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「東京に生えていたアート」

自分には帰る田舎がない…。

両親の実家が東京だった私にとって、子ども時代、夏休みになると「地方に帰る田舎がない」ということに毎年ネガティヴなショックを感じていた。
社会人になり、一人で自由に旅が出来ることに喜びを感じて、夢中になって日本各地を訪れたが、原動力となったのはその頃のコンプレックスだ。

ある日、旅先の青森の温泉で偶然に同じ位の年齢の女性と話しをする機会を得た。
「東京からですか、東京でおすすめの場所を教えてください」と尋ねられ、
私はとっさに、「東京には良いところなんてないですよ、居心地が悪いだけの場所です」と答えてしまい、途端にその場が気まずい雰囲気に包まれたことを覚えている。
しかし、それが本音だった。

私が各地を旅した理由には「写真」もあった。
バブルが弾ける少し前、大学で写真を学んでいたこともあり、一眼レフのフィルムカメラを手に入れて、モノクロ写真を盛んに撮った。
その頃、クラスの課題として提出した作品のテーマは「寂れ行く東京」。
渋谷から松濤へ歩く道の途中には、廃屋となった家の入口に、アカンベエする舌のような、分厚い布団が垂れ下がっていた。
家近くの商店街で、閉店間近の時計店の脇道には、モダンな女性の横顔と鮮やかでカラフルな渦巻きが文字盤の上に施された置時計が、逆さになってぐるぐる回っていた。
戦後の急速な発展で都市化したこの街の華やぎは、すでにほころび始めており、あちらこちらでそのボロが顕わになっていた。
私はなぜだか、そんな姿を記録に留めたかった。
「東京はこんなところだよ、居心地わるいでしょ。」という内側の感情を証明したかったのかも知れない。

唯一、「芸術鑑賞」に関しては恵まれた環境にあることを心から感謝し、享受して来た。

東京国立近代美術館で見た、ゴーギャン最晩年の傑作「ノアノア」は、吸い込まれる色彩とトーン、生老病死の深いテーマ描写、中央に鎮座する女神の表情、すべてが強い衝撃として刻銘に思い出される。
大好きなパウルクレーの原画にも、度々触れる機会を得ることができた。
仕事の合間に抜けられる時間や有給を取って、ふらっと平日の美術館や博物館を堪能出来たことが、東京を離れずに暮らす上での喜びだった。

そうして年齢を重ね、民芸に興味を持ち始めたころ、あることに気がつかされる瞬間が訪れた。
「東京は自分の田舎なんだ」と。

駒場の日本民藝館で、河井寛次郎やバナードリーチの器に魅了され、彼らの作品がまるで草木が無造作に生えるように、土の中からにょきにょきと生まれ出た生き物のように感じられたのだ。
それらはこの駒場のそれほど広くない緑地の中で育ち、収穫された「実」の一つ一つであろう、と。
アートを感じる上での新たな触覚が、私の中に芽生えた瞬間だった。
以来、この新たな感覚を持って、都内の各地を訪れるようになった。
奈良や京都には敵わない、それでも、古と現代、自然と建造物、人間と動植物など、あらゆる要素が美しく調和した空気感がただよう、お気に入りの場所が国分寺や武蔵野、白金にも見つかった。

今ならば、東京の良いところを幾つも教えることが出来る。
過剰な開発地区だけがもてはやされるような時代は終わった。
オリパラ2020は静々と終わり、コロナ感染症対策による度重なる緊急事態宣言を経て、この都市は疲弊の一途にある。

しかし、私は本当の東京をもっと知りたいと思う願いが一層強くなった。
そして、私たちにとって本当に大切な都市とは何かを問い続けながら、私なりに活動を続けてゆきたいと思う。

自分が学び続けることで、少し誰かのちからになれたら…。小さな波紋もすーっと静かに広がって行く、そんなイメージを大切にしています。