明治最後の浮世絵は血だらけで哀しい絵
三島由紀夫が「血みどろ絵」と形容して以来、血みどろ浮世絵と語られた月岡芳年の作品。
初めて見た時はとても怖かった。しかし、当時浮世絵は新聞や雑誌程度の役割しかなかったものに対し、月岡の浮世絵はどこか作品性を感じる。
連作「月百姿」を拝見した時は、その後ろ姿にドラマを感じました。ということで今回日曜美術館を拝見したのがきっかけで、月岡について記述しておこうかと思います🤲
「月百姿」シリーズ 54.
『名月や来てみよかしのひたい際 深見自休』明治18-25
「血まみれの絵」制作意図
月岡芳年(よしとし)1839年4月30日
幕末から明治にかけ活躍し、最後の浮世絵師と呼ばれました。
作品には武者たちが血を浴び戦う姿。月を象徴的に描き退廃や哀愁を感じさせる人物像などがあげられます。
『魁題百撰相』滋野与左ヱ門
日曜美術館では、月岡芳年の作品ん多く所蔵している町田市国際版画美術館が登場しました。
特に取り上げられたのは、明治元年から描き始めたという『魁題百撰相』シリーズ。現存するだけでも65点確認されてるものだそうです。
『魁題百撰相かいだいひゃくせんそう』は、月岡が江戸初期の歴史上の武将達を描いた作品です。一見すると江戸中期の浮世絵に見られる武者絵の大首と類似していますが、月岡芳年の作品は何と言っても血だらけの武将達の悲惨な姿が目の裏にこびりついてなりません。
もちろん月岡は当時の人物を実際見たわけではありませんでした。
彼が見たのは戊辰戦争の戦場です。
『魁題百撰相』森力丸
歴史上の人物×現代の戦場
戊辰戦争(明治元年から2年、1868-9)
薩摩長州土佐らの新政府軍が旧幕府軍と対峙した戦争。新政府軍をイギリス、旧幕府軍をフランスが支援。
旧幕府軍の最高指揮官は徳川最後の将軍、慶喜。慶喜は大阪城を抜け江戸へ向かったため旧幕府軍は総崩れとなりました。後に江戸へ攻める新政府軍は江戸で対峙。しかし勝海舟や西郷隆盛らとの話し合いの下「無血開城」となりました。
その戦場に足を運んで自らの目で見たからこそ、このような血だかけの浮世絵が完成したのでしょう。惨劇を、美談で終わらせない、真に迫るものを感じました。
『魁題百撰相』阪井久蔵
事実を曲解してドラマチックに?
当時戦争の様子を知らせるのは新聞が担っていました。文章だけでも鬼気迫るものがありましたが、人々はビジュアルでも体感したいと、浮世絵の需要は高まったようです。
実際の西南戦争などを描いた風刺では、月岡は見ていない場面を新聞の文面だけを頼りに描いたそうです。
先程の魁題百撰相とは違い今に起きている事を当時の人が描く。
…にしては(見てないので)間違った解釈も多かったようです。
しかし人々は事実以上にドラマチックさを浮世絵に求めました。
『薩州鹿児嶋征討記之内 賊徒之女隊勇戦之図』
当時本当に女性兵士が戦場に出向き、旧幕府軍と対峙したのか?これま偽のニュースだと見られているそうですが、絵としては最高のシチュエーション
晩年の月岡芳年は、浮世絵師を越え、芸術の域に達しようと制作を進めたそうです。
上記のような体験をしたからなのか、人々を魅了する絵づくりに舵をとったようです。
『奥州安達がはらひとつ家の図』明治18年
最後の浮世絵師とは、浮世絵…今で言うチラシのような存在だったものから脱却し、本当のアートに手を掛けた絵師だったのですね。
芳年の飽くなき血の嗜欲は 血みどろ絵において絶頂に達する
三島由紀夫
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