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好きを仕事にした私たちは、結構クレイジーなレベルだったことについて @mikaikeda6

おはようございます。なんだか台風が猛暑を連れ去ってしまい、だいぶ過ごしやすくなりましたね。それはそれで夏が終わってしまう気がしてなんだか寂しい、ないものねだりの池田です。

今日はオタクのレベルについて書いてみたいと思います。

これ、よく書いていますが、私とゆかの出会いは宝塚のファンクラブでした。
お互いに好きなスターさんが同じで、同じファンクラブに入って知り合い、いつしか一緒に運営スタッフをするようになり、それが極まって仕事になった。超端的に書くとこういう感じ。

前にもなぜノベルティで起業したかということについてはnoteに書きました。

「好きを仕事にした」ってやつなので、昨今それなりにキャッチーでよく話すのですが、この「好き」ってどの程度のものだと思います?

趣味の一つ、というレベルではなくて、相当クレイジーなレベルでやってはじめて仕事になるっていう実感があります。

そもそも私の場合、小学校の頃、友人に借りたビデオ(昭和感!)で興味を持ち、祖母も昭和初期からのファンだった影響で小さい頃から宝塚好きでした。妹と二人で毎晩夜遅くまで舞台の映像をみまくり、大人になってからは劇場に通うようになりました。

祖母との思い出を、以前、個人のブログに書いてました!
(数記事で死んでるこのブログ…)

とはいえ、この時は、それこそ趣味の一つというレベル。他に好きなものができたらすすーっとそっちに流れていったり、部活が楽しくてそっちに夢中になったり、そんな感じです。
これでは仕事になることはないんですよね。

クレイジーになったのは、やはりゆかとの出会いの場であるファンクラブに入って、さらにスタッフになってから。

今、時期を正確に振り返ってみてちょっと愕然としちゃいました。
私たちがスタッフとして活動した期間。

2011年の11月から2015年の9月まで

なんと4年間。

その期間、脇目も振らずただひたすらに前に現れる課題を解決し、日々PDCAを回しまくりました。

お互いによく話すのですが、新入社員時代の1~2年って必死に働くじゃないですか。特にもう20年近く前の新入社員なので、今だとブラックと言われてしまうような環境で、寝る時間もなく働きまくった経験があるのですが、それが今の糧になっています。
でも、会社って必死にやれば仕事に慣れるし、数年したらだいぶ余裕が出てきます。で、30代の中堅の頃になると、力を抜いても結果が出せるようになってくる場合が多いように思います。

そんな30代。

仕事ではある程度決裁権ももち、時間的にも内容的にも自分のやりやすいように仕事ができて、評価もされる。そんな期間。

私たちは宝塚でもう一度新入社員時代を経験したのです。

決裁権:なし
自由:なし
労働:超ブラック(フルタイムの正社員をやりつつなので当たり前)

これに加えて、ボランティアなので給料もなし。

なんでやるのよ?と思われると思いますが、好きなスターさんのためだからそこは高いモチベーションがあるので、そこはお気になさらず(笑)

問題は決裁権や自由がないってこと。
まさに新入社員。

私たち運営スタッフの上には取りまとめをする存在がいました。その人が全ての権限を持っています。まあ事務所の社長みたいなものです。さらに先輩スタッフもいました。

そこで4年かけてやったのは、圧倒的に結果を出して信頼されること

まずは小さなことから、パーティーやイベントの仕切りでも、物販でも、日々の仕事でも全てに全力投球。新しい案を出しては否定される。でもどんどん案を出して、一つでも採用されたものを絶対に成功させる。
うまくいかないこともありましたが、また新しいことをやって精度をあげる。
そんな地道なことを1年か1年半くらい続けたでしょうか。

徐々にまわりの世界が変わっていきました。

信頼され、アイディアの採用率が高まり、決裁権が増えていきました。
振り返って自分たちが面白かったのは、ここで満足して止まらず、ずっと新しいことをし続けて、結果を伸ばし続けたこと。
結果ってわかりづらいと思うので補足すると、例えば、チケットの枚数、パーティーの集客、物販の売り上げ、入出待ちの人数など。
4年間の頭と終わりでは、どの項目も5倍以上にはなったんじゃないかな。

こう書くとさらっとできたようですが、とんでもなく…企画がうまくない場合ももちろん多々あって結果が出なかったり、あとはまああらゆる妨害、妬み、反発もありました。

そんなものを掻き分けながら必死に生きてきて、やっと仕事になったという感じ

この期間、時間もお金も体力も脳ミソもほとんど宝塚に向けられていました。これは好きだからこそできていたなぁとしみじみ思います。

仕事にしようとしてやっていたのではなく、必死にやってたら仕事になった。ノベルティ作りも、コミュニティ運営も、動画も、今やっていることは全てここから実地で学んだな、と思います。

5年前に起業し、並行して続けていたのですが、4年前に一大決心をしてスタッフを辞め、そこからは会社に専念することになりました。
あくまでボランティアだったので、自分で始めたまだ小さい会社との両立は厳しくなったのです。
また、ちょっと新しい世界に旅立ちたいという想いもありました。
ちなみに、こういう決断、私はなかなかできないので、ゆかが決心したのに乗っかった形。
ラブソルのいい感じの役割分担については、昨日のゆかのnoteにもあります。分担って大事。

その後も宝塚のグッズ作りは続けていましたが、徐々にその割合は減っていき、今では売り上げのほとんどが、宝塚とは関係ない法人のお客様になりました。

宝塚はもちろん好きなままなので、観劇にはタイミングが合えば行く。そんなゆるい関係を続けてきました。

が、ここにきてまたおつきあいが深まりそうな予感。

やはり切っても切り離せない関係なのかもしれません

若手のジェンヌさんのお母様が相談に来られたり、昨日も、ホームページ制作に携わったアパレルブランドさんで、元タカラジェンヌの星乃あんりさんの撮影会が行われました。

関わって思うのは、やっぱり宝塚って良いんですよね。
あんなに短い期間に凝縮して熱く咲き誇る人たちは美しいし、支える人たちも素敵。

以前のような関わり方をすることはもうないと思いますが、また違った立場からあの熱さを味わうことになるのかも? そんなことを楽しみにしています。

ま、やるならとことん! ですから。

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【本日の一枚】
宝塚にまつわる写真でそれっぽいのがなくて…
これは実は大阪のリッツカールトンのディスプレイ。
ファンクラブを辞めてゆるゆる観劇していた頃に、リッツに泊まって撮影したもの。
素敵なホテルに泊まって観劇とか、最高です!

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LA BOUSSOLE
代表 池田 実加
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