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僕は弱さを見せられる人が好きだからそうなりたい。

あとで投稿しようと思ってメモしていた言葉があるんだけど、見直すとなぜか全く魅力を感じなくて。
言葉にも賞味期限があるんか?って考えてた。
僕はケチだからそんな言葉をただ捨ててしまうのは勿体なくて、どうにか美味しそうに見えないか工夫してみようと思うよ。

僕はXをまた使うようになった。
立ち振る舞いを大きく変えて。

今迄は自分の発言が人にどう思われるかが怖くて仕方なかった。

皆少なからず仲良くしたいとか、この人好きとか、この人の言葉を見たい、から誰かをフォローしてるわけだよね。
そんな僕がよ、皆の期待に沿えない投稿するとがっかりするよね?
嫌いになるよね?
だからちゃんと僕っぽい事投稿しなきゃ、変なこと言うと嫌われるな、嫌われたら一人ぼっちになるって怖かった。

僕は幼少期の家庭環境が良くなかったらしく(おっさんになるまで自分では普通の家庭だと思ってた)親に嫌われたら育てて貰えず死ぬ、とそこまで追い詰められては居なかったものの、常に両親の機嫌を取るいい子を演じて生きてきた、と思う。
小学生のとき軽度知的障害を持つ姉がイジメの被害に合った。
イジメっ子達は姉を尾行し家にまで複数人で押しかけてきたこともあった。
それは一回だけだったと記憶してるけど、そのとき対応してくれた母も気が弱くて優しい人だから、強い口調で追い払ったりせず怖がっていたと思う。
それを近くで見ていた僕は、やばい、僕がちゃんとしないと、僕も同じ目に合うし、母も頼れない、と幼いながら本能的に感じた。
僕は自分が被害に合わない為に、学校では姉のことを無視するようになった。
姉も僕を無視していた。
それは僕をイジメに巻き込まない為にそうしてくれていたのかなと今ならそう思う。

でもそんな僕達の思いとは裏腹に、しっかりと僕もイジメにあってしまった。
そういう経験が今の僕を形造っている、根に染み付いてる。

残酷だね。

そうしたらいくら歳を重ねようとも、誰かとお付き合いしようとも、どこの職場で働こうとも、全人類の顔色を伺って、攻撃されないようにビビり散らかす人畜無害な人間に育ってしまった。
こういうのアダルトチルドレンって言うらしい。

それがXにおける自分の投稿にも如実に表れてる。昔の投稿だけどね。
つまり今はその状態を克服しつつある。

どう克服しつつあるかと言うと、本音を言っても嫌われなかった、という経験を通して自信をつけた、感じかな。

これには計り知れない恐怖が襲い来る。
生半可な覚悟じゃ到底乗り越えられない。と割とまじで思う。
心臓バクバク、冷や汗ダラダラ。
もしかしたら乗り越えられないまま一生を終える人も居るかもしれない。

僕は運が良かった。
たまたま信頼できる人がネット上で繋がってくれていて、その人に対して少しずつフラストレーションが溜まり、このまま黙って去ってしまおうと諦めかけたんだけど、最後に半ば自暴自棄になって自分の本音を伝えたのだ。 
そうしたらあっさり受け入れてくれた。
あれ?いいの?関係が続いている?と。

ほんとに運が良かった。
こういう経験を積み重ねて、本音を言っても大丈夫なんだと、矯正していった。
他にもNOを言う回数を増やすといいかも。
僕は今働いてないから知らんけど、行きたくない飲み会の誘いとか思い切って断ってみるのも良い経験かもしれん。

NOを人に突きつける、同調圧力に負けないで。

あとはXやnoteやYouTube、なんでもいいんだけど、本音を発信する。

昔は言いたいこと言わずに当たり障りのない日々を切り取って投稿をしていた。
これは決してそういう投稿をしてる人を揶揄している訳ではない。
そういう投稿は人を寄せ付けやすいと思う。
なんとなく世間話をしたいときに大事な話は荷が重すぎる。
だからちゃんと意味がある。
人が出会って仲良くなるきっかけになる。

でも僕はそういうの別に見たくないなーって思った。からやめた。

死を意識すると今やるべきことが見えてくるとかって、よく自己啓発本とかに書いてあるよね。
明日死ぬとして、お前はほんとにそんなこと人に伝えたいんか?
それでええんか?
とか考えたりする。

いや全然良いんだけど。

ヒトリエのボーカル、wowakaさんが亡くなる最期にツイッターに呟いてたの令和綺麗だー、だった気がするけど、美しいよね。
心から言ってるのがわかる。

つまりよ、嘘つかずに心から思ったこと言えてたらいいんよ。
自分にね。
これ自分に言ってるから。
最期の最期まで自分に嘘つかずに堂々と死ねるってめちゃくちゃ素敵だと思う。
僕は呟く前に、これほんとに言いたいこと?かっこつけてないか?ウケようとしてないか?って一旦立ち止まるようになった。

僕はどんな言葉を見たいのか良く考えるようになった。

僕が見たいのは、恥ずかしさとか弱さとか、葛藤を乗り越えて出てくる、覚悟を決めた暑苦しい本音の言葉なのかもしれん。

その人が抱えてるやばいものを見たいし知りたい。

そういうのをひとり占めしないで、もったいぶらずに全部見せてくれる人はとても魅力的で引き込まれる。

あー、この人面白いなーって思う。

でも得てしてそういう言葉はフォロワーに受け入れられにくく、今までと態度を変えようものなら、混乱するし、嘲笑の対象になったりする。
え?急にどうした?って、斜に構えた人達に攻撃される恐れがある。

でもそれで良いと思う。
端からそんな人達はお呼びじゃない。
あなたの人生に必要のない人。
そんな人達を引きつけない為に、普段から本音を言うべきだと思う。
いいねも然り。
良いと思ってないのに社交辞令でポンポンいいねをすると無意識レベルで自分に嘘をつき、自信を失ってしまう気がする。
更にほんとは合わない人まで繋ぎ止めてしまって、お互いの時間を浪費する。
自分に嘘ついちゃだめ。
思考停止せずに義務的にやってることに疑問をもつのがいいかな。
これほんとに自分やりたいか?って。
ほんとはやりたくないなら、心と思ってることの逆をしてるんだからそれはすり減るよね。

なんてね。

僕はそういう人の顔色を伺った投稿を辞めて、嫌われる勇気じゃないけど、本音を投稿するようになってだいぶ生きやすくなった。
もしかしてアダルトチルドレン克服できるかもって。
まだ怖いけどね。

本音をつぶやき続けてる人にもだいぶ背中を押してもらってる。
ぷえ!とだけ投稿してる人とかメンタルつよって思うし。
そんなんでええんですかってなる。
お前も遠慮せず好きに投稿していいんやでって言われてるみたいで。

僕は弱さを見せられる人が好きだからそうなりたい。
予防線貼らずに傷付く覚悟を持って発言してる人はかっこいいし好きだ。

でもたまにXに夢中になる人は現実で満たされてないみたいな投稿を見て、なるほど、悔しいけどその通りだなって落ち込んだりする。

いいんだ、皆好きにやれば。

Xではっちゃけてる人がnoteでクソ美しい言葉綴ってたりするしね。

えーと、つまり何が言いたいかって言うと、勇気を出すんだ。
孤独になるのを恐れちゃだめだ。
言いたいこと言ってたら孤独になるかなって一瞬ためらったけど。
そんなことない。
自分が話したい人に話しかければいいだけ。
受け身をやめよう。
拒絶されて傷付くのが怖いのはわかる。
損得勘定とか見栄とかプライドとか手放そう。

人の目を気にせず、いいね数を気にせず、自分に嘘つかず、ごまかさず、言いたいと思ったことを言う。
でも見てる人は居るから、不快な表現は使わないでね。

そしたら、あれ?本音でも意外と嫌われないのかもって気付くし、あなたの本音を嫌う人は勝手に去っていくし、逆にあなたの本音を好きな人が集まってくる。
良いことしかないな。

ちなみにこれはXとかSNSに限った話ではない。
現実の世界でも全然そういう態度でいい。
履歴書に情けなくてもほんとのこと書いていい。
志望動機に給料が多くて家から近かったからって書いていい。
面接で出来る風な態度演じなくていい。

あ、でも現実はちょっと違うかも。
人に対してモヤっとしたときは気を付けた方がいいよな。
自分がいくら正しくても、バカ正直に伝えない方がいい。
どんなに伝え方を気をつけてもだめなことはある。悔しくてもそっと離れるのがいいときもある。相手が自分の非を認められない人だと攻撃される恐れがあるから。命取られる可能性全然あるから。自分だけならいいけど大切な人が巻き込まれるかもしれん。

そういうの忘れずに生きよう。

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