[コロナ後遺症]希望という上澄みの下で藻掻くあなたへ #2
コロナ後遺症という言葉が認知始めた頃、
私はとある企業内で昇格・昇給し、これからさらなるステップアップを
目指して行く最中、私はコロナに罹患しました。
思いの外症状が重く、約1ヶ月のお休みを頂戴したあと
再び復帰するまでに時間がかかってしまいました。
この時、私は同棲中の彼女と大喧嘩をし、
ホテル療養の手配をして家を出たことを鮮明に覚えています。
ホテルは控えめに言って最悪でした。
埃っぽい、窓を開けれない、高所が嫌いなのに高層部屋に寝泊まりし、
食事はお米と肉類が中心の駅弁とカップ焼きそばの配給のみで
体調は悪いし、栄養はない食事だし、大好きな野菜が食べれないという
不満と不安が溜まり続ける日々でした。
この場所を脱出するためには、解熱剤を飲まずに自己治癒で熱を下げ、
それを数日間継続することで証明するしかない…。
とにかく具合が悪く、花粉真っ盛りな季節だったので鼻詰まりやばい。
おまけに埃っぽいのに窓も開けれない。
一体何のためにここに来たんだっけ?
と思うくらいに囚人生活でした。
無事シャバに出たあとは、自力で家に帰らなければなりません。
家に帰り、彼女に謝罪をして、生野菜を食べた時は涙が出ました。
あとは仕事に復帰して、またバリバリ仕事しよう!
こっからどんどん転げ落ちるの誰が想像できましょう?
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