はる丼

さいきんは茨城と東京のニ拠点生活🌻みんなのからだのコンディションをアゲアゲにする仕事を…

はる丼

さいきんは茨城と東京のニ拠点生活🌻みんなのからだのコンディションをアゲアゲにする仕事をしています。茨城県かすみがうら市にあるおつまみ農園で酒のつまみを生成中。

マガジン

  • 感じた事を積み上げる

  • アメリカ横断記

    22歳の時にアメリカ横断をしました。 あの時からずっと日の目を浴びていなかった写真たちを載せています。

    • 感じた事を積み上げる

    • アメリカ横断記

最近の記事

日記的なもの、2023年のおつまみ農園

何がしたいかわからないってよく言われるけど、ずっとひたすらにやりたいことをやってるだけだ。 絶対に成功しないよっていろんな人に説教もされる。うるせえな、そもそも成功ってなんだよって思うけど、今に見てろよとも思う。 今年のおつまみ農園は、まじでほとんどうまくいかなかった。最初こそナスがたくさん獲れたけど、雨が全く降らなかったことと暑さにやられて後半は全滅。(今年、全国の農家さんは本当に大変だったと思う。)パパイヤに限っては実がなりもしなかった。 そんな簡単に上手くいくとは

    • けんかしたいなって思って

      じいちゃんが死んだ時のばあちゃんの背中が今でも忘れられない。 うちのばあちゃんは多分アル中だった。もともと大酒飲みだったらしいけど、父も大酒飲みなので大して意識はしていなかった。 戦闘民族のようなばあちゃんと、同じく戦闘民族で気の強いわたしは、よく喧嘩をしていた。 あの頃、とくに許せなかったのが女の子らしくしなさいという言葉で(小学生くらいのとき)、今思えば、わたしはわたしなのになんで分かってくれないんだろうって悲しかったんだと思う。 ほんとに恥ずかしいんだけど、むかつ

      • 市議会議員任期満了のご報告

        1/27(金)をもってかすみがうら市の市議会議員の任期が満了となりました。 市内、市外のたくさんの方から今回の選挙の候補者欄に名前がないことに対してのメッセージを頂き、こんなにたくさんの方に見守って頂いていたのだと改めて実感しました。 このまちが抱える様々な課題に触れる度、このまちをもっとよくできると何度も思い、また、わたしはこのまちのことを本当に何も知らなかったのだと思い知らされました。 それと同時にかすみがうら市のまちづくりのプレーヤーの少なさや、このまちを諦めてしま

        • かすみがうら市 市議会議員(補)選挙を通してわたしにできること

          こんにちは。この度、2022年7月10日のかすみがうら市 市議会議員補欠選挙(以下、市議補選)に立候補したかねこはるかです。 地元のかすみがうら市を盛り上げたい。もっとユーモアのあるまちにしたい。そんな気持ちはずっと前からあり、この気持ちの先に、今回の立候補がありました。今回市議会議員を志した理由や、思いの丈を書きましたので、お読みいただけたら幸いです。 「はるかちゃん、市議補選出てみない?」 わたしが生まれ育ったかすみがうら市高倉でゲストハウスを営む、地元の方からの提

        日記的なもの、2023年のおつまみ農園

        マガジン

        • 感じた事を積み上げる
          はる丼
        • アメリカ横断記
          はる丼

        記事

          それぞれの

          すっごくうれしいときも、すっごくかなしいときも、どちらも同じように喉の奥がぎゅっとしまるようなかんじがする。 ずっと探してたけど、居場所なんてものはそもそもないのかもしれない。 取って付けたようなやっと見つけた居場所って歌ってたバンドもあったな。 だけど、沖縄に帰ってきたとき、みんながおかえりと言ってくれて、その言葉がとてもうれしい自分もいる。 満たされてしまったときの、たいそうな喜びも、たいそうなつまらなさも知っている。ふたつ同時に来る。 わたしの人生にも時代みたい

          それぞれの

          孤独がないと飽きる

          全部満たされてしまったら退屈だ。 わたしたちは一生孤独だけど(ひとりぼっちという意味ではない)、それは自分が世界にひとりしかいないという証明でもある。 心の穴を埋めるために何かを求めることは、わたしの人生を面白くしてれていると思う。 求めるから出会えた人がいっぱいいて、その人たちがわたしの人生を豊かにしてくれている。 十代のころ、孤独な夜に聴いた音楽は今でもわたしの心を揺さぶるし、奮い立たせるよ。人ってあまり変わらないんだね。

          孤独がないと飽きる

          言葉じゃないなにかで。

          失敗を奪われたくない。 自分で答えを出す前に教えられてしまった時の絶望感といったら。 人より遅くても遠回りでも結構です。 どうせやってみないと納得できない。 どう生きていくのか、どんな人間でありたいのか、何を実現したいのか、いつもうだうだと考えている。意味はないかもしれない。 たとえ途中経過の答えでもいいから、時間がかかってもいいから、自分の言葉を吐かないと、後々なんとも言えない気持ち悪さが心のどこかに残った。 だから言葉にできない事がたくさんあった。黙り込み、言葉を考

          言葉じゃないなにかで。

          アンバランスさは思い出すために

          整ってしまった時、たぶん忘れてしまうのだと思う。心の中にアンバランスがあるから何度も何度も思い出せている。思い出しては落ち込んだり、人にやさしくできる。 平衡を保てなくて苦しい時があったとしても、傲慢にはなりたくない。無力さを思い出すためには足りないピースや歪さ、精算できない借りや一生の恩みたいなものが必要だ。無力で他人に何も出来ないからこそ、人は人にやさしくできるのだと思っているよ、わたしは。 だからまぁ弱さや醜さや寂しさもなくてはならないものだなと思ったのでした。わた

          アンバランスさは思い出すために

          畑をはじめた理由とか

          前回↓ 昔、じいちゃんが山の上で畑をやっていたらしい。畑の記憶は正直あまりないけど、じいちゃんは優しかった。わたしがヤクルトと細かくちぎったチーかまをボウルになみなみに入れてつくった"お弁当"をこぼさず公園まで持っていって食べてくれたりした。わたしは手をつけずに、じいちゃんが食べるところをじっと見ていた。 じいちゃんが死ぬとき、初めて心臓マッサージをされる人間を生で見た。小学2年生、ある日の登校前の出来事だった。 学校が終わり、下校の途中に車で迎えに来た父に『じいちゃんは

          畑をはじめた理由とか

          何も持ってない気になって

          最近はなんだかこう触れるものすべてにムキーっと悔しさを覚えていて、悔しいと思えば思うほどこのままではいけないという迷走した焦燥感に追われていた。悔しさはたしかにエネルギーになる。でもなかなか楽しい方向にいかないんだな、と思った。 この感情には見覚えがあって、わたしの学生時代はいつもこんなかんじだった。恥ずかしくも愛おしい尖ったナイフ期...笑(とは言えその後の社会人生活でも何度もあったな、そういえば) 兎にも角にもこういう時は自分の持たざるものに目が行って、何も持ってない

          何も持ってない気になって

          場づくりなんて知らん、とにかく旗をもって走る

          悲しいかな、わたしは私を中心に回る世界をただひたすらに生きる事しかできないのだ。 『場づくりとはなにか』について考えて、考えて、現時点で出たこたえはそれだった。 結局どんなにあがいても、もがいても、わたしたちは今のところ自分の脳からしか世界を見られない。 生まれた瞬間から死ぬまで、笑っていようと泣いていようと、自分の存在する場所を世界の隅っこだと認識しようと、スポットライトは常に自分に当たっている。 見る世界をどんな色にもできるけれど、他人のしあわせの尺度は自分の持っ

          場づくりなんて知らん、とにかく旗をもって走る

          アメリカ横断の旅。フェニックス

          次に向かったのは、アリゾナ州に位置するフェニックス。 前回の記事で次はテキサス州とお伝えしたのですが、フェニックスの事を忘れていました。 なんせもう3年以上前の事で・・すみません。 大目に見てください(笑) と言ってもフェニックスがつまらなかったというわけではなく。 そこら中にサボテンが生えたその景色は、私は今日本にいないんだ。旅をしているんだ。という気持ちをより深いものとさせてくれました。 前回の記事はここから⇩ 果てしなく歩いた。 メキシコ料理。 このメキシ

          アメリカ横断の旅。フェニックス

          アメリカ横断の旅。ルート66、グランドキャニオン

          ROTE66。私がアメリカ横断を決意する前から行ってみたかった場所の1つです。そのROTE66を通って、アリゾナ州に位置するグランドキャニオンへと向かいました。 前回の記事はここから⇩ まず。 ROTE66は1926年〜1985年までアメリカの国道に指定されていた道で、シカゴからサンタモニカまでを結んでいました。 現在は役目を終えて『旧国道』となっていますが、映画などでも使われていて、ザ!アメリカ!!といったかんじの道です。 運動神経が悪そうなジャンプをご覧ください。

          アメリカ横断の旅。ルート66、グランドキャニオン

          アメリカ横断の旅。ラスベガス

          次に向かったのは、ネバダ州、眠らない街ラスベガス。 前回の記事はここから⇩ ラスベガスは、モハーベ砂漠の中にあります。 向かう道中のバスの中より。 到着。 ホテルの中にカジノがあった。 昼間のラスベガス。 少し都心を離れると、ぬぐい切れない砂漠感。 眠らない街・・ 少しだけ当たった。 日本円で約25000円がいきなり当たり、鳴り響くベル・・ 注目を集め(実際はそんなに見てなかったのかも)、かなりびびり、部屋にお金を隠しに行きました。(笑)

          アメリカ横断の旅。ラスベガス

          アメリカ横断の旅。サンディエゴ2

          前回の記事はここから⇩ 特大サイズのPIZZA。 アメリカで見る凧。 あの頃は、ここまで飛べた。 流木かと思ったら アザラシ。 お決まりの。 サンセット。 きれい。 海沿いってやっぱりいいですね。 ロサンゼルスよりも少し田舎で、心落ち着くサンディエゴ。 良かったです。

          アメリカ横断の旅。サンディエゴ2

          アメリカ横断の旅。サンディエゴ1

          次に訪れたのは、カリフォルニア州にあるサンディエゴ。 私がアメリカ横断の旅の中で、最も気に入った場所です。 ロサンゼルスから、西海岸沿いをさらに南に向かうとサンディエゴがあります。 私たちは、その場その場で宿を探していて、気に入った場所には長く滞在するというルールを決めていました。 ですが、次に向かうラスベガス行きのバスだけ先にとっていたので、サンディエゴには2泊しか出来ず、今も悔いています。もっと長く居たかった。。 いつか、サンディエゴだけに長期滞在する旅行に行きた

          アメリカ横断の旅。サンディエゴ1