【アートのミカタ12】ジョルジュ・スーラ Georges Seurat
【人物】新印象派の点描画家
19世紀の新印象派主義の画家として知られているスーラ。
『グランド・ジャット島の日曜日の午後』が象徴的で、明るい点描画を好んで描いていた画家と言えるでしょう。
とっても若くして(31歳)亡くなってしまったのですが、それを感じさせぬほど大作を世に残してくれました。彼が髄膜炎で倒れなければ、一体どれほど大きなな功績を残していたでしょうか。
「新印象派」と名前からわかる通り、彼は印象派(*1)の影響を大きく受けていました。彼が点描に行き着いた経緯や、これほど明るい画面に仕上げた所以を感じさせられます。
今回このブログでは、スーラが独自の技法に行き着いた流れを書いて行きたいと思います。
(*1)芸術運動の一つ。モネ、ピサロ、ドガなど多数
なぜ美的センスを磨くのか。科学の発展に伴い、心を作る芸術的思考もより広く知ってもらいたい。
このブログは、歴史上の偉大な画家たちをテーマに、少しでも多くの人にアート思考を築くきっかけにならないかと書いています。
まずはそれぞれの画家の特徴を左脳で理解し苦手意識を払拭するのがこのブログの目標です。その後展示等でその画家に触れる前の下準備として御活用下さい。私たちの味方となり、見方を変える彼らの創造性を共有します。
グランド・ジャット島の日曜日の午後(ジョルジュ・スーラ1884-1886)
目次
【人物】新印象派の点描画家
【背景】勤勉なおぼっちゃま
【核心】科学者的分析を芸術に
【背景】勤勉なおぼっちゃま
1859-1891
パリの金持ち(*2)の息子として生まれたスーラは、画家としては順当な人生を歩んで行きます。
16歳でデッサン学校へ、19歳でパリの国立美術学校(*3)に入学します。
性格は温厚で勤勉だったらしく、当時(19世紀後半)活発だった色彩学を本で学び、また構図や技法など細かく研究していたそうです。収入の殆どを本に費やすほどで、芸術家仲間から見たら不思議な人物だったかもしれません。
そして20代で(1879)第4回印象派展を見て感銘を受します。
「線画よりも光や色に重点をおくんだ!」と感じ、シュブルールやルード、シャルル=アンリ(*4)などの書物を読み漁り、色彩学にのめり込んだそうです。
(*2)資産家の息子。裕福な中産階級の家系だったそうです。兄も姉も10歳くらい離れていたためママっ子だったとか。
(*3)エコール・デ・ボサール。ドガ、ドラクロワ、アングル、モネ、ルノワール、シスレーなどなど多くの画家がここで学んでいた名門学校。
(*4)シュブルール(フランスの有機化学者、著書「色彩の同時対照の法則」)ルード(アメリカの自然科学者、著書「色彩調和論」)シャルル・アンリ(数学者、著書「科学的美学に関する序説」)
エッフェル塔(ジョルジュ・スーラ1889)
【核心】科学者的分析を芸術に
スーラは印象派主義が直感的に描いていた技法を、より洗練させるため視覚理論、色彩理論に基づいて描いていきます。
これは彼がとても勤勉だからこそ行き着いた画風だった、ということでしょうか。
パレット上で絵の具を混ぜすぎると、どうしても彩度が低くなってしまう。それを懸念し、できるだけ原色のみを使って深い色合いを出そうとして模索した結果が、点描です。
そういったスーラの模索段階がわかるスケッチが残っています。
クレヨン画
点描に行き着いたスーラは、スケッチ段階でも点描を意識して作成しています。
また念入りに構図や配置を検討するため、こうしたスケッチを幾重にも重ねたとされていたそうです。
前回、ルノワールを紹介しましたが、彼のスペクタクルのごとき作風とはまた違った魅力を感じる画家です。
かなりフラットな印象を受ける作品ですが、奥行きや回り込みを感じない分、彼の目指していた色彩や光が浮き立っているように感じます。
これが後のフラットデザインにも影響させているのでしょうか。
スーラの作品には、印象派と新印象派の関係性、さらに現代のミニマルデザインとの関連も感じさせます。
シャユ踊り(ジョルジュ・スーラ1889)
sample
ここまで読んでくださってありがとうございます。
画家一人一人に焦点を当てると、環境や時代の中で見つけた生き方や姿勢を知ることができます。現代の私たちにヒントを与えてくれる画家も多くいます。
また次回、頑張って書くのでお楽しみに。
いつもたくさんのご支援・ご声援、ありがとうございます。