寛永行幸と寛永文化のキーパーソン紹介①-後水尾天皇

寛永行幸・寛永文化には多彩な人物が関わり、その一人ひとりが後世までその名を知られる武将や文化人です。書籍『京都 二条城と寛永文化』(青幻舎、2022年)より、主要人物をご紹介。第1回は、もちろん「後水尾天皇」です。

二条城に行幸した天皇であり、寛永文化の中心人物としてさまざまな文化人との交流が知られ、現代の京都にもゆかりの場所が点在している、人物です。
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後水尾天皇(1596-1680)
第108代天皇。江戸幕府の二代将軍・徳川秀忠の娘・和子を女御(のちに中宮)に迎える。寛永3年(1626)には、天皇家と武家の結びつきを象徴する出来事といえる二条城への行幸を行った。和歌や書道、茶道、華道など、学問・芸術に通じた文化人であり、後水尾天皇を中心として、いくつもの文化サロンが形成された。サロンには、華道の二代池坊専好、書・陶芸の本阿弥光悦、絵画の俵屋宗達・尾形光琳、茶の湯の千宗旦・金森宗和など、当代随一の文化人が集まり、華やかな寛永文化が育まれた。寛永6年(1629)には、明正天皇に譲位し、上皇となり院政を敷いた。自らの設計・意匠により造営した修学院離宮は、王朝美が感じられる名庭園として名高い。
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