うたよみこ、短歌を読んでもらう。

このnoteはTwitterのスペースにて、以前私が作った短歌を音読していただいたり、感想や感じたことについて色々お話してくださったことに対して、うれしかったなーという感想、及びなんであのうたつくったんだっけ?を手帳を片手に思い出しながら解説、分解?したnoteです。
よろしくお願いします。
※お名前を出してよいかわからなかったので、気になる方はTwitterをみてみてください。スペースのツイートを引用RTしておきます。ぺこり。

1.
TLにて、すてきな短歌をよまれる方が「短歌をされている方のうたを音読したいので、スペースで読んでいいよって方を募ります」という旨のツイートをしていらっしゃるのを発見しました。それで、ああ楽しそうなことなさるのだなあと思って、もしかしたらよんでいただけるかもしれないなあとか、そうしたらうれしいなあと思ってぽちっといいねを押しました。
押してしばらくしてから、あれ?でも最近つくってないような…?短歌やってる…というか、たまにあそんでいたかもしれないひと、になってるなと思いました。でも、素敵な企画いいですね!のいいねもあるものね!と思ってそのままにしてました。

そして先日の日曜日。仕事がかなりばたついて、帰宅後も疲労感にのまれておりました。スプラフェス行きたいのに正直行けない…という状態になっていました、ものすごくおつかれモードでした。そんな中でも手帳の記録など、最低限のやることはやらなければ、とPCを開きました。YouTubeをつけて作業をしていたのですが、検索したいことがあり、スマホでTwitterを開きました。
メインのTL以外に、色んな趣味リストのTLをぱぱぱっとのぞいていたら、ふと、短歌をよむひとをまとめたリストのTLに以前いいねを押したツイートを基にしたスペース…夜に人の短歌を読むよ、のツイートがありました。あ、この前のツイートのだと思い、この疲れを癒すべく短歌を摂取しようと思って開きました。開いてみて、おお、お声がする…!(あまりスペースを聞かないので)なんて思っていたら、いいねくださった方全員の短歌を音読しますよという言葉が耳に入りました。その言葉に疲れや、すこしあったねむけだったりが、しゅっと引っ込みました。驚きで。
私は、どちらかというと、短歌をつくっているたくさんの人たちの中では、短歌を一生懸命つくっていないほうの人間です。好きなものや楽しいなあと思えるものがたくさんあって、ほんとにたくさんあって、人生は100年もないなんて…と子供のころから思っています。その中で短歌はとても気楽に、ラフに楽しむことができる、好きなことでした。だから、これはあまりよくないんでしょうけど、きちんと推敲をしたりしないし、心が折れているときほどつくる…57577の型に収まった言葉が生まれるんですね(それで息を吹き返したり、自分を鼓舞していたりするのですけど)。
だからその、全員のうたを読みますよ、という言葉に、うれしい!というそよ風のような感情がぱっと出たあとにすこし、あ、私大丈夫だったかしらと思いました。最初のうちは順繰りにいろんな方のうたを聴きながら、うわあかっこいい…、めちゃくちゃ素敵だ…と感じながら、お二人のお話にうなづいたり、わかるー!!と声をあげたりしていました。でもだんだん、段々と、みなさんのすてきなうたに圧倒されてしまって、正直自分の番がくることがこわくなっていきました。
ねむけももちろんありましたが、そのへんな緊張感…ものすごく上手な人たちの中に飛び込んでしまった焦りみたいな、そういうものに駆られてしまい、途中で早回しして自分のうたのところへいきました。

2.

よくきたね誰も死なない国に行く
感情を手放す息を吐く

#tanka

2021年7月7日 14:36

このうたを読んで頂きました。まーーーあ、ほんとに、ほんとに…ありがたかったなあという気持ちでいっぱいです。ていねいにお二人が掬い上げてくださって、愛でるようにこのうたについてふれてくださって、ほんとにほんとにうれしかったです。正直、自分でつくったことすら忘れていた気がしましたし、うたよみんにも記録してないような気がしました。なので余計に、私ちゃんといいもの作っていたのねと、ちょっと他人事のように感動していました。
それから、いい機会なのでちゃんと大学ノートにでも短歌の記録を付けようと思いました。データだけだと一瞬で無くなるときもあるので、ちゃんとアナログでも残しておこうと思いました。以前持っていた短歌のアカウントなどは、整理もせずに衝動で消してしまったような気がするので。今思えば、記録してない短歌なんかもあったような気がします。

3.
さて、おふたりのお話を基に、私なりに色々このうたについて書いていこうと思います。スペースでは大体こんな感じのお話をして下さいました…!ありがとうございます!
(ぜひスペース聴いてみてください。ほかの方のすてきなうたもたくさんあるので是非に)

・幻想の国へ連れて行くようなうたをつくりたいと思っている、そういううただからすき
・死に近い、近づいているよう
・生きてるから感情がある
・誰も死なないというのは、もうすでに死んでいるようでもある
・すでに死んでいるということは、現世の苦しみから解放されるところでもある
・感情という重苦しいものを手放すことができる、そこにほっと安心して息を吐く
・息を吐くには吸わなきゃいけない、吸うということは生きていること(死んではいない)
・死んでいないことは希望、だが苦しみは続くのかもしれないという予感もある
・息を吐く、は生きている動作だから、どちらともとれる(死んでいるかもしれないし生きているかもしれない)

二回音読いただいた時の、一度目のあとの「おお」という感嘆が、箇条書き一個目の言葉とともに、とても胸に刺さりました。すべての言葉がとてもうれしかったですが、特にその二つがものすごく、うわあ…うれしい……と、じわじわきました。ありがとうございました。ほんとに、一言一言すべてがうれしすぎて、浮かれた頭で真夜中にうれしいうれしいと、ツイートをぽこぽこしてしまいました。

4.
このうたは、Wワーク先に出勤する前につくったうたです。元々気持ちがしんどい時に短歌をつくりがちですが、このうたも最たる例のひとつだと思います。
コロナ禍になってから勤務形態の変化に伴いWワーカーになったのですが、二年目に突入して段々しんどくなってきた頃につくったうたでした。去年の手帳を見返してみるとPMSや、Wワークだからこそ休日の確保をどうにかしなくちゃいけないだとかで、本当に追い込まれていたようです。Wワーク先はメインの職場より残業が多かったり、少人数で仕事をしていたので全体的に心身の負荷は大きかったです。生きているのに半分くらい死んでいるみたいだなーと、帰宅途中の車内でよく考えていました。真綿で首を絞めている自覚はあるけれど、はやくどうにかしたいけれど、今はそう簡単に出来ないんだよなあとよく考えていました。
新卒の頃も、同じように仕事が苦痛で転々としていた頃がありました。あの頃は若さ故の無謀さや身軽さ、無責任さがあったのでいやならすぐに飛び出して行くことができました。しかし歳を重ねた今は、多少の責任感だとか会社側の都合だとかもわかってしまうので、そう簡単に飛び出すことはできなかったのです。
だから心から、誰も死なない国に行きたいと思いました。
生も死もない国。何も生まれないけど、何も死なない。楽しいことはないけれど、苦しいこともない。そこにずっといたいとか死にたいとか、そういうつもりは全くなくて、少しだけ今抱えているものを手放してゆっくりしたいんだなと思いました。そうしたら、キノの旅という小説が頭に浮かびました。コロナで大好きだった旅にも出られなくなってしまったし、全部投げ捨てて私もそんな国を探す旅に出たい。キノとエルメスのように、私も愛車でゆくあてのない旅に出てしまいたいと思ったのです。そこから、あの形になりました。
よく来たね、はキノのようにそんな国に行けばきっとその国の住人なりが、私を旅人として歓迎するだろうと思ったからです。またそんな国を訪ねてきた疲れた私を、あたたかく受け入れてほしいと思ったからでもあります。私はそこに移住したいわけではなく、少し休みにきただけなのです。このしんどさも苦しさも、しっかり休めばちゃんと乗り越えていける力があるし、自分で解決できる。だから一旦このしんどさやつらさを、自分の外に手放すことを許してほしい。仕事のあいだは私は店屋だから、この感情は売り場に持ち込まない。ここにおいていく。さあ息を吐いて、新しい息を吸って、今日も仕事に行くよ。
今抱えているこのしんどさも、こんな風に短歌という型におさめてしまえば、いつか振り返った時ああそんなこともあったなと思えるんじゃないかと思いました。キノの旅は挿絵がある本だから、ちゃんと読み切ったことはないです。友人たちのこんな本だよっていう話で得た知識と、ほんとにすこしショートアニメを見たくらいです。でも、その時浮かんだのはキノの旅だったんでしょうね。色んな国へ旅をする、っていうので浮かんできたのかなと思います。あと可能性があるとしたら、崎山蒼志さんの「国」という歌もイメージとして入っていたかもしれないな、なんて思いました。なんにしてもこのうたをつくりきって、ちょっと気が落ち着いたんでしょうね。そのあとに、あ!今日七夕だ!でも7/7の天の川みた記憶ほぼないや、とか思って七夕でうたをつくっていたツイートが残っていました。

5.
今回こうやって自分のうたを他の人に読んで頂いたり、感想やお話を聞かせていただいて、ほんとうにうれしかったです。趣味でほかにも色んなものづくりをやっているのですが、やっぱり感想やリアクションはごちそうです。酸素です。特に短歌は自分の後ろ向きな感情からうたが生まれがちだったり、気負わずにやる、がんばらない趣味だったので、そういうものからこんなにきらきらしたものをいただけるのかという気持ちがありました。自分のうたは、自分の中で完結すればいいというか、ほかの人の目にふれなくてもいいかな、という気持ちがありました。自分自身は素敵な方々の色んな短歌にふれて楽しんでいるのに、自分のうたはそういうふうにならんでもいいよ、というか。感情を吐き出すツール、くるしいとか、かなしいっていえないから短歌にしてしまおう、というのが私の短歌は多いです。だから、こんなにたくさん、深くうたに入り込んでくださって寄り添ってくださったことがとてもうれしかったです。
また、しんどい時にそれに寄り添ってくれるような歌を聴いて安心するように、そういう短歌だってありだよね、なんて、これを書いていて思いました。読んで頂いた短歌をTwitterで検索したときに、同じようにしんどかった時にうたよみんに投稿したうたをTwitterに共有ツイートしてくださっていた方を見つけました。その方がどんな気持ちでそのうたをツイートしてくださったかはわからないけれど、そんな風に私のうたが寄り添ってあげられたのかな、そうだといいなと思ったりしたので。
今後もゆっくり、しんどい時はうたよみしようと思いました。しんどい時でもできるのが、この趣味のいいところでもあるので。また、楽しい時や、幸せな時も短歌がつくれるようになれたら、なお楽しくなるかなとも思いました。改めて自分のうたと向き合えてよかったですし、短歌すきだなと思いました。本当にありがとうございました。

おしまい。

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