恋愛不精者も恋心は忘れない

大学時代はずっと同じ女の子と付き合っていた。その当時の僕はまだまだ痩せていたしそこそこモテるなって自意識はあったけど一切浮気をしなかった。言わなくてもいいのに女の子と話す時に必ず彼女の話をするようにしていた。これは多分、直感的に浮気の防御弁の様なものを自ら課していたんだと思う。
今の目移りのすごさから察するにきっと周りの友達とかも遊び人だったら僕は恋愛を遊びと捉えるような嫌いな人種になっていたんだと思う。もっともアラサーになってからは専らそういった考え方の違う人と遊ぶのが好きになってる感は否めないが。
※遊ぶって友達としてね
ともあれ真面目な4年間を過ごして確立された価値観からか僕は恋愛をゲーム感覚で行って楽しい感覚が未だにわからない。
ここまで読むとねお前は遊べないから負け惜しみ言ってるんだろとか言われると思うけど。僕はきちんと試してる。これ以上は言わないけど。その上で腹の探り合いを否定している訳だ。振り回したり振り回された果てに残るのはなんなのか未だにわからない。

何でも言い合える信頼関係をもとにしか良好な関係なんて築けないと思っている。
それが今日の本筋で、僕が恋愛不精になっている理由。

大学生の恋愛ひいては友人関係がすごいのは本当に全くの利害関係がないことだ。
利害関係がある相手には気おくれして言えないことが増える。
自分を良く見せようと結婚相手をつかまえる
生き遅れ女子はまさに動物の求愛ダンスの如く滑稽だ。
※モテようとして媚びる男どもも本当に大嫌いだ。彼らの求愛ダンスにはリズム感がない。

当然、お互いがお互いにメッキをテカテカに塗装して恋愛をはじめるのだからもう大変だ。テカテカのメッキは脆くも溶け去り。
御臨終の流れは世の常。

話をもとに戻すとだ。社会に出てしまうと自分を良く見せようする場ばかりでの出会いが殆どになってしまう。
当然、社会人ともなると結婚をある程度意識せざるを得ない。スペック値踏みからはじまり家族構成だの何だのってあらゆることを条件検索で抽出していくことから始まるので、恋愛の本筋に中々たどりつかないし、そも
そんなことして抽出した相手と本当に信頼関係を築こうなんて思えるんだろうか。
信頼関係を築いている風ゲームにしかみえない輩が本当に多いのではなかろうか。

そのゲームをしたくないから恋愛不精になっている。
学生時代の恋愛は飾ったものがなかった。
当然、選んだ相手も相当な人格者だったというのもある。メンヘラかまちょサイコパスと悪名高い僕を良く相手していたなあと感心してしまう。

こういうことを言うと過去の恋愛を引きずってるなって言う人が多いけど。
まあその通りでもあるんですが。
僕は妥協で恋愛なんかしたくないって言ってるだけだ。そんな好きでもない相手に行動制限されたりコスパが悪い。
世の男どもの◯欲でただなんとなく付き合うやつの多いことか。
意味がわからん。本当に気持ち悪くて反吐がでるけど僕の親友はそういうやつがいないので良かった。

ただ僕も1人の人間だ。恋心は持っていたい。
常に誰かを好きだなって思っているだけでいいんだ。それだけでも、いや逆にそっちの方が幸せなのかもしれない。
何か制限を受けて好きだって気持ちをキープしないといけないことほどよほど不純だ。

恋心はコスパが高すぎる。
自由に心を向ける相手を変更しても良いし
気持ちの分割も自由だし。
いつその火を灯すのか消すのかも自由だ。
恋愛にはディズニーみたいにフリーパスはないけど恋心はフリーパスが許されている。

それ故に僕はガルバやコンカフェに出向いて
推しメン作りに励んでいるんだなって。

推しメンがいないとはじまらねえなあって。

いつ冷やし中華みたいな感じで
恋愛はじめました的な感じの気持ちになれるのかなあ。
アラサー女子の悩みみたいになりかけたところで筆を置こう。

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