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やさしさ

やさしさというのが、目に映る木漏れ日の暖かさのようなもののことだといい、とふと思った。

初めて降り立った駅で、あまりの何もなさに戸惑ってしまって、自分がどこに立っているのかよくわからなくなった。きっと海に似合うと思って着た白いワンピースの裾が、風で揺れて、このままどこか遠くへ連れてって欲しい、と泣きそうになってしまった。

見上げると目に入った木漏れ日がうつくしくて、視界がぼやけて緑色と白色が滲んで広がった。漏れて降り注ぐ光があわあわと広がり、寄り添いと絶望を混ぜたような温度を感じる。木漏れ日を切り取って自分の手の中に収めて、いつだってその温かさを感じることができたらいいのに。

海を見たくて、とそれだけしか伝えられなかったけれど、タクシーの運転手さんが近くの海岸とそのすぐそばの美味しいと評判の食堂まで連れて行ってくれた。冷えたグレープフルーツハイが喉を通って全身に爽やかさが沁みていった。蛤のお味噌汁はずっと気を張って固くなっていた心も体もほぐしてほっとさせてくれたし、サザエの浜焼きから漂う磯の香りとぐつぐつと立つ音は、なんとも形容し難い幸せを運んでくれた。

海岸に着くと、途端に風が強くなって砂浜の紋様がめくるめく変化していた。たちまち砂浜に足を取られた。子供の時みたいに、何も考えず裸足で歩き回ってみようか、とふと思った。ざらざらとした砂浜を掴む感触で、自分がたしかに生きていることを感じて嬉しくなった。次々に、砂の作り出す模様は変わっていくし、入り込めば入り込むほど砂は絶えず流れ込んで動いている。それは自分自身でもあるのかもしれない。

足を海に浸からせてみるととても冷たくて、押し寄せる波に持っていかれそうになった。膝まで入るくらいまで進んでみようかな、と思って足を進めると、広がったのは、視界の全部が青いようなグレーのような世界で、一人であることを痛感したけれど、寂しくはなかった。許されている、と思った。目に映るものとそこに存在する自分が繋がっているような気持ちになったから。

ちゃんと、自分を抱きしめていられる強さが欲しかった。それと同時にそこへ寄り添うことができない弱さだって認めていたかった。

海が映す日の光は希望で、夕焼けの色が移りゆくさまは愛で、どこまでも続くように見える砂浜は約束で、星のかけらのような貝殻はうつくしい記憶の断片で。

水彩絵の具が溶けて滲むように、目の前に散らばるやさしさも胸にじわじわ広がって溶けてほしい。夕日が沈んでしまう前に、冷えて固まってしまう前に。


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