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握りしめたこだわりの原点を思い出す

皆さんは、料理好きですか?
どのくらい、お料理しますか?
私は、お料理好きです。
だけど、コロナ禍を終えて自分の料理スタイルに変化が
あった今、以前の自分の料理スタイルは行き過ぎていた、
本心からではなかった、と気づきました。

私は、結婚して20年くらいになりますが、
「毎日食べるものが私の身体を作るもの」と思って、
ちゃんとしたものを料理することを
とても大事にしてきました。

激務だった共働き時代も、
夕飯を料理できるように早めに帰って、
おかず2品とご飯が揃う様に料理していました。

その後の子育て中も、
冷凍食品や出来あいの物など
殆ど買うことなく、3食栄養バランスを考えて
料理していて、
家族からは「そんなに頑張らなくても良いよ」
と言われていたのに、それを止めることが出来ませんでした。

そんな中コロナ禍がやってきて、
主人は在宅勤務、子供3人は休校となり、
毎食5人分の食事を手抜きせず料理していたら、
うつで身体が動かなくなりました。
(理由はこれだけではないかもしれませんが)

そんな風になって初めて、出来合いの物を買ったり、
冷凍食品に頼ったり、
家族で料理してくれる人がいればお願いしたり、
といった自分の料理へのこだわりを手放すことを
学んでいきました。

自分が何であんなに
「ちゃんとしたものを料理すること」にこだわっていたんだろう?
と記憶をたどると、こんなことに行きつきました。

私の母は料理しない人でした。
食事を与えてくれないか、というと
そうではないのですが、
買ってきたり、店屋物がとても多くて、
料理してくれても単品で。

学校に持って行くお弁当も、
いつも甘い卵焼きと、きゅうりの乱切りと、
ソーセージと決まっていて。
友達の色んなおかずが入っているお弁当が
羨ましかったです。

これは、今思うといけないことではなく、
母は単に料理が嫌いだったのだと思いますが、
子供だった私は母のこんなところがとても嫌でした。

「母は愛情がないから栄養を考えて料理してくれないんだ」
「母は愛情がないからお弁当に手をかけてくれないんだ」
と思っていました。

そして、
「自分は家族が出来たらそんなことはしない。
家族が出来たら愛情をかけるんだ」と思い、
その結果、私にとってちゃんとした料理をすること=愛情
となっており、それをずっと手放すことが出来なかったんだ、
ということに気づきました。

今では
「一日1回くらいちゃんとしたものを食べれたら
良いじゃん」と言える自分になって、
「縛られている」のではなく、
「自分の心地よいを選択している」感覚がして
自由になった気がします。

しかし、私達は結構子供の頃に思い違ったことを
未だに握りしめていたりするものだなぁ、と思います。



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