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私は不妊治療中だけど、赤ちゃんを見るのは嬉しいし、妊娠の報告もして欲しい。

のっけから、タイトルと違う話からさせて欲しい。
映画「最強のふたり」を観たことはあるだろうか?

ものすごーく簡単に説明すると、脊椎損傷で首から下が不自由な富豪のフィリップと、ひょんなことから彼を介護することになった貧困層の移民ドリスとの交流を描いた実話の映画だ。
 

ドリスが超おもしろい。例えば、チョコを食べているドリスを見てフィリップが「うまそうだね、俺にもくれ」と言ったら、ドリスは「嫌だよ。このチョコは健常者用なんだよ!バーカ」って返す。
 もはやブラックジョークではない。差別発言。

フィリップは首から下が動かないのに、電話の受話器を平気で「はい」と渡そうとしたり、「その身体でヤレるの?」とフィリップに聞いたり、足を熱湯にかけても何も感じないか試してみたりする。マリファナもオススメしてしまう。

 
とんでもない介護だと思うかもしれないが、映画の中のフィリップはとても心地よさそうに見えた。一方で、自分を特別扱いする介護者にはとてもうんざりしているように見えた。

一般的に体の不自由な人には気を遣うべきだし、彼らができないことを先回りして配慮するような心をもっておくべきだと思うが、あまりにもその「べき」が行き過ぎたとき、それは自分勝手な思い込みと決めつけにしかすぎず、相手に対する配慮ではなくなる。

相手は「身体障害者」である前に「1人の人間」だ。
ありのままのその人の感情を理解しようとする努力こそが「配慮」だと思う。「身体障害者の人には〜すべきだ」という一般論の多数派意見が先に来てしまうと、目の前の相手が何を考えているのかを見失ってしまう。

というわけで、タイトルに本題を戻す。
通っている鍼灸院で予約を取ろうとした時にこう言われた。「あぁこの時間は止めておいた方がいいですよ。産後ケアの方が来られるんですよ。ほら嫌でしょ?赤ちゃん連れの人見るの、辛いでしょ?無理せず、他の時間にしておきなさいよ。」と。

不妊治療中は、赤ちゃんを見ると辛い、という人もいる。そうじゃない人もいる。誰かの妊娠を心から喜べない自分に自己嫌悪を抱く人もいる。そうじゃない人もいる。どちらにも優劣は存在しない。いろんな想いを持っている人がいるという事実だけが存在している。

ちなみに私は、他人の赤ちゃんを見るのは嬉しいし、妊娠の報告もしてほしい。もしも産もうかどうか悩んでいる親友がいたら他の悩み事と同じように相談に乗って欲しいと思う。

「不妊治療中だから」「身体障害者だから」「ひとり親だから」「闘病中だから」「失業中だから」いろんな立場が違うからこそ、わかりあえないからこそ、自分の率直な気持ちと世間一般的な気持ちを比べて世間を優先するのではなく、自分を優先して相手と向き合っていきたいなと思った。


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