映画「マダム・ウェブ」視聴-2024.11.6

本作へは、特に感銘を受けた部分は無い。

スパイダーマン・シリーズの最重要人物ベンおじさんが、比較的に若くて、主人公女性キャシー・ウェブと同僚である辺りから、キャラクター達の位置関係を照らし合わせて知る事はできる。

「スパイダーマン」作品においてのベンおじさん(ベン・パーカー)は、凶弾によって命を落とす、その落命の寸前に、ピーター・パーカー(スパイダーマン)に、「大いなる力を持つ物は、大いなる責任が生じる」の、スパイダーマンの生涯の使命を授ける役割だ。これは、見方によれば、ノブレス・オブリージュとも似ていると言える。

だから、本作のキャシー・ウェブも、己の「resposibility(責任)」に目覚める事が、能力の開花に繋がって行くのも、スパイダーマン作品と同じ路線上にあると言える。

今回のラスボス的な敵役が、将来において自分を殺す三人の女性トリオが、毎回夢に出てきて殺される予見を、なんとか三人が少女である現在地点において、逆に襲って殺してしまおうと動き出すところから、一気にシナリオが動き出す。

約20年前ぐらいから、ハリウッド映画では、マイノリティーを役としてシナリオに入れ込むとか、白人が主人公勢を占めてた状況を、有色人種に置き換えたり、キャラクター達の家族に難病を抱えた人が居るとか、その様な配置を必ず入れ込んできている。そこにおいては、日本の状況と比較すると、多様性(ダイバーシティー)においては、はるかに先を行っているが、国内問題もそこには絡んでいるのだろう。移民国家であり、多民族国家であるアメリカの、人種差別の歴史はかなり長く深く酷い物があるから。日本の創作の状況は、完全にこれ等を重視はしておらず、逆に時代遅れをそのままにして突き進んでいるし、メジャーな日本映画は、劣悪化と退化の方が際立ち、著しい。他の創作を見ても、一部小説ぐらいしか、そこには取り組めていない。完全に出遅れている状況が見て取れる。

今回の、「マダム・ウェブ」のにおいても、トリオの三人もすべて異なる人種が配置されており、それは里親役を買って出たキャシー・ウェブにおいても、そうと言えるだろう。

そこ等辺だけかな。本作で印象に残ったのは。

まぁ、だから、往年の「スパイダーマン」作品をベースに、やや年上の20代後半か、30代初盤の女性を、司令塔的スパイダー・ウーマンに置いて、三人の少女を将来のスパイダー・ガールと置く、その手前の導入部分を描いた作品と言えるだろう。

感想は、それぐらいかな。

国家安全保障局(NSA)のスパイと、ラスボスがベットを共にするなんて、ハリウッド”らしい”シーンがあった。NSAのスパイを脅して聞き出したログイン・キーから、国家安全保障局のコンピューターにログインし、全国民監視システムを作動させるラスボス。ニクソン大統領期の「ウォーターゲート事件」によりも、アメリカ国民は、「全国民監視システム」のトラウマに悩まされてきた。ハリウッド映画にはたびたび全国民監視システムが登場する。その一つが、映画「ダークナイト」だ。

国家安全保障局と言えば、近年は、エドワード・スノーデン事件が記憶に新しい。


中国も、あの広大な中国大陸を、人口比では少数の漢民族による支配体制を敷いているのもあってか、全国民監視システムが非常に発達していると聞いている。では、我が国のソレは今どうなっているのでしょうね。

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