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オホーツクひとり旅日記 (つながりと生き方についての思考を少々)

少し前の週末、道東のオホーツクへ一人でふらっと旅に出た。
ひとりだからこそ考える時間もいっぱいあって、出会った人たちとも沢山話したので、備忘録として書こうと思います。

旅のはじまり

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女満別空港でレンタカーを借り、出発。
少し緊張しながら走り出した私を迎えてくれたのは、一面に広がるジャガイモ畑。
白い花々に囲まれながら走っていると、日々の仕事で凝り固まった身体が少しずつほぐれていった。

お昼に立ち寄ったのは、期間限定で出店していた「ジビエラーメン」。

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東京農大のオホーツクキャンパスの学生が、増えすぎて困っているエゾシカの有効活用として始めたそう。

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捨てられるはずのエゾシカの骨から出したスープは、臭みはないのにしっかり濃厚。エゾシカ肉の燻製チャーシューも、ほどよい燻し具合で旨みたっぷり。お客さんも続々と訪れ、学生さんたちが楽しそうに作っている姿が眩しかった。

オホーツク文化のルーツを辿る

今回の旅のおともに、私は一冊の本を携えていた。道東のクリエイターたちをつなぐ活動をする「ドット道東」という団体が作ったガイドブック「.doto」。道東に生きる人たちの熱量が伝わってきて、行ってみたくなったというわけ。

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ガイドブックに道東の民族のことが書かれていて気になった私は、網走の北方民族博物館へ向かった。
アイヌよりも昔、オホーツク沿岸には独自の文化を持つ「オホーツク人」がいたというのだ。

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北方民族博物館では、オホーツク人の資料のほか、現在のロシア、北欧、北アメリカなどに住んでいた世界の北方民族の文化が展示されていた。
面白いのは、これだけの広いエリアの民族が、"北方"という点においてつながっていて、共通点があること。

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工夫した服装で厳しい寒さをしのぎ、海に漕ぎ出て豊かな海の恵みを食し、骨なども上手に道具として用い、森ではクマを始めとした動物たちを神と崇め、長い冬の時間には芸術も発展させていた…。

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もちろん違いはあるものの、こうしたつながりを見出せるのが興味深い。
"日本史"の中で世界とのつながりを感じることは案外少ない。日本は島国なんだと思い知らされる。しかし北海道は、本州とは別の形で、世界とつながっていた。船で行き来があったり、流氷に乗ってやって来たなんて話もあるのだ。

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オホーツク文化は、次第にほかの文化と合流したり、無くなっていったという。しかし、「クマ送り」などを考えれば、アイヌ文化への影響はあっただろう。そして、この北の大地で生きた人の営みは、今ここに生きる人にもつながっている…。
本州で博物館に行ったときにはあまり感じない、"世界とのつながり"や"過去と今とのつながり"が、実感を伴って押し寄せてきた。

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高揚した気持ちのまま、オホーツク文化の遺跡が発掘された「モヨロ貝塚」へ。
ここでは、オホーツク人の思いのほか豊かな食生活や、繊細な芸術性の感じられる土器に驚かされた。だが一番印象に残ったのは、この遺跡を発掘した人が、学者などではなく一人の理容師だったということ。彼の名は米村喜男衛。青森に生まれ、考古学が好きだったものの大学には行けず、でも東京で店を構えながら東大の先生のもとへ通った。網走で遺跡の一部を見つけると、さらなる調査のため網走で理髪店を開き、働きながら発掘を続けたというのだ。すごい気概だ…。

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近かったオホーツク流氷館にも立ち寄ってみる。
流氷って見た目がすごいイメージしかなかったけれど、流氷のおかげで植物プランクトンが増え、豊かな海の生態系を育んでいることを知った。流氷ありがとう…今度は冬に来て本物を見ます。

津別へ

夕方、網走から津別へ車を走らせる。
津別の道の駅で、念願のクマヤキをゲット。

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このかわいらしいデザインをしたのは、津別の知る人ぞ知る巨匠アーティスト、シゲチャン。シゲチャンランドも再訪したいな。

夕食は、津別といえばココといろんな人にオススメされていた西洋軒
車で行ってみると、あれ、閉店の札かかってる…!?肩を落としていたら、厨房から「一人?入っていいよー!」と声が。すべりこみで入れさせてもらえたのでした、優しい…。

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豚丼、タレがいい感じに効いていてほんとに何杯でもいける美味しさだった、ごちそうさまでした。

夜はランプの宿森つべつでゆっくり。森の気配を感じながら浸かる露天風呂が最高でした。

雲と森と、五感とつながりと

翌朝は5時半に起床。以前、津別で農業体験をさせてもらったガイドの上野真司さんにお願いして、雲海ツアーに連れて行ってもらった。
わくわくしながら津別峠を目指すが、天気はあいにくの小雨。てっぺんに着くと、あたりは真っ白…雲海は残念ながら見られずだった。
しかし、そこは敏腕ガイド上野さん。話がとにかく面白い。どうして津別峠で雲海が見えやすいのか、屈斜路湖がどうやってできたのか…さながらブラタモリのように、謎解きをするように教えてくれる。
話しているうち、一瞬だけ、雲の合間に出た。私たちは雲海の中にいたのだ。

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「毎日来てるけど、ひとつとして同じ景色の時はないんです」。肌寒い中コーヒーで温まりながら、上野さんは言った。
「場所を変えて違う景色を楽しむのが旅だけれど、同じ場所でも時間が変われば景色が変わる。僕は、時間の旅ができるこの場所が気に入ったから、横浜から移住しちゃったんです」。
時の旅ができる…素敵な言葉だと思った。そして、また来る時を楽しみにしながら、今しかない今日のこの景色を心に刻んだ。

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朝ごはんのあと、再び上野さんのもとへ。今度は北海道でここ津別の森でしかやっていないという「森林セラピー」を体験する。
入る前に唾液中のアミラーゼを測定すると、数値は9。低いほどストレスが少ないのだが、40以下だとストレスがあまりなく、多い人だと200とかの人もいるらしい。私すでにめっちゃ低いやん。さてどうなるのか。

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小川を渡って森に入り、目を閉じて深呼吸してみる。あ、こんなにいろんな鳥が鳴いてるんだ。川の流れる音って、高い音や低い音、混ざり合ってるんだ、とわかる。湿った土のにおい、木のにおい。淀んだ息を吐き出して、森のきらきらした空気を身体いっぱいに吸い込む。

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森の中を歩きながら、上野さんが「五感を使うこと」を教えてくれる。葉っぱの形が少し違うエゾマツとトドマツ。ぱっと見ただけではわかりにくいけど、先を触ったり、こすって匂いをかいだりすると違いがよくわかる。
倒れた木がやがて土に還ることも、木の腐りかけの部分をさわると実感できる。
一方、倒木の上には小さく若い木が並んで生えている。木は地面よりも光の当たる倒木上で成長する。

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何十年もかけて成長する木の脇には、一年の命を精一杯生きるクリンソウが、可憐な花を咲かせている。
ヤマザクラの実を食べてみる。ちょっと酸っぱいけど、ちゃんとサクランボ。
いのちがめぐる。大きな、ゆったりとした、時間の流れ。人間だってたぶん、本来こうしたつながりの中の、一部のはず。

森を一周したあと、アミラーゼを測ると、ちゃんと7に下がっていた。おお…。

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「実は、森林ツアー、オンラインでもやってみたんだよね」。コロナで旅ができない中、上野さんたちは全国のガイドと協力して"オンライン旅"もやってみたそう。たしかに、きれいな景色はオンラインでも楽しめる。では、オンラインで提供できないものは何だろう?その場で体験し、五感で楽しむことーそれこそが、これから観光業が提供するべき価値なのではないか。上野さんはコロナ危機を、観光業を見つめ直すチャンスと捉えて前向きに進んでいこうとしていた。
「VRもあるし、その場に行かなくても見られる・感じられることは増えていく。そのなかで、わざわざ自分の身体ごと行って旅するって何だろうと考えていくと、もはや観光というより『生き方』を考えることにつながっていくんだよね」。
生き方、か…。そうかもしれない。普段忘れていた五感を刺激されて、自分の中の「生」が呼び起こされる感覚があった。
これからの観光を語る中で、いかに地域の中で持続可能なものにしていくかという所にも話が及んだ。地域の資源を消費して外貨を獲得するだけの観光ではなく、地域の人たちにも森の魅力を知ってもらい、地域の人とともに森を育てていく。観光に携わる人と資源が、地域と断絶されるのではなくつながることって、日本のいろんな観光地で必要になっていきそう。

山へ、ボタンを押しに

いろんなことを感じ、考えさせてもらった感謝を伝え、津別をあとにした。
遅めの昼食は、置戸町のそば。太めの麺はしっかりと食べ応えがあって、満たされた。

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せっかく置戸町に寄ったので、特産の木工クラフト「オケクラフト」の店に入ってみる。

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かわいらしく温かみのある、肌触りの良い木の器が並ぶ。さっきまで木々に触れていたからか、普段から木が身近にあるのっていいな…と思い、ちょこっとお土産を購入。

林の中を気持ちよく車で走り抜け(ここぞとばかりに大声で歌いながら)、次に向かったのは「北の大地の水族館」。

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山の中の水族館ってどういうことだろう…と思いながら入ると、たくさんの淡水魚ー"川の魚"たちが出迎えてくれた。

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幻の魚といわれる「イトウ」のほか、ニジマスやウグイなど、川でよく目にする魚たちが泳いでいる。あらためてよく見ると、きらきらした鱗、つぶらな瞳ー君たちこんなに美しかったのか、と思わされる。

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そして何より、説明書きがいちいち面白い。魚の特徴や生態が、マンガだったりプロフィール帳なんかで楽しく書かれていて、思わず読み込んでしまう。

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ひとしきり楽しんだあと、ツイッターで話題になっていた「押すと館長がでてくるボタン」を思い切って押してみた。するとすぐ、「こんにちは」とイケメンな館長さんが現れた。

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身近にいる魚だからこそ、もっと知ってほしいし、好きになってほしいんです」と熱く語る館長。聞いてみると、淡水魚は熱帯魚などの海の魚に比べて色なども地味で、展示に苦労したそう。だからこそ、面白く説明したり、滝つぼなど見せ方を工夫したりしているんだとか。

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素敵な魚だけでなく素敵な人にも出会える水族館でした。

生き方を語る、夜

この日の夜、私は北見で"渦中の人物"と会う約束をしていた。「お久しぶりです」とホテルのロビーに迎えに来てくれたのは、ガイドブック「.doto」を作った「ドット道東」の代表、中西拓郎さん。前回道東を旅した時も色々と案内してくださり、お仕事でも何かとお世話になっている。本の販売や色んな活動でお忙しい中なのに、「道東に行きます」と連絡すると「ここぜひ行ってみて!」と次々に行き先をオススメしてくれた。というわけで、今回の旅はほとんど「拓郎さんプロデュース」だったのである。

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焼肉のまち北見ということで、肉を焼き焼きしながら旅の報告をする。
「オホーツク文化、面白いですね、深掘りしてみたい…」と言うと、「オホーツク文化はロマンですよね!!今お熱なんです」と目を輝かせる拓郎さん。「これは僕の説なんですけど、世の中には狩猟民族と農耕民族の二つがいると思うんですよ」ー突然言い出したこの言葉が、この夜のテーマに。
豊かな山や海の幸をとり、移動しながら暮らしていたオホーツク民族。人々は協力して暮らすものの大きな社会を形成することなく、自由に生きていた。だからこそ、"自分"を表現するためのアートも発展したのではないか。一方本州では弥生時代に入り、農耕が盛んになると、定住して村を作り"社会"を構築するようになる。すると、社会の中での自分の位置を守ること、仕組みを維持することに忙しくなり、アート的部分が失われていく。それが嫌な人たちの一部は、北へ向ったのではないか…。拓郎さんの説に、私も引き込まれた。

「僕は、どちらかというと狩猟民族だと思うんですよね。なんとなく、北海道はそういう人多い気がする」。なるほど、と思った。安定ではなく、自分のやりたいこと、表現したいことを追い求めて、走り回る人たち。リスクを伴うかもしれないけれど、心豊かに生きようとする人たち。そんな人が暮らす土地。
「.dotoの巻頭言に『道東で、生きている』と書いたんですけど、あれ最初から決めてたわけじゃなくて。集まった記事を見た時に、この本ってガイドブックだけど"生き方"が見える本だなと思って」。
ここでも出てきた、「生き方」というキーワード。たしかに.dotoを読むと、取材されている人はもちろん、取材している人、本を作っている人の生き方まで、熱を持ってこちら側に伝わってくる。
「本を出してびっくりしたのが、SNSで本の感想を書くだけじゃなくて、自分のことを語り出しちゃう人がけっこういたことなんです」と拓郎さんが言うので、「本に載っている人も書き手も生き方をさらけ出しているから、読み手も『自分をちょっとさらけ出してみてもいいかも』と思ったのかもですね」と伝えてみる。私も、本を読んで実際に旅してみて、こうして書いているし、生き方を模索したくなった一人なのかもしれない。
話はなかなか尽きなかった。拓郎さん、本当にありがとうございました。

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感じたこと、考えたことを忘れたくなくて書いてみたけれど、言葉にしきれないことも沢山あった、濃い二日間だった。
「自分を生きる」ことを受け入れてくれて、ちょっと背中を押してくれるこの地に、これからも私は足を運ぶのだろうと思う。

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