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平沢大河を”哲学”する

自分のライバルは自分自身です、という言葉。
まさにそうなのかもしれないと感じた話。
”好きという気持ち”はだんだんと自らの感情をも惑わすことがある。

「平沢大河という野球選手が好きなのか?」
それとも、
「ロッテにいる平沢大河が好きなのか?」

結論としては、そもそも両方の軸である”平沢大河”が好きなのは変わらないが、これはなかなか哲学的な問いである。

ロッテには入団5年目を迎える平沢大河という有望選手がいる。
仙台育英高校で甲子園出場。高校生にしては柔らかい打撃に甘いマスクというスター性を兼ね備え、地元仙台の東北楽天ゴールデンイーグルスに相思相愛と思われながらも、千葉ロッテマリーンズにドラフト1位で入団する運びとなる。ロッテにとっては待望のスター候補、特に高卒野手となればなおさら”可愛い”存在だ。

遊撃手として入団するも、一時は出場機会を外野に求め、一定の試合に出場。将来的な”スター候補”への階段を登りかけたが、周囲を納得させるまでのブレイクとは至らず2019年シーズンを終えてファンをやきもきさせている。

さらには、2019年ドラフトで入団して来た福田光輝という存在がまたも立ちはだかりそうで、その同学年のふてぶてしくもプロに順応している姿はそのコントラストと合間って、ロッテファンの平沢大河への想いは逆に募るばかりなのである。

そんな様子をみている自分に芽生えた感情が冒頭の一節である。

「平沢大河という野球選手が好きなのか?」
それとも、
「ロッテにいる平沢大河が好きなのか?」
と。

遊撃守備の負担なのかメンタル的な安定感なのかイマイチ全体的に不安定な印象を受ける。一方で平沢大河独特の逆方向にスーッと伸びていく弾道が好きで、そのスイングの軌道が心地よくて、あの野村克也でさえ完成形と評されたバッティングが何よりのストロングポイントだ。
その不安定さの中に見える天性のバッティングがより強烈なコントラストになりまたファンに魔法をかける。

ただtt冷静に考えれば、内野のコマも揃って来つつある2020年シーズン。平沢大河の”野球選手としての”成功を望むならばトレードという選択肢もあり得ると思うが、頭でわかっていてもなかなかその気持ちをろ過できないのもまた正直なところだ。里さんのいう「野球選手としての成功を望むならば」ということももちろん理解できるのだけども、気持ちの踏ん切りがつきづらいというのもなんともいちファンのワガママ心理である。

一定揃って来つつあるチーム状況ではあるものの、やっぱり”ロッテとしての平沢大河”であって欲しいし、その姿で活躍して欲しいという日本人特有の生え抜きスター信仰が横たわっている。

いい奴だから応援したくなるんだけども、いい奴だけでも野球選手としては大成ししない。なんとも厳しい弱肉強食の世界。
広島東洋カープで”プリンス”と呼ばれ続ける堂林の姿がチラついてくる。

平沢、堂林に共通するのはきっとその”いいヤツ”という要素なんだ。

”いいヤツ”だから外野は”応援したくなる(ほっておけない存在的)”
”いいヤツ”は応援されているのも十分感じているから「いつまでもこんな状態じゃ申し訳ない!」と奮起するも、そこはプロ野球という特殊な生存力学が発生する世界においてなかなかその気持ちだけでは生き抜けない。

そうなると野球の技術や成績以外の雑音が耳に入りやすくなり、知らぬ間に野球以外のところで勝負しがちになってしまう悪循環に入ってしまう。

ただ平沢大河とて、プロ野球という世界に”ドラフト1位”で入団して来た好素材。このまま黙っているはずはないし、まだまだ期待したい。

ただ、以前のnoteでも書いたが、2020年シーズンのオープン戦は一味違う平沢大河を見せており、「ようやく平沢大河が覚醒の時か!」と胸が騒いだ。

「平沢大河という野球選手が好きなのか?」
それとも、
「ロッテにいる平沢大河が好きなのか?」

平沢大河をロッテファンとして見るのか、プロ野球ファンとして見るのか。どの視点で切り取るかに寄るけれども、まだ5年目の若手有望株。

個人的には”千葉ロッテマリーンズ”の平沢大河として活躍する姿にまだ期待してる。

平沢大河は”いいヤツ”でまだ、”本気出してないだけ”なんだから。

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