心は子供のまま大人になってた。



わたしの生育環境、

食べるものには困ってなかった、

着る服もちゃんとあった、

お風呂にだって毎日入れたし、

洗濯もしてもらえてたし、

学校で必要なものにはお金は出してもらえてた。

家族で旅行にも行ったことあるし、

ディズニーランドにも連れて行ってもらったこともある。

世の中にはそれすらしてもらえなかった人もいることを考えたら、

わたしは被虐待児の中では恵まれてた方なのかもしれない。

おじいちゃんが亡くなるまで、お小遣いもたくさんもらってたし。

じゃあわたしの生育環境がどう、機能不全だったのか?

気が付いたら、父親はわたしと口を聞いてくれなくなっていた。

わたしがずっと憧れていた、同級生のHちゃんを、

普通のお家だとすると、

わたしから見た彼女は母親からも父親からも

めいっぱいに愛されてるように見えた。

わたしは彼女のように、父親と会話が出来なかった。

してもらえなかった。

思春期特有の、父親の毛嫌いとかではなくて、

わたしという存在を無視されていた。

家族5人で食卓を囲っても、

彼にはわたしの姿が見えていなかったみたいだ。

弟や妹や母親には話しかけるけど、

わたしには話しかけてくれなかった。

わたしは彼の望む「良い子」ではなかったから。

彼の望む「良い子」だった弟は大学に進学した。

うらやましいね、やっぱり男の子様は違うんだね。

わたしには時代錯誤な固定概念を押し付けてきてたね。

「女の子は結婚して子供産むから」

中学生くらいのときに進路の話をしてたらそう言われた。

幼いながらに聞いてて時代錯誤だなと思ってた。

結婚して子供産んで家庭を持つことが幸せだって決めるのはわたしであって、

あなたの固定概念をわたしに押付けて来ないで欲しかった。

できることならわたしも高校の先に進学したかった。

でも「高校より先の進学費用は出さないよ」散々言われた。

これも悲しかったな、

本当は高校も辞めたくなかった。

でもわたしの話は親にちゃんと聞いてもらえなかった。

定時に編入すれば高卒の資格は得られたのに。

わたしの話どころか、先生たちの話も聞いてなかったね。

あのときの四者面談はまあ地獄だったな…。

先生たちの話を遮ってまで自分の話を押し通す父親。

大人なんだから、

とりあえず一通り先生の話を聞いてから

自分の主張をして欲しかった。

すごく恥ずかしい父親だと思いながら、

早くここから解放されたくてたまらなかった。

鬱が酷すぎて結局高校は中退。

高校3年の10月31日に退学届けを出した。

それから時は経ち、前の家で一人暮らしを始めた頃

弟から猫を飼い始めたという連絡が来た。

すごく悲しくなったよ。

わたしにかけれる金はないのに、猫にかける金はあるんだ…って。

すーには何も罪はないけれど、わたしって猫以下なんだと思った。

わたしはあいつに言われた

「死にてえな樹海まで連れて行ってやるなら誰にも迷惑かけずに死ね」

ものすごく根に持ってる。

あのとき、もうこの人とは一生分かり合えないんだと悟った。

だからね、わたしが死ぬ時は、

最大限の迷惑をかけて死んでやるよ。

言われた通りにするのも癪に障るし、

もし自殺しようってなったら、

復讐として最大限の迷惑をかけて死ぬ。

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