見出し画像

理解▶共感▶思いやり

「理解はできるけど共感できない」ってことあるなぁと思って。
でもきっと自分自身の「共感」のラインって価値観にもよるし、自分らしさを守るものな気がしたの。だから無理して話を合わせるために自分を殺して共感はしなくてもいいと思うし、それがずっと求められる環境なら逃げれるなら逃げてもいいかも、って思うの。

自分の中で整理していると下記の順番に進んでいくものだなと思いました。

理解…他人の気持ちを汲み取れること
共感…汲み取った他人の気持ちを自分も持つこと
思いやり…理解、共感したうえで、一緒にその困難を乗り越えるための手助けをすること

更に、共感は疲弊
思いやりは自分自身にとって健やかで他者に対しても優しいという研究があるそうです。

でもこれってすごく納得感があって、
共感力高い人って、すごく必要エネルギーが多いと思っていて。
(快の感情ばかり共感できるとは限らない故に)
やっぱり大人、子供にかかわらず「楽しい話をする人」と「愚痴をいう人」には分かれるなという感覚もあって。戒めもかねて自分では「愚痴でおわらないようにしよう!」と気をつけています。

「将来の人とはどんな関係性を築いていきたいですか?」
「お互いに思いやりの気持ちを忘れずに楽しみながら生きていきたいです」
と思っていたけど、お互いがこの最上レベルを保つことができればやっぱりうまくいくんじゃないかな、なんて思いました。
「どんな人がタイプなの」「優しい、落ち着く人」とプロフィール帳に記入し続けていた人生でしたがやっぱりここはブレずに、思いやりを持った人が大好きで、願わくばその思いやりの価値観が近いとより疲弊せずに良い関係性を築きやすいなと思いました。

とはいえ同じ人間寄りだと居心地が良い。
違う人間だと刺激となって面白い。
どんな日々が好きか次第ですよね~。どんな人生でも楽しそうですなと思いながら共感と思いやりの違いに思いを馳せていたのでした。

あなたはどんな日々がお好きで大事にしたいと思っていますか?
ではまた!



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?