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「不適切にもほどがある!」が炎上してるの?知らなかった。という話

53歳のクドカンは“中高年男性のアイドル”になったのか、それとも元々…「不適切にもほどがある!」が“炎上と絶賛”で真っ二つに割れる理由 | 『不適切にもほどがある!』の適切な楽しみ方
https://bunshun.jp/articles/-/69430

この記事に対して、「『うるせえなあ』って感想しか出てこない」とつぶやいている人がいた。私も同意見の立場だ。そもそも文春さんは大衆に向けた週刊誌なので、「ふてほど」というドラマの切り口があれば、「文春」というゴシップメディアの切り口もあると思う。全体的な話の前に、宮藤官九郎さんはクドカンではなく宮藤さんと書いたほうがいいだろう。

「炎上と絶賛で真っ二つに割れる理由」というタイトルを回収できるだけの理解が本文を読んで得られなかった。なぜなら私は楽しくドラマを観ているが、炎上に加担していなければ、絶賛もしていない。ただ面白いから観ているだけなので、その時点でこの記事の浅さには気付いたうえで読み進めたほうがいい(途中で飽きる)。炎上と絶賛って属性違うから並べられない気もするんだけどね。並べるなら「批判と絶賛」でしょう。視聴者は炎上しないけど、絶賛はできるからね。

細かいことはいいとして、「そういうめんどくさいのが嫌だから、このドラマは面白いんだ」という中年向けの視点をなんとかして否定したいという意図のある記事だが、構成的には宮藤さんが「中年アゲ、現代サゲ」をしていると言いたいみたいなので、その反対意見が記事になっているということでもあるだろう。たぶんだけど、この先の回でその意見が間違いだったと気付くような内容になると予想してるんだけど、そればかりは未来にならないとわからない。過去から来た人に現代の偏った価値観を押し付けてる記事でもあるよね。未来から現代に来た人が登場したらどうなるでしょうね?

「ふてほど」では昭和のとんでもなく体に悪そうな描写とか今じゃあり得ない描写がたくさんあったのに、過去礼賛、現代軽視で突き通すスタンスで文春が何を生み出すか。それは電通的に言うなら「事件」だろう。ネットで見かけた某PR戦略のワークフレームの資料に「事件を起こせ」的なことが書かれていた。あまり目立たない事象を盛り上げるため、多くの人の目に留まるための方法論みたいなものだ。文春さんが特定の思想を持って、それを誇張した記事を出すとそれに対してたくさんの反応が集まる。反応は肯定でも否定でもいいが、とにかく勢いのある反応があれば記事の拡散スピードは加速する。勢いのある反応を得るにはソースが尖っていないといけないので、できるだけ論理的に見えるように主観的な感想をクドクド書いているのが該当記事のスタイル。「そんな記事に書かれた、ただの感想にわざわざ反対意見を書くのはバカらしいわ」と思う人もいるし、「別に……」とそもそも興味ない人もたくさんいる、もちろん「まさに同意である」とする意見の人もいるだろう。条件反射みたいに感想を書き込むヤフコメ民気質のある中年たちがこぞって感想を書けば、否定的な流れでも拡散が進み、クドカンへの共感の強い記事になる。その「反対」はどういうものかわからない。とりあえず文春は今日も「事件」を起こすために取材を重ねて記事を出しているのだ。「事件」が悪いことや犯罪行為だとは一言も言ってないので、レイヤーのある意味合いだということを把握してくれると助かります。文春さんはプロなので、文春ルールによる運用がきっとあって、「適切」なはずだ。

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もう少し言いたい放題の感想を
「不適切にもほどがある!」は文字通り、不適切にもほどがあるだろうと言いたくなるくらいの攻めた内容だ。コンプラ排除作品を「表現の自由」ではなく、「差別的」とするなら、それは極端でしょ。どっちが極端かって、「表現の自由」「差別的」のどっちもだよ。コンプラを排除したら差別的になると思ってるならそれは性悪説のほうで、人は生まれながらにして差別的であるから教育によって是正して差別的な言動や行動を世の中からなくそうという発想だって人の思考をコントロールしようとしていることにつながるでしょう。性善説でいくなら人は生まれながらに平等で、それぞれの考え方を尊重して、いろんな考え方の人がいることを認めつつ、他者を傷付けることのないような考え方を教育の場で学びましょうといったことになる。それなら根本的に多様性だなんだと言わなくてもいい話。今の世の中がこじれているのは周りの目とか周りの意見の影響が大きすぎて窮屈だっていうことでもある。テレビ見たらわかるけど、全方位に気を使いすぎてまるで面白くないこともある。

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