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大阪府伝統工芸「堺手織り緞通」保存したい気持ち思いがつながる


この写真は、大阪府堺市の伝統工芸品で『堺手織り緞通』という機械で織ったタペストリー。私が織ったものです。
国画会という展覧会にも入選し、東京・名古屋・大阪の美術館で展示していただきました。国画会は、母が色々出品した中で、入選もできなかったところだったので、どうしてもこちらに挑みたかったのです。
料理を生業としている私が、なぜこれを織ったのか?

それは、母が、堺手織り緞通の後継者で、大阪府の伝統工芸士でもあったからです。
その母も、2000年に亡くなりました。
堺には保存協会もあります。現在も数名の方が趣味で織られています。このすばらしい伝統は、受け継がれてはいます。
ただ、母がしていたように芸術のようになってほしいと思い、姪や誰かが、いつかその技術を伝承するために、私自身も慣れない織物やホームスパンなど習って草木染めも勉強して、堺段通を作りました。
母は、様々な趣味をしながら自分のやりたいなにかを探していました。出版社で働いていましたが、なにか彼女にしかないものを見つけたかったのかもしれません。
たまたま見た雑誌かなにかで、堺緞通のことを知ったようです。その当時、堺段通を後継している人は「辻林さん」という方お一人で、弟子も取らないという人でした。母は半年間、毎週通って弟子入りを懇願し、ようやく承諾してもらいました。
大きな大きな堺段通の機械が我が家に届きました。コツコツと糸を結び織りあげます。敷きものだと売れない時代だからと、タペストリーにし、染料で染めたものでなく草木染めでというのが母のやり方です。

堺市の主要な場所で何点か展示しているかもしれません(以前はありましたが、現在は不明)
母の代表的作品のひとつ「曽根崎心中」です。

曽根崎心中

これは、大阪の人形浄瑠璃「文楽」の演目で有名でもあるので、情念のようなものを伝えたかったようです。
この作品を作るにあたり、大阪国立文楽劇場の床山さんにアポを取り、実際の人形を見せていただき、動きなどのお話も伺いました。もちろん、文楽の曽根崎心中も見に行きました。

私も織るのを手伝った作品。京都の新匠工芸展に入選した作品。
レッスンにご参加の皆さまには、この作品はお馴染みだと思います。



これらの織物を織るには、大きな緞通の機械が必要です。


実家にある機械を今後どうするか?これが課題でした。私も織れるので作品を作ればいいのですが、時間も場所もない。
ですが、この度お譲りできるところが決まりました。しかも堺市のある事業所。ようやく堺に里帰りです。
日本三大緞通は、「鍋島」、「赤穂」、「堺」と、この3つだけ。鍋島は、お茶席などにも利用されて経営として成り立っていますし、ほぼ衰退していた赤穂も、近年は会社が乗り出して美術品のようになっています。
堺もそうなってくれることを願っています。

新しい技法を使って織り上げた「こま」


時代は流れます。料理も新しいものもいいですが、古典料理も美味しいように、こうした伝統は日本中たくさんあって、同様衰退しつつものもあります。伝統を残していくというのも、現代に生きる私たちの使命であるとも思います。

鳳凰


ほとんどの作品は、受賞したり、アメリカとの友好になったり、展示されたりしましたが、
母が初めて織った段通は、これで1番大きな作品です。昔からある絵柄だと聞いています。


いつの間にか織っていたこれは、私がフランスノルマンディ地方のホテルレストランで修行していたところに訪ねてきた思い出だろうと思います。

ノルマンディの窓

そして定かではないけど、母の最後の作品と思います。


私が最初に織ったものはこちら
絵柄はギャベっぽいですが、この柄を織るだけでも、相当な時間がかかります。

私の最後の作品は、ブルターニュ地方に行った時に
伝統を重んじていることに感銘して図案を考えました。全部草木染め(全ての作品がそうです)
本当はもっと大きな作品にするつもりでしたが、ここで私の作品作りも終わりました。
織り機をお譲りして、わたしの使命も果たせた時思っています。

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