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裸の履歴書vol.3~階級と理不尽と…

 高校入学と同時にカーストが現れ始める。学校内、クラス内での階級だ。中学でもうっすらあったが高校ほどではない。小学校から一緒に上がってくるのが大半だから、まだ仲良しの空気の中にいるからだ。とにかくこのカーストが嫌いだった。大まかに別けて、階級の上位に位置するのが、イケてる(いわゆる不良)グループ、下位に位置するのがイケてない(不良でない?)グループ。カーストの上位は下位に話しかけないが、下位は上位に話しかけられない。運動部は「中の上」といったところか。中の上も下位にはあまり話しかけない。私はどちらにも属さない。階級がもの凄く嫌いであるからだ。もちろん、厳密な役職のようなものが存在するわけではない。うっすら支配している空気だ。この空気を壊したくて、私はわざわざどちらにも接していた。話しかけていた。だいたい(裸の履歴書vol.2~つくづく…)にも記したが、不良がダサいと思っていた。ダサいことをしたくない。
 
 カーストとともにやってくるのが理不尽。自転車競技部には二つの理不尽がいた。顧問(学内)とコーチ(外部)。スポーツ強豪校を経ている方なら、味わっているであろう理不尽な仕打ちを受ける。顧問のほうは「高校自転車競技界隈」では高名(過去、我が校を全国優勝に導いている)で、とにかく暴力で支配し、こちらは恐怖があるから従う。違和感だらけ。のちにプロになったOB(私含め)がこぞって、この元顧問を崇め(旅行に連れて行ったりと)るわけだが、個人的には「なんにも世話になっていない」と納得がいっていなかった。
 コーチのほうは、たまに来ては無理難題を押し付ける。そもそも誰?のような存在。納得いかないと表情に、態度に表れる私は目をつけられ、冷遇された。試合起用に関してだ。ただ、やはり変わっているなと当時も思っていたのが、むかつきはしたが冷静に、試合に出れないのは「別にどうってことない」最終的にプロ(競輪選手)になれればいいんだからと。
 高校3年の秋、日本競輪学校の入学試験を受ける。一次試験で不合格。親と相談の上、浪人確定。不安と焦燥と一抹の高揚が入り交じった状態。

 ものわかりがよくて、察して、目立ちたがりで、真面目で、ダサいことが嫌いで、うっすら支配している空気が嫌いで、冷静で、

 つまりは、我思う…「可愛げのない高校生」だった。


続く

1975日7月17日 青森市生まれ

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