うっかり躁振り切れて安心院なじみになってた話。

8月下旬。ツイートのスタイルが変わり過ぎてお気づきの方もいらしたかもしれないが、あり得ないほど躁になって振り切れてしまい、安心院なじみ経由で正気に戻ってまいりました。

1 . 病状について

そもそもの発端は、家族関係にストレスを感じていたことにあるのですが、原因となった家族とは現在距離を置いており、これ以上は悪化しないだろうと考えておりました。

またメンタルクリニックにも通っており、強迫性障害としてセルトラリンを服用し、治療を進めていました。3回目の増量で違和感があったため、躁になりつつも服用を停止したのですが、症状は良くならず入院することとなりました。

入院中のことに関してはまた詳しく別の機会に書こうと思いますが、今回はその躁の状態の時の行動や、覚えていることについて話をしてみようと思います。

あくまでも私の場合なので全員がそうではないということはぜひ心に留めておいてくださいませ。

私の記憶では、段々と時間の感覚がまずなくなっていきました。1日が長く感じられ過ぎて1週間くらい経ったように感じてしまう、もしくは1分が1時間のように感じられてひどく長く待つように感じていました。

次の記憶では、とにかく楽しくて、1日の感覚がわからないのでご飯のタイミングや薬のタイミングも徐々に見失っていき、でも楽しいのでひたすら自分が楽しく生きてきたそのコツを喋り倒して家族に聞かせていた気がします。

前後関係は分かりませんが、自分で殺人現場のような状態を作り、そこで自殺したらどうなるかと動かないで死んだふりをしてみたり、あり得ない時にあり得ない格好で本当は怖いのにでも行かなくちゃと決意してそっと外に出たくせに家の外からは出ずにずっと外で座っている等の奇行も試していた記憶があります。

喋り倒していた内容に関しては後述しますが、とにかく全能感にあふれていたため、自分が元々持っていた指輪こそが文字通りのプラチナ・パスポートになるから何でもできると言い始め、もともと予定していたフライトの時間より前の日に軽装備で出かけようとしたり、あり得ない状態で外で活動しようとし始めたため、母が心配してとにかく外に出さないようにしてくれていました。

物理的に止める瞬間も多くあったように思います。そのうち話も通じなくなり、心配なので病院に連れて行こうとしても一緒には行かなくなり、どうしようもなくなり、救急車で搬送してもらって病院で診療をしてもらいました。救急隊の方、大変お世話になりました。

それからは入院して治療をし、少し落ち着いたため退院して自宅療養となりました。退院してすぐは環境が変わったこともあり、日常生活を送ることが全くできなくなってしまったため、あまりにも何もできないことにとてもショックを受けました。

例えばじっと座って本を読む。まずじっとできない。ソワソワしてしまう。立ったり座ったりして動いていないと気持ちが悪い。それに疲れからか焦点が合わないため本の文字も読めない。

例えば家の中を移動する。じっとしていなくていい分楽だが、入院中近いところでしか移動せず、また、上下移動もできない病院であったため、2階へ行って帰ってくるという作業だけで息切れしてしまう。

例えばご飯を食べる。じっとしていられないのが既にしんどい。それに入院中経鼻で栄養剤を入れていた関係で鼻詰まりがひどく、食べているだけで息ができなくなって苦しくなってしまう。

などなどとにかく何もできない状態でした。現在は少しずつ快方へ向かっております。

2 . 安心院なじみ化

ここで後述するといった喋り倒していた内容について覚えている範囲で話してみようと思います。

まず、世界と繋がっていました。私がこの世界線のゲーム・マスターで、ゲーム・マスターだからこそ何でもできるけど何でもしてはいけない、そうすると世界が壊れてしまうし、私がゲーム・マスターではいられなくなってしまうから。

ゲーム・マスターでいると何が良いか、助けたい人を助けられる。ただし二番目に助けたい人を。一番嫌いなものを差し出す代わりに助けられる。

という前提で考えを進めていたように思います。だから母や弟を助けたくて、得意なこと、それを生かす方法を喋り倒して説き伏せることで教え込んでいた気がします。

それらを私はチートと認識していました。介入しすぎだからです。でもチートをしてでも助けたかった。私の持つたくさんのスキル、たくさんのキャラクターの中から適切なものを選んで適宜与えていきました。

特に母は頑固なので、元気にするためにコンプレックスの原因となっていることを全て暴いて論破し、大泣きさせて少し元気になってもらいました。私のその時の気持ちは千と千尋の神隠しでした。

時々他の作品を流用することもありましたが、基本的には敬愛する西尾維新の作品からキャラやスキルを流用することが多かったように思います。

入院することになった病院送りの日は、めだかボックスの不知火半袖を全力でやってピンクのキラキラ(本当にキラキラ。ただし幻覚)を出したりしていました。

不知火なのでとにかく見守ってくれる先生方や看護師さんを出し抜くこと、ルールを変えようとすることに注力していました。あの時投げてしまったものたちには申し訳ない気持ちでいっぱいです。身代わりの術で先生をどかして部屋の外に出ました。

部屋の外に出て病院の中から出て、でも足はなくて(救急車で来たからね)そこからは記憶がありません。別の病院に搬送になったそうです。

3 . 安心院なじみというキャラクター

スキルやキャラをたくさん持ってみて、安心院なじみの気持ちが初めてよく分かりました。私は全てであって全てでない。みんなであるからみんなを残すには逆に私が影武者として殺されるしかない。

スキルをあげる死後の教室にも理由があって、気がついたのにそれを忘れてしまいました。死後の居残り練習、補修みたいなイメージだったかもしれません。

安心院なじみ自身は何であったかという私の考えは、多重人格者で、めだかボックスの本当の登場人物は女の子1人と男の子2人だったのではないかと思います。

あまりにも凄すぎてキャラとして崩壊しない限界が安心院なじみという形で、初め封印されていたのも精神科で縛り付けられていたというメタファーかもしれません。中学の頃の顔をはいだ話も多重人格者ゆえ中身を知りたくなった球磨川禊の奇行と捉えることもできそうです。

実際精神科ではボタンと棒で構成された磁石式のネジのようなもので拘束されます。また、いい子にしていると一個ずつ外してもらえます。
また、外れる前でも面会時には外してもらえます。(面会が許可された場合)

つまり安心院なじみは人吉善吉と球磨川禊を助けるために分身してまで世界を作り、見事に守り抜いたのです。自分を殺さないといけない、殺すシステムはなくてはいけない、それを代わりにやってくれる人も用意してまで、守り抜いたのです。

そのくせ安心院なじみはハーレムの外にいて、ハーレムの中心には人吉善吉と球磨川禊だけがいるのです。

とても寂しくて切なくて、でも絶対に私の話だ、私のために西尾維新は点対象の名前で見つけられる人を逆にペンネームで探してまで救ってくれたのだ、そう思いました。

だから私も誰かのパラシュートになりたい。私を見つけてくれた人の、その人だけでも救えるパラシュートに。

以上、綿来すずめの決意表明(マニフェスト)でした。


文責  綿来すずめ

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