尊敬してやまない人よ

TAKURO

5月26日は、私がリスペクトしてやまない人の誕生日。52回目。
私が彼を意識し始めたのは、彼が26歳の頃だろうから、それまでの彼の人生と同じだけの年月が経過した計算だ。
いつもは楽曲についての記事を書いているが、今日のテーマは本日(と言ってももう27日になっているが。。。)の主役であるTAKURO。

初めはもちろん、彼自身ではなく、彼の作った楽曲に惚れた。楽曲を好きになった後は、その楽曲を作る、演奏する人に興味を抱く。そこで、TAKUROという人物を知ることになる。初めてGLAYというバンドを知った時は、まだまだあどけなさ残る学生。TAKUROを尊敬の対象としてみるには少し年月が必要だった。
彼の歩んできた人生は間違いなく、GLAYの楽曲の礎になっているだろうし、彼が好きだった音楽は、何かしらの要素がGLAYの方にも反映されているはずだ。そう考えるに至るのは、至極自然なことで、当時、TAKUROがDJをやっていたラジオ番組を毎週のように、カセットテープに録音し、そこでオンエアされた楽曲は何度も繰り返し(巻き戻して)聴き、自身にとっても大切な曲になっていったことも想像に難くないだろう。
それくらい、彼の内面まで自身の中に植え付けおきたかった。

なぜこんなに尊敬がとまらないのか考えてみると、人としての圧倒的な器の大きさは今更言うほどのことでもないが、「歌詞」がきっかけになったのだと思う。
自身は音楽が大好きで、GLAY以外の音源も買うし、時間が許されるならばライブも行きたい(今は、時間制約があるので、その制約の中での最優先事項はGLAYになってしまう)。でも好きになるバンドは、最終的に歌詞が好きになれるかどうかなのだ。頭に残って離れない歌詞は、自身にとって何かしらの意味があるはず。だからこそ、TAKUROの書く楽曲の歌詞を自分なりに噛み締め始めるようになっていった。
ファンになって四半世紀以上、GLAYの歌詞がきっかけで知った言葉もあるし、歌詞に励まされたり、救われたりしたことは数知れず。歌詞に隠された
思いを知って涙したことも一度や二度ではすまない。
彼がサントリーの烏龍茶と辞書を相棒に歌詞を書いていることを知れば烏龍茶を愛飲し、辞書に蛍光ペンで色をつけたりした。彼と同じことをすれば、彼に追いつけるのではないかと本気で思ったこともあった。
それだけ、自身にとっては、常に追いかけるべき存在だった。もちろん今でもそうだ。

TAKUROはGLAYのリーダーだが、私は彼以上にリーダーという言葉が似合う人を知らない。常にGLAYというバンドのことを誰よりも考えており、そして誰よりもGLAYファンなのだ。GLAYというバンドがちゃんと前に船をこげるのは、TAKUROがリーダーであるからだと確信している。
だからこそ、GLAYというバンドを結成してくれ、休止も解散もせずにここまで継続させてくれ、そして今もなお、夢を見させてくれる。そこのことにありがとうを言いたい。言葉で感謝しても仕切れないが、本当にありがとう。GLAYを好きになった学生の頃の自身の嗅覚のようなものは、間違っていなかったと胸を張って言える。

まだまだこれからもその大きすぎる背中を追いかけて行きます。

語りたいことはまだまだあるけれど、いつもの記事と同じ程度のボリュームで、一旦締めたいと思います。

TAKURO、お誕生日おめでとう!!素敵な1年を!


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