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戦争と平和 日本と香港~旧日本軍の足跡をたどる~魔鬼山編

「魔鬼山(デビルズピーク)」。香港の九龍地区南東部、油塘(ヤウトン)の背後にそびえるこの山は、ビクトリア港東部に位置し、対岸の香港島北東部を隔てる鯉魚門(レイユームン)海峡に近い場所にある。

1898年、英国が中国(清)から新界地区を99年間の期限付きで租借すると、新界に位置する魔鬼山は重要な軍事拠点として整備された。海峡の最も狭い箇所と香港島の北東部を一度に俯瞰できる要所と見なされたためだ。

正式名称は「砲台山」だが、市民には魔鬼山のほうがなじみ深いかもしれない。言い伝えによれば、明末から清代にかけて海賊が出没してはこの山を占拠し、付近の村で略奪などを行った。村人が彼らを「魔鬼(悪魔)」と呼び、悪魔の出る象徴的な場所として魔鬼山と呼ぶようになったのが由来という。一方、砲台山のほうは、英国政府が1936年の防衛計画の変更で、魔鬼山に設置されていた大砲を全て香港島に移した結果、名前だけが残った形だ。

砲台跡に立つと、ちょうど向かい側に「香港海防博物館」(前身は鯉魚門砲台)があるのを確認できる。対岸との距離は海峡の最も狭いところでわずか420メートルで、ビクトリア港で唯一、埋め立てされてない場所という。余談だが、海峡を隔てた対岸の香港島・阿公岩一帯も鯉魚門と呼ぶ。

魔鬼山の砲台跡。旧日本軍は「悪魔山」と呼んだ

1941年12月8日、アジア太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発し、旧日本軍が香港に侵攻を始めた当初、魔鬼山一帯は英軍のラジプット大隊(インド)が駐屯していた。だが、日本軍による新界の主要陣地の陥落や防衛線「酔酒湾防線(ジンドリンカーズ・ライン)」の突破を受けて12月11日正午に香港島への全部隊の撤退命令が出ると、切迫感が強まった。

ラジプット大隊は日本軍から攻撃を受けながらも、13日未明、ついに香港島への撤退を完了させる。「孤独前哨ー太平洋戦争中的香港戦役」(鄺智文 蔡耀倫著、天地図書)などによると、鯉魚門海峡から香港島へ撤退した最後の英軍部隊となったという。

一方、旧日本軍は12月12日に九龍の市街地を占領、13日に九龍半島全域を攻略。その後は香港島上陸準備を進めつつ、対岸の英軍施設に砲撃を続けた。英軍が2回目の降伏勧告を拒否すると、18日夜に上陸作戦を決行した。このうち一部の部隊は、魔鬼山のふもとの海岸から香港島を目指したのだった。

頂上付近の要塞跡の一部
山腹にある旧日本軍が掘ったとみられる地下道


※見出しの写真は魔鬼山に残る英軍の地下施設跡

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