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次の課題

みなさんこんにちは、はるこです。
相も変わらず内省的な文章になります。
今回もツイッターに書き殴った内容のコピペです。
俯瞰してみると、自分の内側にしか意識が行っていないなあ、というのが良く分かります。
内省すると共に、もっと外の世界にもアンテナを張ることができたらと思います。

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他責思考は抜けた。次の課題は;
・全体感を見て仕事する(お客さん目線を忘れない)
・高飛車意識の改革(多分大失敗してけちょんけちょんに打ちのめされるをあと何回もやらないといけないと思う)
誰かに対して、人を思った行動ができないと文句を言う傍ら、自分だってちゃんとできていないじゃないか。

本当に人を、周りを、気遣いながらの行動が全然できていない。それは、「私を大事にして」という意識が強いから。人にへりくだっても実際はそういうふりをしているだけ。失敗しても、「私は違う」と逃げようとしている。表で見せているほど、中できちんと考えられていない。分かっていない。それが本性。

7月に失敗して少しだけ自分の身の丈を意識しないと、という意識を持つことができるようになったけど、それだけであって実行には至っていないと思う。
「私は周りよりすごい」という意識がどこかにある、ずっとそう。多分、「自分はそんなたいしたことない」というのを認めるのが怖いから。それを、悪いことだとどこかで思っているから。身の丈を認められないとは、このことであって。意識が外に向いたら、少し変わるんだろうか。そういう自分もひっくるめて、自分で包含してその上で駄目なところを自分でカバーするためにどうするかを考えられるようになるのだろうか。

とにかく自分の自己評価の高さがゆえ、駄目な行いをしていることがたくさんある。「この程度で良いだろう」という意識がたくさんある。(最近「この程度で良いだろう」という意識を持ってること自体に気づけたのは良かったこと。それが分かればさらにその上を目指せる)

「私は周りよりすごい」という意識は、そう思っていないといられないほどの自尊心が削られる経験を幼少期にしたのだろうか。
でも、思い返せばすごいねすごいね、と育てられた自覚はあるが、それを鵜呑みにできたこともそういえばほとんどない。どこか信じられなかった。それは、自分のリアルな状態とどこか乖離があると自分で分かっていたからなのだろうか。それを信じて有頂天になって周りが見えなくなるのが怖いという感覚もあったけど。

結局、一つは傷つくのが怖いのが理由なんだろう。
傷つくのが怖いって、どうやったら克服できるかな。
なぜ怖いのかな。
本当に傷ついたら、そのことしか考えられなくなってしまう。から?
慣れていないから?
「傷つく」、となった瞬間に、心にバリアが張られて心の真ん中にずどーんとダメージが来ないような感覚があって。ダメージを受け止めるのをそらしている感じ。
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とにかく文章を書く、投稿する、というのを中枢に置いて活動しているので
撮って出し、ならぬ書いて出し、をしています。
本当は何かテーマを持って、それに対する自分の考えを整理して書きたいのですが、、時間を作るのが下手で、というよりそのために使う心のHPが十分な時がほとんどなくて、なかなかできません。

読んで頂く方に共感してもらえるような文章を、もっと作れるようになりたい。


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