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『デザインの輪郭』(深澤直人)を読んで

デザインをおもしろがるシリーズ。著者は深澤直人さん。読んでいると、深澤さんがだんだん仙人のように見えてきました。「いま考えていること」についてある程度の抽象度はそのままにしてくれているからおもしろい。

深澤直人さんにとってデザインとは、生活者のための存在。人間は環境のなかで生き、そこで関係性の美を育んできた。環境との関係が、そのものの輪郭を決めていく。その輪郭を見出すのがデザイナーの仕事。ざっくりそう解釈しました。

その境地に行き着くにはギブソンのアフォーダンスがあり、レヴィ=ストロースのブリコラージュがあり、高浜虚子の客観写生がある。

深澤直人さんは、「ふつう」を大切にする。「意図を消し」、「考えない」「行為に溶けるデザイン」を手がけ、そして「自分を決めない」。

僕はゴールをもたないし、執着もしない。こうできなきゃいけないというかたちを自分ではいっさいもたない。

ただ、スッとして、そのアクシデントを許容するということの美学が好きです。自由であるということは、細胞しか鍛えていないということです。何をするためにその筋肉を鍛えるかじゃなくて単に「鍛えている」ということです。

そうすれば、どんなゴールにでも行ける。どのゴールだなどと決めたくない。僕はこういうデザイナーだあるなんてことは絶対決めない。偏って肥大した筋肉がきらいです。

いきなり「悟り」状態まで持っていけるのか。深澤直人さんは対談パートなかで、過去の自分を振り返り、このようにおっしゃっています。

深澤 僕のデザインもそうですよ。デザインを見せるためにつくっていたから。かっそいいっていわれなきゃいけないみたいな。その時代はそれで否定してもいけないかなあとも思いますけど。意図的なつくり込みの時代を抜けないと、そこに行き着かないのかもしれない。

過程そのものを肯定するという考え方ってあると思います。ここで感じるのは、本当の気付き(ここで言う、つくり込みからの脱却)は、改める前の行動なしに得られないのでは?ということです。

もちろん経験とノウハウに基づいた教育によって、これから学ぶ人には最短距離でその本質を伝えることはできます。ただしスキルは身につくけれど、その後ろにあるカルチャーは入ってこないといいますか。

伝える人と、教わる人の認識ギャップというのはある種、不可避ではないかなと。その前提のもと教わる人は素直に実直に打ち込めるか。後になってわかればいい。

結論としては、どの人も「いま」に打ち込むというエッセンシャル思考でした。どの分野においても、悟れる人は強いなあ。

というわけで以上です!


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