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Hvalaセルビア‐13:「もう、アメリカには住みたくない」

セルビア中部の町に住んでいる中年の講師と話をしたことがある。
彼は新天地を求めてアメリカに渡り、ウエイターの仕事に就いたが、結局「馴染めなかった」という理由で数年で帰国した。
収入は少ないが、残りの人生はセルビアで過ごしたいという。
セルビア人の講師達は男女問わず陽気な人が多かったが、彼は最後まで物静かで生真面目そうな印象の人だった。

セルビア人は家族も友達も近所の人も皆が助け合う文化なんだよ。
アメリカは違っていた。自分はいつも孤独だったし、疲れていた。
アメリカからセルビアに帰ろう決めた出来事があったんだ。
ある日、自分がサービスをしている客から、どこの国の出身かと聞かれた。
自分がセルビアだ、と答えたら、その客は・・・お前たちの国は野蛮人の集まりだ、ナチスと一緒だ、と罵ったんだ。
傷ついたし、アメリカこそが世界中で戦争を起こしてるんじゃないか、と言ってやりたかった。
とにかく、もうアメリカには住みたくない。

まるで尾崎豊の「15の夜」じゃないか。

いわれなき誤解で人種差別を受けた時の気持ちは痛いほど理解できる。
髪の毛が最後の一本まで逆立つようなあの怒り。
一時的であれ、その「人」ではなく、そうした言葉を発した人の「国」に嫌悪感を感じてしまう。
そして、国籍で一括りにした偏見で攻撃する相手をまた、自分も国籍で一括りにして反感を抱く。それに気づいては情けない気持ちになる。

「国民性」という傾向はいったい誰が作った刷り込みなんだろうか。

※To Be Continued「Hvalaセルビア‐14」へ続く。

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