Having a disability means... 障害を持つということは…

先週末から私の住む州でも大変な事になっておりまして…まずスーパーの棚が空っぽ。

コストコは長蛇の列。

何処に行ってもほぼ野菜なんて売ってない❗️

が、そこで私は考えた💡

あえて、アジア系スーパーならあるんじゃないかと。そして近所の日系スーパーへ…。

ビンゴ‼️やっぱり普通のそこら辺のスーパーより品揃えがある❗️しかも週末の夕方だっていうのに、店内はガラガラ。

アジア人が何かと差別のターゲットになってるご時世、こういう時こそ助け合わないとね。DAISOなんてほぼお客さんゼロ。水もちゃんと売ってましたわ。

それが先週末のお話。

そして本日。日曜日。

州知事の会見で、65歳以上の人、持病持ちの人は自宅待機するように、とのお達しが。

出ちゃったよね(^◇^;)とうとう。まぁ、これで趣味に没頭出来るし、元々外出るの好きじゃないから…なんて呑気なことを考えたのでした。

そして、今日はやまゆり園の犯人に判決が下される日。判決は死刑。45人殺傷。そりゃそうだろう。

障害者として言うならば、そんな判決が出ても嬉しくも何とも無いし、ソーシャルメディアで何人かの人が書いていたように、これで障害者差別が無くなるとは到底思えない。

日本に居た時に常に感じていた違和感。介助する側とされる側。そこには平等な立場ってものが感じられない。同等な人権と言うべきか。

元々日本では障害者は弱者。可哀想な存在。助けが必要な人。助けてあげないと。

その『助けてあげないと』に若い頃から違和感があった。

こちら🇺🇸に来て障害者団体でインターンをした時に、とある健常者の同僚が言っていた言葉にハッとした。

「障害者をヘルプするっていうのは、困っている人が居たらちょっと手を差し出すのと一緒。」

障害の度合いにもよるかも知れないけど、ヘルプしてもらう、やってあげる、っていう考え方って、そこでもう既に上下関係が出来てしまっているような気がする。

かく言う自分は、介助は旦那さんがしてくれるし、ボランティアに頼った事はアメリカでは皆無だし、日本でもほぼ無いんだけど(^◇^;)

アメリカ🇺🇸では障害者の人権意識はADAのおかげもあってか物凄く高い。アメリカ🇺🇸に来て、あまりに自分の障害者としての人権意識が低かった事に気が付きショックを受けたくらい。苦笑

小さい時から無意識に刷り込まれてる事って💦本当怖い(⌒-⌒; )

日本で障害者と健常者の狭間で過ごした人間としては、そういう障害者当事者の意識の低さと、障害者=可哀想な人、的なステレオタイプ、そして今はインクルーシブ教育が進んでいるとは言え、一緒に共存して来なかった故の恐怖感、無知etcが日本の障害者を取り巻く様々な問題に繋がっている気がする。

ここで、私が障害者問題に関して、師匠と崇める伝説の盲目DJが20年前に教えてくれたキング牧師の言葉を。

『敵を愛せよ』

偏見や差別の解消は、まず相手を知る勇気から👌

しかし、例の被告は薄っぺらい若者、という印象しかニュース記事を拝見しても湧かなかったなぁ…。自分は全部解ってる、っていうのが1番怖い。

自分の命の重さは自分で決めるもの。障害が有っても無くても、他人にも、親でさえ決められるもんじゃない。

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