として測ろうとしているだけである。

自分自身の意志力のチャレンジにおける失敗や成功(と自分が思っているもの)について、どんな言い訳や説明をしているのかを観察してみる。

また、「自分はここまで頑張ったんだ!」と思うと、欲求の解放が起こり自己コントロールによって抑えていた欲求が高まり、少しの誘惑でも感じやすくなってしまう。

こうした時に有効なのが「なぜ」を考える、ということだ。
なぜ自分は頑張っているのか、というところに立ち戻ると自分の大きな目標を見失うことなく努力することができる。


「明日も同じ行動をする」と考える

私たちは先のことを楽観視してしまい、「明日はもっとできる」と考える習性がある。
今日はやりたくないことでも、明日になればきっと時間もあってできるようになるだろうと。

日によって行動のばらつきが出ないように、例えば「このチョコ、今日だけ食べちゃおうかなあ」ではなく、「今日このチョコを食べることを選択すると、これkら毎日毎日チョコを食べ続けることになるけれどそれでもいいのか?」と自分に確認する。そうすると、塵も積もればなんとやら。長期的な影響を無視できなくなる。

誘惑のキーワードを見つける

マーケティング担当者は99%の悪いものに1%のいいところをくっつけて商品を展開することがある。

例えば、「脂肪分0」「カロリーオフ」という記載があれば、食べてもいいかと手を伸ばしてしまうかもしれないし、「フェアトレード」「オーガニック」などの言葉が並んでいれば良いことをしていると錯覚をして買ってしまうかもしれない。
自分の好きなものの良い面にだけ注目しすぎることのないよう、隠された誘惑のキーワードに注意してみることが必要である。

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物事の良し悪しは、自分のものさしで決めていることである。
例えば、普段から運動する人にとって運動をすることは「ただの日常」であるが、滅多に運動をしない人にとって、運動をすることは「いいこと」に様変わりすることがある。
「自分がいいことをした」と思うと、ころっと自制心が薄れてしまう可能性があることをこの章を読んで見に沁みて感じたので、なにをするにせよ自分の目標に沿ってこれがどのような行動なのか?ということに目を向け続ける(適度な自己肯定感は持ちつつ)。

自分の中の当たり前の基準を上げる、という話にも通ずるものだなと感じました。

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