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コーヒーに透ける想い


 海の近く。駅に繋がる線路が見えるカフェ。窓側のカウンターの入り口側の端から風に揺れる笹の葉を眺めながらコーヒーを飲むのが休日の日課となった。
 店主は、大会の優勝経験もある女性バリスタで、私のコーヒーの師匠でもある。
 今日はランチ前の時間帯なので客はわたしだけで、私の過ごし方をよく知る店主もゆったりと過ごす時間に配慮してくれている。


 窓から外を眺めている私にとってはこの店へ向かう客の姿がよく見える。
 その女性は、駅に続く路地から徒歩でこちらに向かってくる。車社会の田舎では少し珍しい光景なのだが、それ以上に彼女の形相が目を引いた。
 しかし、店のドアが開き店内に入る時には彼女は満面の笑みを浮かべていた。
 店主が働くキッチン側のカウンターまですすむと注文を始める。 
 「コーヒーをいただけますか。」
 「どんなコーヒーがお好みですか。」
 店主である我が師匠がいつも通りの柔らかくゆったりとした口調で扱っているコーヒーの特徴を伝え始める。図を使った味の特徴をいつも通りのひととおり説明するが、初めての客はすぐには決まらない。
 「お勧めは」
 多くの客がとる反応だ。
 「そうですね、エチオピアはいかがでしょう」
 師匠にしては珍しい対応。こういう場合酸味がきいたエチオピアより、ほっとできる味に仕上げたこの店オリジナルのブレンドを勧めるはずなのに、師匠も何か感じたのだろうか。
 「ではそれで」
 「このあたりに来られるのは初めてですか」
 「ええ。電車から綺麗ま海が見えました。良いところですね」
 「海もいいですけど、里山の感じも好きなんです。お時間があればぜひ」
 同年代の女性同士のたわいもない会話に聞こえるが、師匠が自分の意見を押すことは珍しい。
 注文を追えると女性客は席に着いた。店の中央のテーブル席に注文カウンターに背を向けて座る。店主と親しげに話す客が多いこの店へはあまり見ない光景。
 女性客が座ると、ちょうどこちらを向くようになるため私と目が合った。
 小さな会釈をすると、女性客はほほえみながら会釈を返した。
 普通なら気づかない程度のことかもしれないが、私は人の感情がなんとなくわかる方なので、女性客のほほえみがどこか異質なことに気がついた。
 注文の愛知アピアが運ばれる。女性客は一度だけ口をつけそのまま身じろぎもしなくなった。師匠は淡々とランチの準備をしている。時間がたつにつれ、異質が違和感に変わってゆく。
 残り少なかった私のエルサルバドルも最後のひとくちを飲み込みカップを置く。キッチンスペースの師匠と目が合う。師匠の表情に答えるようにお変わりを注文する。
 「おかわりいいですか。今度はブレンドで」
 注文カウンターまで歩いて支払いを済ませる。心なしか師匠の表情が柔らかくなった気がした。


ブレンドが運ばれ、再び風に揺れる笹を眺めていると、慌ただしく駐車場に車が入り、少し乱暴に停車する。
 勢いよくドアが開き若い男が入ってくる。見たことがある顔、確か師匠と仲の良いグループの中のひとりで、師匠と親しげに話しているところを見たことがある。
 「駅で待ってろっていったじゃないか」
 店内の静寂に男の声が響く。
 「美味しいコーヒーが飲みたくて」
 女性客がにっこり笑う。異質な感じが増した気がする。
 「何か飲む」
 店の奥から師匠が聞く
 「いや、すぐに出ます」
 男は気まずそうに答える。
 「行こう」
 この店の常連なら、一緒にコーヒーでも飲めば良いのに、なぜ慌てているのだろう。
 「座って」
 穏やかに、しかし冷たく女性客は男に言った。
 男が女性客の正面に座る。ちょうど女性客越しに、キッチンスペースの師匠が見える位置だ。ランチの準備をしているはずの師匠が会計カウンター越しにこちらを向いている。普段にこやかな師匠にはみられない無表情で。
ゆったりとした時間が、緊迫した時間に一変した。私以外、同じくらい年齢の男性ひとり女性ふたりのこの空気感。そうあの状態だ。修羅場。
 私の席からは、男の背中越しに女性ふたりの表情がよく見える。緊迫感が増してゆく。
 「今日は何の日かわかる」
 女性客は男に問い詰めるように話す。
 「いや。。。その。。。」
 「私たちが付き合ってちょうど3年目です。」
 女性客の言葉に師匠の表情が一瞬変わり、目が泳ぐ。初めて聞いたという反応だ。
 男は黙ったまま。
 「友達や両親から結婚はどうしたと聞かれます。でも答えられません。あなたはいつも通り逢ってくれるけど、あなたの気持ちがもう私にないことはわかります。」
 「そんなことはない。僕の気持ちは変わってはいない。」
 「あなたにはわからないかもしれないけど、私は言葉にしなくても相手の気持ちがわかるの。」
 「そんなわけない。僕は」
 「いえ。本当なの。そういう人は現実にいるの。気持ちがわかるの。だから嘘はやめて。」

 女性客は男の目を見ながら話を続ける。
 「3年前、私は好きな人がいたの。本当に安心できる優しい人。あなたとおつきあいすることになって、その人とも別れて3年間ずっと後悔したの。」
 「俺はお前に付き合ってくれなんて言ってないじゃないか」
 男はたまらず声を上げた。口調も変わってきている。
 「そう。それがあなたの手口みたいね。仲の良いお友達グループに頼んで、付き合っているようにはやし立ててそのまま付き合ってしまう。あなたのお友達から聞いたわ。」
 その言葉に奥の師匠の表情がますます険しくなる。
 「私のことはもういい。あなたと別れることにする。だけど、私のように、本当に好きな人から奪うなんてことはしないで。」
 師匠の表情が変わり、カフェに満ちていた修羅場の空気がおちついてゆく。
 「今。そういうことをしていたら、すぐにやめて」
 女性客は男をにらむと、いたたまれなくなったのか男は出て行った。

 嵐の後。そんな言葉が当てはまるような静かな時間。
 女性客の違和感は消え、穏やかな表情で温度が下がったコーヒーを口にする。
 「甘い」
 「このエチオピアは甘みを感じますよね。」
 そうか、酸味の中の甘み。師匠はこれを伝えたかったのか。
 「香りも変わったみたい」
 「香りは女性の方が感じやすいんです。」
 「そうなんですか」
 女同士の和やかな会話。本当に嵐の後に一変した空気感。
 「そうなんです。男なんて」
 「そう、男なんてね」
 この場にいる男としては、ばつが悪い。

 しばらく、穏やかな静かな時間が流れる。
 「でも、よかった」
 女性客がつぶやく。
 「1人じゃないってわかったから」
 キッチンスペースの師匠の方に振り向く。
 「苦しかったんです。人の気持ちがわかっちゃうのって私だけだと思ってたから」
 女性客の言葉に師匠が柔らかにほほえむ。
 「一度にふたりも出会えるなんて。」
 女性客が私の方に向き直おる。来たときとはまるで違う笑顔。
 「うらやましいです。黙っていても想い合える関係って。」
 少し汗が出てきた。 
 女性客は席を立ち師匠の方に向き直る。
 「本当に好きな人と一緒にいてくださいね」
 「霧長さん送っていってあげれば」
 師匠は困ったような顔をしながら私に言う。
 「そうですね。」
 世の男を代表して償ってきますか。
 「いいんですか」
 「まあ、男にもいろいろいますし」
 苦笑いをしながら席を立つ。
 「待って。何時も帰りながら飲むでしょ」
 そう言いながら、師匠が私にテイクアウトのコーヒーを渡す。
 「エチオピアにしました」
 「ありがとう」
 車に向かう私から離れて女性客が師匠の方に向かう。
 「絶対に離しちゃダメ」
 「はい。そのつもりです」
 私は聞こえないふりをして車に乗り込んだ。


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