スズメの日記 ─精神科入院の恐ろしさ
心療内科にかかったことはおありだろうか?最近では心の不調に関する情報が増えてきたこともあり、医療機関にかかって自分とうまく付き合うための方法を見つけようとされている方も多いかと思う。
しかし、心療内科や精神科、メンタルクリニックと一線を画す”治療”が行われるのが、精神科での入院である。
今回は、精神科での入院の概要とその恐ろしさについて記述する。
1 . 精神科で入院するということ
精神科の入院で主に目指されていることは、社会生活ができるように生活を整えること、気持ちを落ち着けること、家庭に原因がある場合などに一時的に離れて心を休めることなどが主である。しかし、本質は全く違うところにあると私は考える。自分の気持ちが大きすぎる人間を矯正して気持ちを抑えつける訓練をさせる強制収容所であり、現代社会における社会的人権剥奪施設である。ここでは私の個室での入院を例に話を進める。
2 . タイムテーブル
では実際にどのような生活が送られているのか。
まずはタイムテーブルを示す。
このように囚人のようにかなり厳密に時間が区切られた生活を送る。
3 . ルール
次にルールなど。
ルールは大変細かく、特に持ち込みに関する制限が強い。今はコロナ禍であることもあり、お見舞いも制限されているため、それに伴い持ち込み品にも制限が増えている。
許可されていること
症状が重く、拘束がしっかりされているような状態では、ほぼ何もできない(物理的にも)。
そこから、拘束が解けていったり、部屋の鍵が開くようになったりすると、本を読んだり絵を書いたり、懇談室に参加したり、電話をかけたりなど様々なことができるようになっていく。
医師が症状をみて、大丈夫そうなら逐次許可を出していくシステムだった。
たとえば、おかゆ300gを食べきるのが辛くてつくだにを持ち込みたいと思い相談したら、それ自体も許可が必要で医師に確認するのでお待ちくださいと回答があった。
持ち込み品
そのほかにも持ち込み品には制限があり、紐状のものや鋭利なもの、ガラス製品、陶器などは持ち込み不可となっていた。なるべくなら安全性を確保しておきたいということらしい。例えばノートでもリング式は不可で綴じたもののみ許可がおりた。
またスマホやタブレットの類もNGである。特に初期はテレビも視聴不可でとにかく刺激が少ないような生活を心がけて落ち着けるように治療を進める。
ただ手紙の送付受信は常に自由であったため、連絡する必要がある場合は手紙を利用すると便利である。
生活全般
お風呂は完全に拘束されている間は、顔と手をおしぼりで拭くくらい。論理的な会話ができるようになってくると、一時的に拘束を解いてお風呂に週二回介助浴(監視付き入浴)が可能になる。拘束が完全に解け、扉の鍵も開くようになると自由に入れるため週4回まで入浴可能になる。
散髪や爪切り髭剃りなどは、看護師さんに預かってもらっているものを使用もしくは借用して用を足す。
びろんびろんにはならないので安心されたい。
洗濯はおむつ・病衣を利用している間は基本的には不要だが、私服を身に付けるようになると必要となるため洗濯機、乾燥機、乾燥室も完備されていた。もちろんお見舞いに来た家族に洗濯を依頼するのもOKだ。
また喫煙不可であったため、愛煙家にはとても辛い施設であると思う。
ルールの厳格さ
ご飯や薬の時間は厳密に決められており、空調も全館空調のため、全ての環境に自分が合わせていくことが必要とされる。ただ、合わせるための手助けはしてくれる。声がけしてくれたり、話を聞いてくれたり、物理的に冷やしたり温めたりなどなど。お菓子も許可されれば持ち込み可能である。許可される種類には個人差があるのかもしれないが、基本的にはスーパーで売っているような個包装のお菓子。カントリーマアムやたべっ子どうぶつなど。ご飯に差しさわりが出ないように、ポテチなどは小さいサイズを選ぶと良いそうだ。
外出や外泊は不可能ではないそうだがもちろん医師の許可が必要となる。私は経験していないため割愛する。
治療スケジュール
また、治療スケジュールだが、私の場合は無理を言って期間を短縮してもらったため割愛する。
主に病状を慎重に見極める時間、その診断に基づいて薬をスイッチしていく時間があるらしい。通常は2-3ヶ月入院での治療にかかるらしい。
4 . 精神科入院の恐ろしい点
精神科での入院は恐ろしいものだと考えるようになった出来事をいくつか紹介したい。
鎮静剤
話が通じない、暴れて手に負えない等の場合に使用されるようだが、当の本人としてはその間の記憶や視覚は曖昧なのに、触覚や痛覚はしっかり記憶に残るため何をされていたのか考えるだに恐ろしい、人間不信の状態に陥る。
最悪、改造人間にされていたとしても気がつけないということだ。
いや、もはや私と思っているこの人体、生命体は本当に私なのか、そういうことまで不安になるほど最悪の手段である。
拘束
鎮静剤である程度処置をしたら、ベッドに移動させて拘束する。基本的には希死念慮の強い場合に使用されるようだが、私の場合は単にご飯を食べたりじっとしたり言うことを全く聞けないために拘束になったようだ。
拘束の恐ろしいところは、動けなくなることにあるのではない。
不自然な荷重を各所に与え続けることで、筋肉の動きをおかしくさせることにあるのだ。
それを思えばすごく重そうな手枷や、そのくせ長い鎖がついている場合等も得心する。荷重さえかけ続けられるなら他は制限する必要がなくなるのだ。
なぜならば、筋肉の動きをおかしくさせることそれ自体が強烈な枷となるからだ。
実際1週間ぶりに拘束を全て解いてもらった際は、重力が逆さになっていると感じるくらい筋肉も平衡感覚もめちゃくちゃになっていた。
牢屋というのは大変恐ろしい場所だ。
睡眠時間
精神科で扱う病気の多くは睡眠に問題がある場合が多い。そのため睡眠薬を服用する患者も多いのだが、病棟では服用に当たって「その時間に必ずその人にその分だけ」という管理を徹底しないといけないため、入院中は睡眠薬すら飲む時間、飲むタイミングが決められている。
つまり、眠くなっても薬を飲むまでは寝てはいけない上、寝ずに我慢したせいで眠気が飛んで薬を飲んでも眠れなくなったとしても誰も何もしてくれないのだ。
また異様に長く睡眠時間が取られており、夜の時間は大変長い。寝ていても長いくらい長い。眠れないと尚更である。
この睡眠にまつわる制限は私を特に苦しめた。
ナースコール
初期はナースコールのボタンを与えてもらえない。なぜならば暴れる状態にある人にナースコールを与えるとキリがなく何の意味もないからだ。
しかし本当に呼びたい時にも呼べない。人権はないのだ。
例えば経鼻で栄養剤を入れてもらっていたために鼻詰まりがひどくなったとき、本当に息ができなくなったのにナースコールが無いために人を呼べず本当に苦しい思いをした。
ただ、勘のいい看護師さんが担当だと、暑くて寝苦しいだけの時にも見に来てくれて、涼しくなるように水を飲ませて扇いでくれたりはする。
過ごし方
許可されるまでは自分の部屋に禁固状態であるため、持ち込み品のみで過ごすことになる。拘束されている場合はもはや天井と会話もしくは自己内対話、睡眠などで時間を潰す他ない。
許可が出れば、外の懇談室でテレビを見たり、病院の有志でつくられた文庫から本を借りて読んだり、時々行われるレクリエーション(映画上映や塗り絵、習字など)に参加したりできるようになる。
懇談室にいる他の患者と交流するのもOKだ。ただし連絡先の交換はトラブルのもとになるそうで全ての連絡先の交換が禁止されていた。
他にも運動不足を解消するために廊下をぐるぐる歩き回ったり、給湯器を利用してスープやコーヒーを楽しんでいる方もいた。
狭さ
病室自体も牢屋のようにコンパクトなため狭くて窮屈である上、今回の病院はワンフロアであったため、上下移動も出来なかった。
廊下はある程度長さがあるとはいえまっすぐで代わり映えせず大変狭く感じられる設計であった。
狭く感じられるが故にどこにもいけないという当たり前のことがより実感として感じられ、本当に苦しい思いをした。
窮屈
睡眠時間の項目や狭さの項目で述べた通り、ルールとしても実際のスペースとしても大変窮屈で、出来ることにも制限やルールが多くとても窮屈な生活であった。
コロナ禍で自宅待機や自宅療養となった方には特に理解してもらえるのではないかと思う。いつも暮らしている家で押し込められるだけでも、もともと引きこもりでも、外に出るなと制限されると酷くストレスに感じるものだ。
部屋の調度品
部屋に椅子がなくベッドに座るしかないためひどく疲れる。ベッドは寝るものであって座るものではないことを実感する。
パラマウントベッドなのでリクライニングもできるのだが、リクライニングを利用するのは拘束されている間のみで、拘束が解けるとリモコンの紐が危ないとしてリモコンが取り外されてしまうため、リクライニングも出来なくなる。
またベッドから落ちないよう柵が設置されているため座ろうと思うとその柵がゴツゴツして本当に座り心地が悪い。
座り心地が悪いと何が悪いか、部屋の中で本を読んだり持ち込み品で時間を潰したりということが苦痛になっていくのだ。
懇談室には椅子はあるものの固く座り心地が悪い上、誰かに声をかけられるので集中して本を読むということは難しい。
先生たちの横暴さ
前述のようにあらゆることに医師の許可が必要なのだが、医師が来るタイミングは医師次第である。つまりずっと放置されてしまう可能性もある。
また、こちらの話を全く聞いてくれない医師が多い。どんなふうに伝えても同じ答えでしか返さなかったり、途中で話を遮られたりとクレーマーのように扱われる。
そもそも精神科では医師と協力して心に向き合う必要があるはずなのにこのような態度では治るものも治らない。薬だけ処方しておけば勝手に治ると思っているのだろうか。あまりの横暴さに入院中はずっと呆れ返っていた。
看護師のデリカシーのなさ(一部)
精神科の看護では、オムツ替えや入浴介助、自殺の予防などで裸を見せなくてはいけない場面も多い。そのこと自体はシステムとして諦めているし、あちら側も配慮して同性を事務的に配置して対応してくれる。
ただ、稀に看護師の中にはあまりにもデリカシーのない方がいる。
例えばお手洗いで便秘の為3分ほど踏ん張っているだけでわざわざ鍵を開けてまで覗いてきて、そのままずっと除き続ける男性看護師や、着替えを持ってきて欲しいと頼んだだけなのに何故か下着の物色を始める男性看護師など、そとであれば痴漢として捕まるような行為を平然としてくる看護師もいる。
理由を聞くと自殺を阻止したかったというだけらしいが、その行為のせいであまりにも人権がないことに絶望して、特に死にたいとは思っていなかった私すらとにかく死にたいと願ってしまうほどデリカシーがなかった。
自殺を阻止したい看護師の患者が1番死にたかったのは、その当の死なせないようにしているらしい看護師のせいだったのは皮肉過ぎる。
人権の無さ
このように全体を通して精神科の入院では人権はない。
あまりにも人権がない際に相談する公的な窓口はあるが即座に対応はしてもらえない。そもそも電話をかけられるように許可されていなければ窓口に相談もできないのだ。
また、看護師や医師に申し出てもはぐらかされてまた拘束になると脅されるだけである。
つまり、
何があっても何を思っても正気っぽく振る舞えないと出られない
ただし、それだけ恐ろしいことそのこと自体が私たちを救う。
どういうことか。
精神科で入院することになる人のほとんどは、当初は取り乱している状態で、会話はもちろん生活も破綻している場合が多い。そうなると鎮静剤や拘束で押さえつけてとにかく生きさせるしかなくなってしまう。ただ、それをしてしまうともちろん本人の心に大きなダメージが残り、人間や医師に対する不信感を大きく抱えることとなる。その状態で、精神科に入院して正気っぽいものを身につけるというのは本当に大変なことである。ただ、私たちみんなが簡単にその状態をなんとか堪えることができる一つの考え方がある。
それは、精神科での入院は恐ろしいものだ、はやく正気っぽく振る舞った方がいい。と知っておくことだ。それがわたしたちがどんな状態になり我を忘れたとしてもまた自分に戻って来れられるための、大事なパラシュートになる。どうか皆様に持っていていただきたい。
学校の校則は拘束という理不尽さの存在になれるためだったのかも。
役に立たない”機械”は逆にみんなの役に立つ。
社会に存在する壮大な"役に立たない"装置(機械)の話でした。
(「役に立たない機械」は中谷礼仁先生の授業より)
文責・画像 綿来すずめ
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