休息

ここ数ヶ月、ちゃんと休んだ気がしない。
特に精神面で、ほっとする瞬間がほとんどない。

元々、心からほっとする瞬間なんて
今までの人生にそんなにたくさんあっただろうか、多分ない、という状態で過ごしてきたのだけれど
実家から離れて(二ヶ月経つけど)まだ環境に慣れてないというところもあってなのか、全然休んでも休んだ気がしない。

常に自分の外側のことが気になる。
仕事のこと、家事のこと、人との連絡、なんやかんや。
ここ最近の一番のウエイトは仕事が占めているけど。
新しい部署になったしこれもやりたいあれもやらねば、休みの日もふとした瞬間に義務感に苛まれて、この瞬間にもこれをやっておいたら。。とよぎってしまう。

以前都内に住む祖母と、何かの機会に久しぶりに電話で話した際に
「人には、何もしないでぼーっとする時間が必要なのよ」と言われたことをすごく鮮明に覚えている。

祖母から見ると私は常に何か動いていて、頭も心も休息のいとまがないように感じられたのだろう。
それは実際そうで、取るに足らないことしか考えてないしやっていないけれど、当時は常に何かしていないと不安で、ひたすら止まることから逃げていた。

でも本当は、ゆっくり休みたかった。
何もしないで、ぼーっとしていたいとどこかでずっと思っていた。

ある方のツイートに、同じ文脈で印象的なものがあった。
内容としては、現代人は「何もしない」ことの楽しみを奪われてしまったのではないかというものだった。
常にスマホやパソコンに気を取られ、ぬぼっとする瞬間をみすみす逃しているのでは、と。
一昔前の方は、ただ日の光を浴びる、ただ川っぺりを散歩する、ただ窓からの景色を見る、そうやって楽しむ瞬間があったのでは、と仰っていた。

昨日は土曜日で、朝起きた瞬間にまどろみの中で一種の心地よさを覚えていた。
それをそのまま感じ続けるために、あえていつもは起きて早々に触るスマホを見ないでおいた。
そうすると幸せな感覚が長く続くことが分かって、「あー、これか」とちょっと腑に落ちた。
そこから、昨日も今日も可能な限りスマホを触らないようにしている。

何もしないでぼーっとする時間、私にも、もしかしたらみんなにも、必要なのかも知れない。

自分の内々に深く潜り込みたい。没入したい。
外の世界と自分を切り離して、何者でもない時間を漂っていたい。
最近よく聞く、「ただ生きているだけで良いのだ」というフレーズを、仕事や人付き合い、その他抱えている色んなしがらみから解放されて、「そうだそうだ」と享受したい。

というか、して良いんじゃないか。
そういう孤独は、味わって良いのではないか。

そういう孤独は、自分の外の世界と切り離された瞬間に、ぼーっとできた瞬間に、じわじわと感じられるんじゃなかろうか。

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