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朽木糞牆、という言葉を知った

「出目の決まったサイコロを振っているようだ」と、支援者は私を評した。確かにそうだと笑ったけれど、同時にとても悲しくなった。そのサイコロを交換することは、きっと、到底難しい。

私は居場所を求めている。ありのままの私を受け入れ必要としてくれる他者の存在に、焦がれている。
でも、きっと、ありのまま振る舞う私に価値は無く、無価値な私を必要とする人などいない。そういう信念がある。だから必死に取り繕って背伸びをして笑って「完璧」を目指すけど、綻びだらけで、上手くいかない。ありのままの私を受け入れて欲しいのに、受け入れてもらうには完璧である必要があり、でも、完璧にはなれない。

親密になりたい・大切にしたいと思える他者に出会うたび、期待と不安で引き裂かれそうになる。何度出会いを無駄にしてしまったか、相手の優しさから逃れてしまったか。それを何度後悔したことか。今度こそ、とかたく自分に誓うのに、結末はいつも変わらない。安心したいだけなのに。誰かのぬくもりで眠りたいだけなのに。

頓服の薬は思考を奪って安寧をくれるけど、目が覚めた時の倦怠感で、孤独で、呆然と死を思う。一生この繰り返しなのかな。不安で逃げ出しては寂しくなって、居場所を求めては不安になる。毎週みっともなく弱音を吐いて、時には涙で顔をぐちゃぐちゃにし、買えない安心を薬で誤魔化す。相談室でいる間だけ、これが安心かもしれないと思えるけど、卒業したらなくなる居場所。病院もそうだった。居場所なのに、帰れない。退院した私には会う権利も話す権利もない。不満はない。線引きのない治療関係は不健全で、依存や迷惑にしかならない。患者だから、期間が決まっているから築けた関係。そういうものだと理解している。それより、私は相手と契約関係に無ければ安心を得られないのだ、という事実に絶望している。同僚も友人も恋人も、親密さが必要なすべての人間関係において私は上手くいかない。命よりも居場所を、安心を必要としているのに。

ぜんぶ、ぜんぶ、壊れている。
中学生時代、部内で落ちこぼれの私は、空気のように扱われた。練習・試合内容について振り返る時、私に言及する教師はひとりもいなかった。ダメ出しのひとつで良いから貰ってみたかった。強豪校でもない癖に、と悪態をつくことすら知らなかった。ただ視界を涙で滲ませながら、死にたいと思った。
変わりたかった。けれど、勇気と意欲を持って参加した生徒会にすら、私の居場所はなかった。文化祭準備は生徒会の一大行事だった。文化祭成功に向け奔走する姿や、責任を担う緊張感、乗り越えた先に待つ充実感にひどく憧れていた。会合の日、心を躍らせながら受け取った役割分担表に、私の名前だけなかった。ミスだと思い教師に報告すると、悪びれもせず、私のことを忘れていたと言った。
要領が悪く失敗ばかりの私は、社会に出て必要とされるわけがない。そう何度も母に言われた。私の長所など取るに足らないと。実際、就職活動で幾度と無い「否」を突き付けられた。学校にも居場所が無かった。母は正しかったのだと思った。
そして壊れた私は、いま、どんなに相手が優しくても大切でも信頼したくても、なにもかも取りこぼしてしまう。安心できない。さみしい。苦しい。

寿命が決まっていればいい、と思う。
希望を言えるなら、来年まで。
安心への尽きることない欲求と、壊れたままの心と、それによって生起する不安。誤魔化して生きるには長過ぎる。睡眠も、食べ物も、化粧も、お洒落も、勉強も、旅行も、演劇も、音楽も、本も、言葉も、ぜんぶ、人生を誤魔化すためのものとしか捉えられなくなった。楽しいとか嬉しいとか分からなくなった。手段が尽きてしまう前に、はやく終わりがきてほしい。たくさんの人の優しさを、支援を、気持ちを、これ以上汚したくない。みんなに見捨てられてしまう前に、消えたいよ。

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