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正義感と電車

ヒーロー物の映画は観ていて爽快だ。正義感溢れる主人公が悪者を倒す姿に、我々はどこか、日常に抱える鬱憤や、感じている不条理さを代理で晴らしてくれているような気になり観てしまう。

日本の電車は、他国に比べ、守らなければならないルールが多い。まるで日本社会のルールの縮図のように。

列にきちんと並ぶ、優先席は高齢者の為に取っておく、携帯電話は入力によるやり取りは良いが、通話は御法度。そして不思議と「電車」と言う場所では正義を振りかざす人が少なからず存在する。

痴漢だってそう。実は色んな場所で起きているはずだが、痴漢撲滅のポスターが貼られていたり、その犯人がが捕まるのはいつも電車。

まだ東京に住んでいた頃、私は初めてのラッシュ時を山手線で経験した。そして当時、その時間帯は椅子に座ってはいけない事を知らず、無数にある折りたたみ式の座席に誰も座っていないのを不思議に思った。

山手線に乗った時間帯、ラッシュ時ではあったが、まだピーク時ではなかったので比較的空いてはいた。当時、アメリカから帰り立てだった私は「日本人ってやっぱり控え目だな。折角だから遠慮せず座れば良いのに」と思い、空いている座席の一つを倒し座った。

すると側に立っていた女性が「あなた具合悪いの?大丈夫?」と声をかけてきた。それで私は悟った。ラッシュ時の山手線は、暗黙の了解で、体調不良の人以外着席してはいけないのだということを。

「いいえ大丈夫です。すみません」と、椅子を戻し、私は再び立つ。

その時に初めて、日本って電車の乗り方にまでルールがあるのだと衝撃だった。それから半年程経って、今度は山手線ではなく銀座線に乗った。

朝の銀座線渋谷駅は混んでいた。人々は2列にズラリと並び、ちょっと隙間があって、またその後ろに人が数人並んでいた。私はその隙間の後ろに並んでいた数人が、第二団体目の列の人々とは知らず、何も考えずに前の列の塊一番後ろに並んだ。

電車が到着する。私の前に並んでいた人達は全員電車に乗れたが、彼らで既に満員になった電車に私は入り込めなかった。私は諦めて、次の電車を待とうと、そのまま列の最前列に立っていた。

待っていると、何だか隣の男性の視線が気になる。何だろうと彼の方を見る。凄い目付きで私の方を睨んでいる。私は「えっ?何?」という表情をする。

すると男性が怒りを込めた口調で静かに私に話しかけてくる。「皆んな順番守って並んでるのに、あなたはちゃんと並ばないんですか!」

私は後ろを振り返る。そこには、先ほどの隙間の後ろに並んでいた人達の顔があった。そこで私はまた悟る。「なるほど。グループA、グループBと、ちゃんと1車両に乗り込める人数で別れて電車を待つののか」と。

私は男性に「あ〜、来る電車ごとに皆さん別れて並ばれてたんですね。すみません、そういうルールがあるって知らなくて」。私は後ろの女性にも謝罪し、列の最後尾へ移動する。

するとどうだろう、最後尾から、先ほど私に注意して来た男性の顔が真っ赤になっているのが見える。そして彼の周囲の人々は、明らかに、彼に白い目を向けている。

表情から彼の感情が読み取れる。「違うんだ!俺はあの人がズルしてちゃんと並ばなかったと本当に思ってたんだ。まさか知らずにやったなんて考えもしなかったんだよ!」と。

そして彼をある種軽蔑の目で見る人々も、「朝の忙しい時に、たかが列に並ばなかった一人の為に、何正義感振りかざしてるのよ。結局恥かいてるのはあなたの方じゃん」、といった表情だ。

別の日にもこんなことがあった。電車の優先席に、若者3人組が座っておしゃべりをしていた。そしてその電車には空いている席が沢山あった。

ある駅で電車が止まり扉が開くと、一組の老夫婦が乗って来た。その夫の方は、3人の若者が優先席に座っているのを見つけるなり、「おいお前ら、そこをどけ!お前ら元気なんだろ!優先席ってのはな、俺たちみたいな老人のためにあるんだよ。いいからさっさとどけ!」

夫はしてやったりの表情で、妻の方も「まあ、あなたったら」と笑いながらも、どこか、夫が若者に喝入れる姿を誇らしげに思っている様子。3人組は老夫婦に謝り、彼らから少し離れた別の席へ移動。そして夫婦は、若者から奪った優先席に座った。

その夫は座ってからも、敢えて周囲に聞こえるくらいのトーンで、自分がいかに若者を正してやったかを妻に語る。車両に夫の声がまあまあ響き渡る。

私は何だか嫌な光景だったなと思いながらも、自分の駅まで我慢する。次の駅で、先ほどの若者3人組が降りる。

扉が閉まり、電車は再び走り出す。あの子たち、電車を降りられてホッとしているだどうなと、勝手に彼らの心情を察する。

先ほどまであんなにうるさかった老人だが、そう言えば若者たちが降りた駅を出た辺りから妙に大人しい。私は夫婦の方をチラリと見る。

どうやら自分たちの降りる駅が分からず困っている様子。夫の方は立ち上がって、扉の上の壁に貼ってある路線表を一生懸命確認する。さっきの我が物顔の表情から一変し、今度はおどおどした表情だ。

また次の駅に着き、電車が止まる。スーツ姿の若い男性が入ってくる。彼は、不安げな表情で路線表を見つめる老人に気付き、「どうしたんですか?」と話しかける。

妻の方も席から立ち上がり、夫と一緒に自分たちの目的地を説明する。親切な男性はスマホで色々検索するも、彼らの下車駅がわからない。結局、その男性は次の駅で降りなければならなかった為、老夫婦に謝り降りてしまう。

今にも泣きそうな表情の男性。私もその次の駅で降りたが、歩きながら例の銀座線での出来事を思い出した。もしこの老人が若者に対し、あんな風に正義感を振りかざさなかったら、きっと周囲の人々は彼に協力し、一緒に降りる駅を探してくれたと思う。

だが彼の態度は明らかに、周囲の人々を不快にした。結果、誰もこの夫婦を助けたくなかったのだ。

正しさの押し付けは良くない。一見誰かが間違った事をしたように見えても、それは単にうっかりや勘違い、知らなかった、または仕方のない理由があったのかもしれない。(勿論犯罪は駄目だけれど)

「正義感は脳にとって快感」、と脳科学者の中野信子先生が仰っていた。非常に興味深い。

他人のちょっとした間違いなんて放っておこう。誰だって毎日色んな間違いをするじゃないか。

そして恐らくだが、自己満足の正義感で誰かを正そうとすると、結構な割合でしっぺ返しを食らうのではないかと私は思っている。


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