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空っぽさも必要

送り仮名を工夫すれば「そらっぽ」いとも読めるし「からっぽ」なとも読めちゃうこの言葉。

たまに頭の中に文字がありすぎるのが嫌になり、からっぽになってしまいたいと思う時があります。透明とかでなく、無。

DELISH KITCHENのショート動画でタイムマシン3号というお笑いコンビとゲストが料理しながら「サウナに入って整う」について話されている回がありました。

「整う」という感覚について3人のうち「二人が整うことが好き」「一人が整ったことない」派に分かれ、整ったことがないのは思考で埋め尽くされていて無になれていないからなのではないかと話をしていて、すごく腑に落ちました。私も整ったことがない派だったので。

確かに。

感覚100%に身を任せる。っていうスイッチは苦手かもしれません。刹那的、感覚的な快楽に対して鈍いのかなぁ。感覚的になれよ!って言われてもその力の抜き方に力が最初入ります。

一般的に言えば「サウナで整う」とは体と脳(心)が同時に一致した状態になり究極のリラックス状態になることなんだそうです。
(高温⇒低温⇒外気欲)

何も考えたくないからサウナに行きたいけど、整うには?って考えちゃう時点でもう整えなさそうです。むむむ。

だから私は瞑想とかも苦手。
あと何分かなとか静寂の中の音を拾ってしまう。
邪念です。

違う方法で、体は楽なはずなのに、頭だけが重たくてしんどいな、と感じるときはその重みを忘れられるような何かを探したり。没頭できる小説を読みたくて本を読むこともあるけれど、読書はその瞬間は良くても読後考えさせられてしまうことが多かったり。選書が意外と難しかったりする。逆に非日常なファンタジーとかも面白いけど設定読むのに疲れちゃったりとか。最近はいっそ哲学とか文学よりの方が溶け込めるような気もしたり。暗く辛くならないやつでね。

となるとシンプルなアウトプットって記事を書いたり、紙に文字を書いて行ったりすることが心地よかったりもするけれど記事も結局は考えちゃうし。
徒然ならままに書けるときもあれば、そうとは限らないもの。そらそう。

空の写真に癒されるのも、空の広さと毎回違う色彩にどこか救われるような気持ちになるのかもしれません。

グラデーション大好き

でもいつか友達がしていた始発か夜の海から朝日を見るとかもしてみたいな。

疲れてないけど疲れた!!
甘いものをとりあえず食べてきます🍪
ではまた!




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