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「世界を一周する前に」というタイトルをつけるには少し遅くなってしまった

「世界一周」という言葉の響き方はきっと人それぞれによって違う。

自分のいる場所から東か西かどちらかの方向に向けて進み、反対側から戻ってくる。

強いて言うとすればそれが「世界一周」の定義みたいなもののはずで、というか最早いつ自分は「世界一周」という言葉を知って、いつからそれを一つの旅の形としてカテゴライズしていたのかすら忘れてしまった。

初めてその「世界一周」を身近に感じたのは2020年の秋で、それはまさにTABIPPO主催の「世界一周コンテスト」に出場した時。

それまでは「世界一周」というのはどこか超人たちのするものであって、自分には縁もゆかりもないなんかすごい記録のようなものでしかないただの四字熟語に過ぎなかった。
でもそれが本当は時間とお金をある程度携えれば誰にでもなし得るものであることに気が付きだす。
何せ今の時代は世界中のありとあらゆる情報をこの手に握られている電子端末から好きなだけ見ることができる時代なわけで、ちょっと調べる手を伸ばせば、いろんな旅人がいろんなスタイルで世界一周をしていることがわかる。
てか、「世界一周」をするというよりも多分「いろいろ見ながらやりながら進んでいったら多分世界を一周している」みたいなイメージの方が断然近くてでもこれって言語化してみても一見あんまり大差ないよね。まあ何が言いたいのかっていうと多分「世界一周」ってあくまで結果的なもの、振り返った時にわかる状態なのであって、「世界一周」っていうものだけではその行動自体を表しきれないんじゃないのかなって今は思ってる。まぁこれにはまたあとで触れます。

めちゃ話が逸れた。まあだんだんと「世界一周」がその響き方を変えていくのに気が付いたころにはもう遅くて、自らの魅力を脳みその内側で囁いてくる。受験勉強とコロナのおかげで日本の実家に缶詰めだったのもあってその囁きはもう俺の本能にクリーンヒットもいいところだったわけでして。でも当時は高3の夏から浪人確定の1年間アメリカ交換留学をコロナで早期帰国させられ、やっとの思いで見つけた(それなりに)行きたい大学へ向けて受験勉強をしているところだったから、というのは二の次の言い訳で多分一番の言い訳はコロナの流行がまだ終わりを見せなかったことだったはず。塾に行くつもりもなく選んだのはいわゆる宅浪だし受験まであと半年以上もあるぞってことでひたすらに時間があったからバイトをして大学在学中に「世界一周」することにした。自分の中だけの口約束だけど。

でも大学に入ったら入ったでそれはそれは他にも魅力的なものがいろいろとあるわけで。そんなあれやこれやに飛び込んでは(自分で言っちゃうけど)かなりひたすら真面目にやったつもりなのでありまして。気が付けば大学2年の秋。ふと本や動画やらいろんなものを通して続けざまに「世界一周」に触れる機会があってふと思い出したのはいつかした口約束、というか決定事項というかほんの少し淡くなっていた期待。頭の片隅に追いやられていたであろうそれはあっという間に自分の心を占領していってるのを感じ取ってった。もう「世界一周」をせずにこのまま大学生活を、そして人生を終えていいのか。そう考え始めたときにはすでにもう答えは出ていてあとはその答えに見合う理由を探していただけだったように思う。今の生活とは違うもっとワクワクとした響き方をするそれをどうやって実現させるか。実現させるために選ばなければいけない選択は何なのか。それを正当化するための後付けの理由を十分に考えなきゃいけないくらいに惜しいものばかりの生活(ここではあえて言及しないけど)をしていたのは本当に恵まれていたなと思うし、そんな中でした稚拙な説明を真剣にかつ親切に聞き入れてくれた周囲の方々には本当に感謝。

あんまり公にはしていなかったけれど、実はそこからの約半年間は本当の本当に準備した。特にお金。もともと月7くらいで入っていた飲食のアルバイトを多い時には月17に増やした。さらにTimeeで早朝軽作業のアルバイトを始めた。年末で人手不足だったのか単発バイトのはずが12月には15回も入った。クリスマスも献上して8連勤したからか結局正社員として(聞こえよく言えば)スカウトされさらに5ヶ月そこでも働いた。一番忙しい日だと5-9時で働いて、10-16時授業か課題か学生団体の活動(これは3月まで)、17-23時でまた働いて帰宅したら25時くらいまで課題か学生団体の作業といった感じで、もちろんこんな日ばかりが続いたわけではないけれどこれを約7ヶ月間繰り返した。貴重な4-5時間の睡眠リズムを崩さないように朝バイト前にインスタントコーヒーを摂取してから日中はできるだけカフェインを取らないようにしたり、毎日20分昼寝したりもして部活に入っていたとき以上に体のメンテナンスも心掛けた。結果、月収は15-20万くらい。おかげさまで(?)それまでは視界にすらなかった103万円の壁とやらが目前に迫っていると思った瞬間には頭から激突した。

今思えばこんなやり方決して効率よくなかったと思う。でも俺は自分で稼いだお金で旅がしたかった。というか、自分の稼いだ金でやりたいことをやりたかった。それ以上でもそれ以下でもない。決して楽な毎日ではない中で、しっかり苦しむ経験がこの期間にできたということ、地を這うように人の見えないところで努力できた経験は自分の糧になるはずで、また一つ俺が俺を好きになれる経験ができたのがなによりも嬉しいんだ!

お金のことなんて気にせず、いろんな旅中の危険性も顧みずに「ちょっくら世界一周してくらあ」って出発するくらいの方がなんかええよなと思う。現地で全部何とかするくらいのスリリングな旅の方がかっこいいんじゃないか。時折そんな考えが頭をよぎることもある。でも俺はそれじゃなかった。それをするには勿体ないほどに環境に恵まれていたなあと感じてる。でもそれは決して負担なんかじゃなくってむしろそのおかげで旅までの期間進み続けられた気がしてる。

話は戻って「世界一周」のことになるけど、前と違って今はもう「一周」することにはあんまりこだわりがない。でももう何度あるかわからないこんなチャンスで世界中の行きたいところを挙げていってそれを効率よく回ろうとしたら多分一周するのが手っ取り早いからそうしよーって感じ。あとなんか箔が付くしね。なんかすごそうじゃん?知らんけど。

あとなによりも大事だなって思ってることがあって、それは「やりたいことだけをやる」ってこと。
何をやったっていい。どこへ行ったっていい。それが何よりも大切なこと。それが一番やってみたかったこと。
多分本当は限りなくすべての人にこれが当てはまるはず。でもいろんなしがらみがそうすることを阻んでくる。俺は今は1つ、休学をすることで学生っていう社会的なしがらみに捉われないことに成功してる。それもいわゆる社会人ってものにならずに学生を一時的に辞めることができてる。手に職を付けなきゃいけないわけでもないし、書きたくもないレポートのためにパソコンに向かう必要もない。これがこれまでの、そしてこれからの人生の中でとても重要な経験になることを確信してる。何をやったっていいし、どこへ行ったっていい。

前提として、狙っていく場所が必ずしも好みなわけではないと思うし、後悔しないわけではないはず。逆に、回り道をすること、予定とは違う道に進んで冒険することで出逢った思いがけない場所や人、体験にきっと価値を感じることもあるはず。
考えすぎず、後悔しないようにだけ気を付けて(まぁなんとかなるなら最悪後悔してもいいや)、流されてみる。既に書かれている物語にあえて乗っかってみる。そんな贅沢もきっと今ならできる。旅の道をゆっくりと急ぐ。
何より大事なのは、「生きている」こと!そしてそれを実感するということ!全身と心のアンテナをビンビンに張り巡らせて、五感を出し惜しみせず使って、その瞬間瞬間を味わい尽くすこと!
どこへ行っても同じ。世界のどこでも同じ。


あ、何をやってもいいけどなんだってやるわけじゃない。自分の大切な人たちに迷惑かけるようなことはしません。とっても大切な人たちなので。

"Quand tu aimes il faut partir" (愛しているから旅立つんだ)はよく言ったもので、愛している人たちをさらに愛せるように、そのことだけを考えられるように、あえて一度現状から離れてみることの大切さを説いているんじゃないかと勝手に解釈してるけどどうなんでしょう。個人的にはこの解釈がとてもしっくりくるもんで、勘違いしたままだとしても別にいいかなと思ってる。

てなわけで世界一周行ってきます。(これもう出発してから書いてるけどそれ内緒!)

読んでくださった方(もしいましたら)ありがとうございます。
ぐわぁーーーーって来た、言葉になりたがっている感情だったりをお喋りするみたく話すように書きたいけれど難しい。どんな感情も新鮮なうちに書き留めて残したいので稚拙だろうとまた書こうかな。
読みたい物好きな方がいれば是非また読んでください。物好きな人大好きです。「読んだよ」とか感想とか面白い文章書くためのアドバイスとかくれる物好き中の物好きは大大大好きです。

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