見出し画像

場づくりなんて知らん、とにかく旗をもって走る



悲しいかな、わたしは私を中心に回る世界をただひたすらに生きる事しかできないのだ。


『場づくりとはなにか』について考えて、考えて、現時点で出たこたえはそれだった。



結局どんなにあがいても、もがいても、わたしたちは今のところ自分の脳からしか世界を見られない。

生まれた瞬間から死ぬまで、笑っていようと泣いていようと、自分の存在する場所を世界の隅っこだと認識しようと、スポットライトは常に自分に当たっている。

見る世界をどんな色にもできるけれど、他人のしあわせの尺度は自分の持っている物差しとは色も形も違う。

それは素敵でいて、なかなかにしんどいことでもあると思う。


でも、そうなのだ。





みんな世界のまんなかで生きている。だからこそ、私が人に対して出来る事なんてなにもない。



さて、『Tsukuba Place Lab』のスタッフとなって早1ヶ月半が経った。

ここはというと、異なる価値観が出会い、アイデアを共有できる場。人と人とを繋ぎ、やりたいことを実現していくための場。なのだそうだ。



『Labスタッフになってどう?』
最近よく聞かれる。多方面から。

だから書くことにした。

正直日常はそんなに変わらない。
ちょっとLabに来る回数が増えたかなってくらい。

気持ち的には...まぁそれなりにキツかった。


自分はこの場所で何ができるんだろう、なんのためにここにいるんだろうと考えさせられたから。
考えれば考えるほどに、あまりにもちっぽけな自分がそこにはいた。
仲間の優秀さが身に染みた。(それはそれでけっこうきつかった)


そもそもあがいたところで無力だった。
明らかに無力で、めちゃくちゃ絶望した。
絶望したから、考えるのをやめた。
なんのためとか、どうでもいいなーと。

一人残らずすべての人間が世界のまんなかで生きている。

そうだった、わたしがどう生きていくかでしかなかった。


社会に対しての、まちに対しての、自分の置かれた環境に対しての”こうなったらいいのに”はもちろんたくさんある。
きっとみんなある。それが祈りに近いものだとしても、怒りでも、悲しみでも。
その気持ちがエネルギーになることもあるし、その逆もまた然り。

まちにはそれぞれの生き方や価値観をもった人がたくさん暮らしている。
みんなが暮らしやすかったらいいよね、なんて思うけど、それはきっと結構むずかしい。


私にもし、全世界の戦争を止めることができるくらいの影響力があったなら、絶望もしなかったし、もっと傲慢になっていただろうな。なんてことを思った。
そんなことない人もいると思うけど、わたしは、たぶんそう。


俳優や映画スターには成れない
それどころか君の前でさえも上手に笑えない
転がる岩、君に朝が降る/ASIAN KUNG-FU GENERATION


わたしは他人に何もできない。
それを忘れない限り、とりあえずはこれ以上傲慢にならずに済みそうな気がする。



ただ、自分の理想を描いた旗を持って走るだけ

無力だ、クソこのやろー。そんなことを言ったって理想はある。
どうしたらいいだろう。そこは考えるのを辞めない。どうでもよくないから。

場づくりってなんやねん。ことばにするとどうもチープだ。なんなら”場所”ならもうあるし。

それでも、こんな場があったらな、こんな人に出会えたらな、を叶えてくれたのはLabだった。

人は勝手に救われる。わたしは今まで何度も勝手に救われた。
だからわたしも勝手に生きてたら、わたしがわたしを全うしていたら、いつか誰かしらの感情を動かす、のかもしれない。


無力なわたしにできるのは、自分の理想をでかでかと描いた旗を掲げて突っ走ることだけだ。

正直今までと何ら変わりない。
だけどとりあえずこれを、今のわたしの ここでのこたえとしようと思う。


今はそれしかできないし、たとえいろんなことができるようになったとしても、それだけは変わらないのかもしれない。


ひたすらに走ろう。
なにかと誰かとぶつかって渦ができて、それを横目にまた走る。それができたらたのしそうだ。

わたしは私を中心に回る世界をただ生きる。


結局無力なままだけど、走るからみてて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?